しゃかしゃか母、旅に出ました第二弾!

旅行に出掛けた記録(ほぼ韓国)です
2015年~駐名古屋大韓民国総領事館SNSサポーターズ1期メンバーとして活動中!

朝鮮通信使縁地巡り・雨森芳洲庵(8)

2021年05月08日 | 駐名古屋大韓民国総領事館
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今年の 「駐名古屋大韓民国総領事館SNSサポーターズ」 の

“ワークショップ” は、テーマが 『朝鮮通信使縁地巡り』 ということで

その足取りを追って、滋賀県までやって来ました。

その続きです。

… … … … … …

バスは、最後の目的地に向けて走ります。

彦根市から雨森芳洲の生家を訪ねて、長浜市への移動です。

1つの集落の前でバスは止まりました。

路地にまでバスは入り込めないので、後は徒歩で…



時代劇にでも出てきそうな古き良き日本の田舎の光景です。

落ち着きますね~

なぜか懐かしさがこみ上げてきました。



と、その一角に 『雨森芳洲庵』 の入り口がありました。

こちらは、東アジアとの交流と友好を目指す拠点にもなっており、

「東アジア交流ハウス」 の看板もあります。



玄関先に、「雨森芳洲」 先生の自画像がありました。

この方は、江戸の中期に対馬藩に仕えた儒学者で、

朝鮮通信使来日の際に随行儒学者として同行し、通訳としても活躍されたそうです。



そして、その奥の間にとても目を引いた

“雨森芳洲と朝鮮通信使ひな人形” がありました。

こちらの館長さんの手作りだそうですよ。



その横には、朝鮮通信使 「正使」 「副使」 の人形の展示がありました。

座っている方が 「正使」 で、当時の正装の衣装だそうです。

なんと、韓国で復元作成したものだそうです。

刺繍が素晴らしかったです。



雨森芳洲の生涯が分かりやすいように

著書、遺品などの工夫された展示がありました。



館長さんが、丁寧に説明をしてくださいました。



1人分のご馳走を再現したものだそうです。

こちらも館長さんの手作りですよ。



この 「雨森村」 の集落は、どこも絵になるような場所で、

晴れていたら一周回ってきたいほどの素晴らしい景色が残っていました。

きれいに整備されていたし…



『誠信の交わり』

朝鮮交接儀は、第一に人情・事勢を知り候事、肝要にて候

互いに欺かず争わず、真実を以て交わり候を、誠信とは申し候

これは、芳洲が、藩主に上申した対朝鮮外交の指針書 『交隣提醒』 の言葉です。

「国によって風儀も嗜好も異なるので、日本側のモノサシだけで接しては必ず不都合が生じる。

相手国の歴史・言葉・習慣・人情や作法などをよく理解し尊重して

『誠信の交わり (まごごろの外交) 』 をおこなうべきである」 と主張したものです。

何百年も前に、このような考え方をされていた

“雨森芳洲” という儒学者が存在したということを忘れてはいけませんね。

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