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(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

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学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

番外編 クラス会参加

2017-09-24 19:35:17 | 日記
番外編 クラス会参加

 7/22(土)は、北関東所在前橋高校クラス会に参加。1958年卒業学年クラス会で、前回以来11年ぶりの再会であったが、懐旧の候実に深いものあった。冒頭に記念コンサートあり、画像はプロノソプラノ歌手白石佐和子さんが、プッチーニ<ある晴れた日>絶唱風景だが、高年齢も音楽や芸術に嗜むことも、忘れてはイカンと思った。卒業時の同じクラスのメンバーが一つのテーブル囲んだが、話が弾み2時間アッという間に過ぎたが、隣席の金子君は今でも現役の医師だが、医学博士の称号で深谷市で医院開業で、金銭は度外視して住民サービスの一念だけで運営で、実に見上げたもんだ。更にその隣りの兼松君は黄金時代の野球部で大活躍したが、一学年上の宮田征典投手(8時半の男)に率いられ、春の練習試合で王投手擁する早実と9回までゼロゼロでいったとか、当時の前高も強かったよ。最後は、プロのテノール歌手澤崎一了さんの主導で校歌”赤城颪に送られて”の斉唱でシメとなったが、実に有意義な一日となった。

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漕ぎ方随想その1

2017-09-24 19:16:23 | 日記
 7月20日、27日と連続して、桐友会漕艇活動を実施し、そこで問題となった漕ぎ方に関し今回はコメントする。その前に、昨27日は曇天に拘わらず猛暑で、かつ多数の小艇でコースが混みあう状況で、操艇に注意した日であった。画像の1枚目は、2番漕ぐ富安くんのスナップで、桐友会皆勤の実績は、ボートに掛ける情熱のなみなみない事を示す。画像の2枚目は、土方ホール横で業者と商談中の沢田くんだが、桐友会艇庫の空白スペースに更にエイトを格納する構想で、技術的・資金的な面での話し合いの状況である。”問題となった漕ぎ方”については、同様に、20日の活動状況の概要を先にコメントをする。この日はメンバーは、C内野・S藤波・3大木・2富安・B橋爪で、小泉さんはコース外を自転車で伴走でコーチ担当したが、艇外からの指摘は、乗艇クルーだけでは気付かない点も多く、参考になった。で、漕ぎ方についてだが、3蕃漕いだ小生(大木)に対し小泉コーチから、キャッチの位置高くその分だけオールが切れ込むと、厳しい指摘が何回もなされた。というわけで、問題となった漕ぎ方というのはこの件であるが、これを機に漕ぎ方について、多少検討した次第である。
 漕ぎ方あるいは漕法でもいいが、慶応流・早稲田漕法・東大流・外語流とか筑波漕法とかいろいろ言われるが、今回は原点あるいはルーツを考えてみた。となると、本家のイギリスにまで遡ることになる。かって、非常に古い話となるが、主流であった英国伝統漕法(English
Orthodox style)に対し、革新的な指導法で旧来を一新させたのがフエアバーン漕法(the Fairbairn style)であった。フエアバーンは自らの指導法について、1926年に "RoWing Notes" を刊行し世に問うたが、1926年は大正15年あるいは昭和元年という昔であり、本書も最早稀こう本の領域であるが、同和鉱業鈴木氏と東大淡青会の尽力で、1979年に我が国で復刻本として刊行されている。今回は、この復刻本を参考に、原点としてのフエアバーン漕法を検討した。フエアバーンは当書で、英国伝統漕法とフエアバーン漕法の違いについて、簡潔に指摘してる。英国伝統漕法は、肩あるいは上体を始動させることから入る漕法で、スライド部分や脚ぶはどうしても遅れることになる。
これに対しフエアバーン漕法では、上体より、脚部・スライド部・手の動き、そして何よりブレード捌きを重視する漕法と説明する。フエアバーンは、肩から上体の動きを重視する漕法は、見た目は派手だが(showy)艇を前進させる力は劣るという。
 ”It was a showy movement and gave the illusion that the shoulders were thereby doing much more work.
Catching it with the shoulders, and hollowing the back, and holding it straight was very showy. The
shoulders appeared to go faster, because the slides being held,and the back being held flat,and the stomach out,they did move relatively faster.Whereas,with the weight of the lower part of the body being
driven out. ・・・ ”(出所:『復刻本 Real Orthodoxy』 ⅩⅩⅩⅴⅱ より)

 フエアバーン漕法が、どのような変遷へて現代漕法へ発展したか、その過程はこれから検討するが、漕法の歴史を検討しその中で<キャッチの位置高くその分だけオールが切れ込む>その原因を考える、この方向もなか参考となる。3枚目画像は、復刻本掲載の、従来と違うフエアバーン・スタイルの実演である、4枚目はケンブリッジ・クルーを自転車でコーチするフエアバーン本人である。

 





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3週間ぶりの桐友会活動

2017-09-24 18:07:28 | 日記
水郷筑波レガッタに会員の一部が参加等の関係で、桐友会活動の方は大分間延びでしたが、6月29日(木)に、待ちに待った活動実施しました。本日の陣容は、藤波会員がコックスに回り、S橋爪、3小泉、2富安、B大木の陣容でした。本日は戸田競艇休業で、2000メートルが使用可能でしたが、藤波コックス兼コーチはこれ幸いと、2000メートルノンストップの練習を取り入れたため、漕ぎ手は相当ヘバッタ感があった。ノンストップといっても、ノーワークとライトパドルの繰り返しで、実質インターバルトレであったが、強靭な心肺機能が要求され、半ばのハードトレであった。ライトパドルは、10本に1本くらいか、4本のオールのキャッチからフニッシュのタイミングと強度がピタリと合うレベルで、まだまだである。しかし、ピタリと合ったときは、艇がウナリ挙げて加速される感じで、これが10本中7~8本位になれば、ライバルのペンタといい勝負できそうの手応えあった。反省会は恒例日高屋で実施したが、その画像をアップするが、今回はかなり強気な意見が出された。練習成果をあげるためには、目標持つ必要があるとの指摘も出て、マスターズ70歳台クラス参加を検討することになった。今年の大会は、6月初旬にすでに終了してるので、次の大会から参加することになりそうだが、そうなると合宿の必要の声もでて、今後はいろいろ入れ込む事になりそうだ。水郷筑波レガッタでの、ナックル300メートルでのペンタと桐漕会クルーの激闘の話が出たが、桐漕会は橋爪・富安・柴崎・北之園の陣容のようたが、ペンタとの差が0.28秒とのこと、こらあ近来にないアツアツのレースだ。じゃけん、いくら競っても負けは負けで、ここをどう詰めるかが、今後の課題となった。尚、アップした画像は、左側は、奥から藤波・沢田・大木です。右側は、奥から富安・橋爪・小泉です。

桐友会活動を再開しました。




 6月8日(木)桐友会(旧東京教育大学漕艇部OB有志の会)活動を実施しました。一ケ月ぶりの活動であったが、何よりオールを握れることの喜びに勝るものなく、握った途端に日常些末なアレコレは一瞬に吹っ飛ぶ思いであった。桐友会の愛艇AMEBLO号は、沢田会員の寄贈になる、ナックルといってもオールグラスフアイバー製の新鋭艇で、重量はかっての木造時の2/3くらいの軽さである。で、コースへの艇出し入れもスムースにやれるのが、実に有難い。天気は、水無月空の薄曇りで絶好のボート日和、戸田ボートコースも各大会の端境期でガラガラ、今日漕がなくていつ漕ぐのだの感あった。クルーは、C松岡、S橋爪、3河崎、2富安、B大木の豪華クルー編成で、一漕ぎ毎に新鋭艇のスピードある滑走感がクルーに伝わる思いであった。本日は、小手調べで、ノーワークからライトパドルの繰り返しで、押えに抑えたが、レースに向けて調整していけば、相当ヤレルの手応え十分であった。これなら、ペンタのシニアクルーと5分にやりい合えるとの、感があった。添付画像は、左から河崎、富安、藤波、橋爪、沢田、大木であるが、全日本の決勝に出たのが3名もいるから錚々たるクルーである。後半は、恒例の戸田公園駅2Fの日高屋での飲み会であるが、毎回のことであるが、この時のビールの旨さは最高だ。今回は、外語仏文卒でペンタ会員の渡辺さんが特別参加で、話を面白くさせた。渡辺さんの生き方というか人生観は、実に啓発されるとものあった。渡辺さんは、住友金属鉱山に20数年勤務した後に、ジョンソン・マッセイなど外資系を渡り歩き、欧米アッパー・ミドルの生き方に精通してるとか、我々とは異なる人生観の持ち主と見受けた。外語あるいはペンタも、こういうスタッフがゴロゴロいるようで、層の厚さを見せつけられた。
                                                      (大木記す)

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 オックスフォード大学セントキャサリンカレッジのクルー、日本訪問記

2017-09-24 18:02:35 | 日記
2017-05-05 15:06:48 / プロフイール2

    オックスフォード大学セントキャサリンカレッジのクルーの日本訪問記


 昨4日の、筑波大学漕艇部棚橋さんの英国ボート大会参加記に続けて、返礼の意味で、2016年9月にオックスフォード大学セントキャサリンカレッジのクルーが来日し我がボートレースに参加したその記録を、クルー一員のGeorgios Ntentasさんがメッセージを寄せているので、原文のまま紹介します。

ST Catherine's College Oxford - Tsukuba University Japan Exchange 2016
After about 24 hours on buses, plannes and feet,we arrived at Toda rowing lake,the Olympic rowing venue from Tokyo 1964. After a quick setup paddle and being bamboozled by a supermarket, we got into our routine of early-to-bed, earlywake.WE were racing in the Oxford Shield Regatta as part of the All Japan Universities Championships-something akin to-BUCS in the UK.The regatta we were competing allowed entries from non-university crews,so saw a mixed field of companies and universities entering.With a couple of outings under our belt, we hit the race weekend, starting with our heat.We placed 2nd, behind an exceptionnally strong TORAY crew.who went on to win the A Final.
This put us into the repechages, in which we placed first and booked ourselves a slot in the semi-finals on Sunday morning.The semi-final turned out to be a bit of a race-of-death; we again faced the strong TORAY crew from the heats, but each of the other two crews has posted times within+-3 seconds,of us, and were competting for one slot in the B Final.Although we had a good race, it wasn't enough, seeing us come 3rd by 1/2length setting the 7th quickest time overall in the semi-finals.
after rracing we had a number of visits from members of the Toda rowing community- from the Japanese Rowing Association and Saitama prefecture newspaper (see link below) to a rower who had raced against an Oxford crew in the 1950's ( and beaten them by a bow ball, apparently!).We spent the evening meeting Tsukuba alumni, before handing over a little bit of SCCBE after President George Ntentas brought out his best Japanese for a speech.WE didn't understand a word of it, but apparently it was very good! Racing and training done, we set about exploring Tokyo for a few days, before back to the UK.
It was a fantastic experience which promoted rowing collaboration and cultural exchange between the two clubs and of course the two countries.We experienced an international race and made great friends. Please feel free to contact us if you wish to organise something similar in Japan.We believe that there are many universities which will be more than happy to host a British crew, especialy klooking forward to Tokyo 2020.(Authors: Matt Smith &Georgios Ntentas)
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筑波大漕艇部イギリス遠征記

2017-09-24 17:58:44 | 日記
筑波大漕艇部イギリス遠征の記録
(2016年夏筑波大漕艇部は英国遠征し、その返礼で、オックスフオード大学ボートが日本のレガッタに参加する催しがありました。今回は、筑波大学体育会漕艇部誌「桐」第42号(2016.12発行)に記載の棚橋秀美さん記事と Georgios Ntentas さんメッセージを紹介します。尚、記載に関する両人の了解はなしです、悪しからず)

イギリス遠征W1X(棚橋秀美)
 イギリスといえばボートの強豪国の一つであり、そのような場所でレースをさせていただけたこの機会に大変うれしく思います。市民レガッタというような位置づけのこの大会は出場選手の競技歴ごとに4つの階級に分かれており、私は比較的競技歴の浅い者たちがエントリーする、NOVと1M2という階級に出場させていただきました、私の競技歴h5年なので客観的にみ見て、本当であればもう一つくらい上の階級で出場するべきであったのかもしれませんが、ともにレースをした選手たちは大きな体格でとても力強い漕ぎをしており、改めて体格のもつポテンシャルの高さというものを感じました。また、私たちがレースをしたコースの川は決して広い川幅ではなく、レース自体は2艇で行いました。丁度、日本でいう早慶戦のような感じです。私にとって2艇レースというのは初めてで、お互いがとても近く見えました。ここで印象的だったのが、レース後のちょっとした会話です。私が知る限り、日本ではレースが終わったらそのまま艇庫に戻ってしまうクルーも多いと思いますが、今回イギリスで私が経験したレースでは終わった後に”Well done."や、"Thank you."、また "Congratulation"
というような言葉を掛け合い、勝敗はもとよりお互いを称えあう姿が見られました。このようなことも含め、大会を通してイギリスという国の文化に少し触れることができました。日本のいいところやイギリスから参考にしたいところを見つめるのは日本にいては決して体験できないことです。今回このような機会をいただけたこと、そして多くの方のサポートにより実現できたことを本当にうれしく思います。皆様、ありがとうございました。
                                   (続く)
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