2008年5月15日、30週2日、1008gで生まれた寛太朗の成長記録

生後535日目、寛ちゃんは突然お空へと還っていきました。寛ちゃんと過ごした日々は、ママの心の宝物♪幸せをありがとう。

寛ちゃんの大切なお友達

2010年10月25日 08時16分34秒 | 天使ママ日記 2009.11~
10月23日夕方に寛ちゃんの大切なお友達Hくんが、お空へ旅立ちました。

Hくんと寛ちゃんは、病気は違うけど、とても共通点が多く、ブログ村の未熟児ブログがきっかけで仲良くさせてもらっていました。

・2008年5月生まれ(寛ちゃんは15日・Hくんは23日)
・同じく妊娠中期までは順調妊婦
・早産
・IUGR(週数の割に赤ちゃんが小さい、子宮内胎児発育遅延)
・超おチビ未熟児ちゃん(Hくんは寛ちゃんより小さく、早く産まれました)
・成長がのんびり(二人とも1歳で新生児サイズ)
・当初病名がなかなかは判明せず、検査検査の日々
・在宅看護

遠距離なので実際に会った事はないのですが、お互いのブログで成長を知っていたので、すごく身近に感じていました。

寛ちゃんがお空へ行って以降、他の赤ちゃんを見ても寛ちゃんの成長に重ねて見る事はありませんでした。
超スローペースな成長だったから、同じ月齢の赤ちゃんとは比べ物にならないくらいにおチビちゃんだったから、きっと今もおチビちゃん。。。

でも、Hくんの成長は、寛ちゃんの成長を見てるようで、寛ちゃんも大きくなってるなら、こんな感じかな~、とHくんの成長が楽しみで、幸せな気持ちにさせてもらっていました。

闘病を支えるパパとママの明るさ・前向きさも、私たち夫婦とすごく似ている気がしていました。



23日の深夜、いつものように布団に入って、Hくんのブログをチェックしました。

Hくんがお空に旅立った事が書かれていて、涙が止まりませんでした。

私が1年前に経験した、あの苦しさ・辛さだけは、もう誰にも経験して欲しくなかった…
見ず知らずの人に対してもそう思うのに…
どうしてHくんファミリーが…

寛ちゃんが亡くなって以降、幾度となく胸がキュと苦しくなって、辛い事がありました。
でも、そんなん比べ物にならないくらいに、苦しくて辛かった。
あの日、寛ちゃんが亡くなった時に感じた、経験した事がなかった胸の苦しみを再び感じました。

1年前に自分が経験していて、誰よりもその辛さを知っているはずなのに、どう言葉をかけていいのか…わからなくて…PCの電源を入れたものの、何も出来なかった。

ただただ涙が止まらなくて…
泣いて泣いて泣きまくった…

寛ちゃんが亡くなってから、当時の気持ちを吐いていた記事は振り返って読む勇気はなくなっていた。
けど、あの時、私はどうして欲しかったのか…
人からどう接して欲しかったのか…
思い出す為に、読み返しました。

丁寧な決まり文句が欲しい訳ではなく、心から感じた事を伝えてもらいたかった。
変に気を遣われるのが嫌だった。
寛ちゃんの事をたくさん褒めてもらいたかった。

心のままにメッセージを書いて送らせてもらいました。

それからも涙は止まらなくて、全然眠れなかったので、Hくんの誕生花を調べてみました。
(寛ちゃんは忘れな草で、花言葉は私を忘れないで、だった)

Hくんの誕生花の花言葉は、
『どこまでも離れない』でした。

誕生花って数種類あるから、その中の一つなんだけど、寛ちゃんと同じく、ちゃんとメッセージを持って産まれて来たんだと思いました。

Hくんは、本当に素敵なパパとママを自分で選んで産まれてきました。
この両親なら、深い愛で全身全霊をかけて育ててくれると信じて。。。
そして、Hくんは2年5カ月の日々、大きな深い愛をたくさん受けて幸せいっぱいに生きました。
Hくんは、本当に幸せだったと思います。
そして、Hくんのパパとママも、ちょっと特別な育児が出来て、普通の育児の何倍も何倍も幸せだった事でしょう。
(私も寛ちゃんの事はそう思います。大変だったけど、本当に濃くて幸せな育児だったと。)



頑張って2年5カ月生き抜いたHくんをたくさんたくさん褒めてあげたいと思いました。

パパとママをこれから先支える事は出来ても、天使Hくんが我が家にパタパタと遊びに来てくれる事はあっても、Hくんの生きていた姿に会えるのは、今日しかない…そう思うと、どうしても会いたくなり、新幹線に飛び乗りました。
寛ちゃんがHくんに会いに行くように言ってるように感じました。

ご家族での大切な時間、迷惑を承知で会いに行かせてもらいました。

パパ・ママとは初対面、でもHくんとはブログで成長を知っていたからか、初めましてな気がしなかったです。

Hくんはそれはそれは本当に幸せそうな顔をしていました。
とってもキレイで、幸福に満ちたお顔でした。
今にも起きてきそうなくらい、安心して眠っているように見えました。

寛ちゃんもそうでした。
私は寛ちゃんの幸福に満ちた顔を見て、寛ちゃんが幸せな人生だった事を感じ、寛ちゃんの死を受け入れる事が出来た気がします。

寛ちゃんの一周忌を前に、いろいろと不安定になったり、淋しさで胸が苦しくなったりしていたこの頃、でも、Hくんに会って、大切な事をHくんが思い出させてくれた気がします。

パパ・ママの気丈に振る舞い、たまに出る笑顔を見て、
私たち夫婦も、お通夜の晩、もちろん涙も出るんだけど、やりきった感もいっぱいで、全身全霊を尽くして育児して、自分たち夫婦にしか寛ちゃんの育児は出来なかった、十分にしてあげられた、という自画自賛の気持ちもあり、過ごした事を思い出しました。



愛しい我が子を亡くすという事は、お別れなんだけど、お別れではないと、私は思います。
遠く離れるのではなく、ものすごく近くなるのだと。
私の心の中には、寛ちゃんがいて、寛ちゃんと共に生きています。
何をするのも、どんな時も、歳を重ねても、永遠に寛ちゃんとベッタリずっと一緒なのです。
もちろん姿が見えなくて、一目でも会いたくて…
抱きしめたくて、一瞬でも一回でもいいから抱きしめたくて…
1年経った今でも、辛くなる事はあるし、この先も永遠にその思いは変わらないけど、今、1年の月日を立ち止まりながらでも前を向いて生きてこれたのは、心に寛ちゃんがいるからなのです。

寛ちゃんやたくさんのお友達天使ちゃんは、Hくんにいろいろと優しく教えてあげたり、すぐに仲良しになって遊び回っている事でしょう。

これを読んでくださった方々、お空を眺め、頑張って生き抜いたHくんをたくさん褒めてあげてください♪


最終の東京までの新幹線がなかったので、一先ず関西の実家まで新幹線があったので帰ってきました。
今日は、退院した祖母の顔を見てから、東京に帰ろうと思います。

来週土曜日は寛ちゃんの一周忌の法要をします。
来週一週間はたくさんの方が寛ちゃんに会いに来てくれる予定です。
1年経った今でも、寛ちゃんを想い、私たち家族を想ってくださる事に感謝の気持ちでいっぱいです。

たくさんの天使ママが頑張っています!