今日は、バンティアンの村に行ってきました。久しぶりの訪問です。
拙著『フィリピン・幸せの島サマール』(明石書店)を読んでいただいた方は、「はじめに」で書いた小さな漁村のことを覚えておられるでしょうか? あれがバンティアンの村です。表紙のかわいい子どもたちの写真もこの村で撮ったものです。
ちょうど10年前、私がカルバヨグ市役所で働き始めた頃、日曜日にはよくバンティアンに来て、エディの家の浜辺でいつもお酒をよばれていました。本当に懐かしい村です。(その後、私が日本に戻ってしばらくしてから、京大のHさんがこの村に2年間も滞在し、フィールドワークをされました。)
昨日、イーパオのフィエスタに行っていたとき、来客の一人が「明日はバンティアンのフィエスタだ」というのです。「あれ? バンティアンのフィエスタは、確か5月末だったはずだが」と思ったのですが、知人に電話して調べてもらうと、確かに今日に変更になっていることが分かりました。そこで、大慌てで今日の予定を変更して、バンティアンに行くことにしました。
実は、今年の1月、エディが急死したのですが、その後、彼の家を訪問していないことが気になっていました。奥さんに会って、弔意を伝えるとともに、彼が死んだときの様子を聞いてみたいと思ったのです。
いつもはひっそりとしたバンティアンの村も、フィエスタに来た大勢の人たちであふれています。マンゴーの木が茂った村を歩くと、コンクリートの立派な家が増えたことに驚きます。私の本の表紙写真では、海岸には全てニッパ椰子の家が並んでいたのですが、この10年でずいぶん変わってしまいました。
まず、Hさんがお世話になった、前のバランガイキャプテンのイダイさんや、アリスさんの家を訪ねました。特にフィエスタの料理を用意されているわけではありませんが、やはり食事に誘われます。食べないのは失礼だから、ほんの少しずつご馳走になります。陽気なアリスさんの「失恋」話に、みんな大笑いです。
そして、エディの家に行きました。奥さんが、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれます。部屋の一角には、サントニーニョの聖像の横にエディの写真が飾られていました。フィエスタだからでしょうか、ご馳走も供えられています。
ここでも食事をよばれた後、エディの話を聞きました。去年のクリスマスの後に突然、入院。そして1月18日にはもう死んでしまったそうです。肝臓癌とのこと。まだ、51歳の働き盛りだったのに---。そしてなんと、もし彼が生きていたら、今日がちょうど誕生日だったというのです。フィエスタと誕生祝いが重なって、どんなに賑やかだったことでしょう。その話をしてくれたときには、さすがに彼女も涙ぐんでいました。
フィエスタの昼下がり、あちこちから人々のざわめきや、ボリュームをいっぱいにあげたビデオケの音楽が聞こえます。エディの家でも、娘たちがマイクで歌いはじめました。父親を亡くして大変でしょうが、彼女らのこれからの人生が平穏で幸せなものであるよう祈るばかりです。
私もチョイさんのブログを知ってびっくりしていたところ。実はブログにコメントを書くのも生まれて初めてで、ドキドキしてながら書いています。
それにしてもこんなところで、あややと会うとは、ね。どーしているのかなーと思っていました。
マニラの生活には慣れてきた?1人暮らし?
今ごろってすごい暑いんじゃない?
バテないように日陰を選んで歩いてね!
それにしてももう10年ですか~。チョイさんのサマールとのお付き合いは、いろいろな変化を入れてながらずーっと続いていますよね。関係ってこうやってつくられるのかな。
ステキだと思います☆
ブログを始められたなんて、初めて知りました。
まったく、すごいですえ。
ちょいさんのブログを読んでいると、楽しそうなサマールの様子が目に浮かんでくるようで、ほんと羨ましくなります。
私もマニラの喧騒から逃れて、早くサマールにいきたい!!ここにいても、毎日話す人がいないためか
語学はあまり上達しないような気もします。