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(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

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学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

トレーンング編その2(ジョギング)

2017-09-24 20:47:26 | 日記
トレーンング編その2(ジョギング)

小生の日課は、午前は主に書斎、午後は1時半頃からジョギングに出ることにしている。大宮台地が荒川東岸へ切れ落ちる田園地帯を、日々走ってるが、荒川支流の小川が形成した開析谷により、アップダウンが結構激しい地形が造られている。斜度15度くらい長さ50メートルくらいの昇り坂は全力ダッシュで駆け上がるが、これを数本繰り返すと、結構なインターバルトレとなる。画像は、開析谷を流れる小川と、小生のダッシュ風景である。





 荒川東岸まで距離にして約5キロ、歩数6500程度であり、時間にして約60分であるから、相当なスローなジョギングである。平坦でない丘陵地でのジョギングあるいはウオーキングの効用は、ウオーキングの先達大島清氏も強調してる。鎌倉・梶原谷の丘の上に住む同氏は、昇り降りの激しい地を日々歩き回り、それが有酸素運動になり健康維持に大いに貢献してるという(大島清『歩くとなぜいいか?』PHP文庫)。荒川の橋で一休み、水分供給となる。北を眺めると、圏央道から遥か向こうにウッスラと赤城の山並みが見え、南には西岸であるがホンダ飛行場がある。

 



 かってここには、陸軍の飛行場があり、飛行兵を教育していた場所であるが、時局急迫の1945年2月には飛行学校は閉鎖され、特攻隊訓練基地に変えられたと言う。同年4月5日にはこの訓練基地から12名の特攻兵が第七十九振武隊として飛び立ち、九州・知覧経由で沖縄方面に出撃し、うち11名が若い命を失っている。画像は訓練風景と振武隊12名の寄せ書きである。特攻基地として九州の鹿屋や知覧は有名だが、埼玉にも特攻基地が存在したことは、意外と知られてない。

 

 

 ここで学生が学び寝起きした木造校舎は、戦後引揚者寮とし10年前まで実際に使用されていたが、木造兵舎として全国唯一存在する貴重な遺産として保存運動の声が高まり、現在は市が中心となり解体・調査研究・修理保存・復元を進めている。画像は、解体直前の木造兵舎である。

 
 

 ジョギングあるいはウオーキングは、単にトレーニングだけでなく、地域を発見し、考え、人生のエネルギーを吸収できる、効用の宝庫である。
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トレーンング編その1(インドアトレ)

2017-09-24 19:58:12 | 日記
トレーンング編その1(インドアトレ)


桐友会も長い夏休みに入り、その間各自自主トレになったので、トレーンング編を、インドアトレ・ジョギング・山行の3回に分けてブログオンする。第一回はインドアトレだが、小生は専用のトレーニングルーム兼オーデイオルームに、トレーニングマシンを設置し、汗を流してる。種目は、器具使わない・ダンベル・バーベルと3種類に分けて、時間はおよそ1時間くらいを充当している。器具使わないトレは、1枚目画像は足固定シット・アップだが、その他膝立てシット・クランチ・Vシット・ベンチニーアップ等で20分くらいである。2枚目画像はダンベルベンチプレスだが、使用ダンベルは片側10キロで計20キロを使用している。メニューは、この他にフロアーチェストプレス・プルオーバー・ベントオーバー・カールプレス等多彩である。ダンベル時間もおよそ20分である。3枚目画像はバーベルのハーフスクワットだが、安全性で最も留意してる種目である。重量は、シャフトまで入れて現在は35キロで軽量であるが、最大70キロまでのプレートを用意している。現状では、35キロを超えると相当きつい。種目は、ベンチプレス・フロアーチェストプレス・アームカール等多彩で、これも20分見当配当である。3種類を一通りサーキット的にこなすと、汗もすごいが、エネルギー的には戸田コース2000メートル一周くらいの消耗である。オーデイオルーム兼用と書いたが、バックのスピーカーはオリジナルのタンノイ・オートグラフで、トレーンングは大概これ聞きながらである。タンノイの音は豊潤つうか荘重つうか、コンサートホールの最良の席での音に近いが、コンサートホールに居ながらのトレーンングと思ってる次第である。



 

 
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番外編 クラス会参加

2017-09-24 19:35:17 | 日記
番外編 クラス会参加

 7/22(土)は、北関東所在前橋高校クラス会に参加。1958年卒業学年クラス会で、前回以来11年ぶりの再会であったが、懐旧の候実に深いものあった。冒頭に記念コンサートあり、画像はプロノソプラノ歌手白石佐和子さんが、プッチーニ<ある晴れた日>絶唱風景だが、高年齢も音楽や芸術に嗜むことも、忘れてはイカンと思った。卒業時の同じクラスのメンバーが一つのテーブル囲んだが、話が弾み2時間アッという間に過ぎたが、隣席の金子君は今でも現役の医師だが、医学博士の称号で深谷市で医院開業で、金銭は度外視して住民サービスの一念だけで運営で、実に見上げたもんだ。更にその隣りの兼松君は黄金時代の野球部で大活躍したが、一学年上の宮田征典投手(8時半の男)に率いられ、春の練習試合で王投手擁する早実と9回までゼロゼロでいったとか、当時の前高も強かったよ。最後は、プロのテノール歌手澤崎一了さんの主導で校歌”赤城颪に送られて”の斉唱でシメとなったが、実に有意義な一日となった。

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漕ぎ方随想その1

2017-09-24 19:16:23 | 日記
 7月20日、27日と連続して、桐友会漕艇活動を実施し、そこで問題となった漕ぎ方に関し今回はコメントする。その前に、昨27日は曇天に拘わらず猛暑で、かつ多数の小艇でコースが混みあう状況で、操艇に注意した日であった。画像の1枚目は、2番漕ぐ富安くんのスナップで、桐友会皆勤の実績は、ボートに掛ける情熱のなみなみない事を示す。画像の2枚目は、土方ホール横で業者と商談中の沢田くんだが、桐友会艇庫の空白スペースに更にエイトを格納する構想で、技術的・資金的な面での話し合いの状況である。”問題となった漕ぎ方”については、同様に、20日の活動状況の概要を先にコメントをする。この日はメンバーは、C内野・S藤波・3大木・2富安・B橋爪で、小泉さんはコース外を自転車で伴走でコーチ担当したが、艇外からの指摘は、乗艇クルーだけでは気付かない点も多く、参考になった。で、漕ぎ方についてだが、3蕃漕いだ小生(大木)に対し小泉コーチから、キャッチの位置高くその分だけオールが切れ込むと、厳しい指摘が何回もなされた。というわけで、問題となった漕ぎ方というのはこの件であるが、これを機に漕ぎ方について、多少検討した次第である。
 漕ぎ方あるいは漕法でもいいが、慶応流・早稲田漕法・東大流・外語流とか筑波漕法とかいろいろ言われるが、今回は原点あるいはルーツを考えてみた。となると、本家のイギリスにまで遡ることになる。かって、非常に古い話となるが、主流であった英国伝統漕法(English
Orthodox style)に対し、革新的な指導法で旧来を一新させたのがフエアバーン漕法(the Fairbairn style)であった。フエアバーンは自らの指導法について、1926年に "RoWing Notes" を刊行し世に問うたが、1926年は大正15年あるいは昭和元年という昔であり、本書も最早稀こう本の領域であるが、同和鉱業鈴木氏と東大淡青会の尽力で、1979年に我が国で復刻本として刊行されている。今回は、この復刻本を参考に、原点としてのフエアバーン漕法を検討した。フエアバーンは当書で、英国伝統漕法とフエアバーン漕法の違いについて、簡潔に指摘してる。英国伝統漕法は、肩あるいは上体を始動させることから入る漕法で、スライド部分や脚ぶはどうしても遅れることになる。
これに対しフエアバーン漕法では、上体より、脚部・スライド部・手の動き、そして何よりブレード捌きを重視する漕法と説明する。フエアバーンは、肩から上体の動きを重視する漕法は、見た目は派手だが(showy)艇を前進させる力は劣るという。
 ”It was a showy movement and gave the illusion that the shoulders were thereby doing much more work.
Catching it with the shoulders, and hollowing the back, and holding it straight was very showy. The
shoulders appeared to go faster, because the slides being held,and the back being held flat,and the stomach out,they did move relatively faster.Whereas,with the weight of the lower part of the body being
driven out. ・・・ ”(出所:『復刻本 Real Orthodoxy』 ⅩⅩⅩⅴⅱ より)

 フエアバーン漕法が、どのような変遷へて現代漕法へ発展したか、その過程はこれから検討するが、漕法の歴史を検討しその中で<キャッチの位置高くその分だけオールが切れ込む>その原因を考える、この方向もなか参考となる。3枚目画像は、復刻本掲載の、従来と違うフエアバーン・スタイルの実演である、4枚目はケンブリッジ・クルーを自転車でコーチするフエアバーン本人である。

 





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3週間ぶりの桐友会活動

2017-09-24 18:07:28 | 日記
水郷筑波レガッタに会員の一部が参加等の関係で、桐友会活動の方は大分間延びでしたが、6月29日(木)に、待ちに待った活動実施しました。本日の陣容は、藤波会員がコックスに回り、S橋爪、3小泉、2富安、B大木の陣容でした。本日は戸田競艇休業で、2000メートルが使用可能でしたが、藤波コックス兼コーチはこれ幸いと、2000メートルノンストップの練習を取り入れたため、漕ぎ手は相当ヘバッタ感があった。ノンストップといっても、ノーワークとライトパドルの繰り返しで、実質インターバルトレであったが、強靭な心肺機能が要求され、半ばのハードトレであった。ライトパドルは、10本に1本くらいか、4本のオールのキャッチからフニッシュのタイミングと強度がピタリと合うレベルで、まだまだである。しかし、ピタリと合ったときは、艇がウナリ挙げて加速される感じで、これが10本中7~8本位になれば、ライバルのペンタといい勝負できそうの手応えあった。反省会は恒例日高屋で実施したが、その画像をアップするが、今回はかなり強気な意見が出された。練習成果をあげるためには、目標持つ必要があるとの指摘も出て、マスターズ70歳台クラス参加を検討することになった。今年の大会は、6月初旬にすでに終了してるので、次の大会から参加することになりそうだが、そうなると合宿の必要の声もでて、今後はいろいろ入れ込む事になりそうだ。水郷筑波レガッタでの、ナックル300メートルでのペンタと桐漕会クルーの激闘の話が出たが、桐漕会は橋爪・富安・柴崎・北之園の陣容のようたが、ペンタとの差が0.28秒とのこと、こらあ近来にないアツアツのレースだ。じゃけん、いくら競っても負けは負けで、ここをどう詰めるかが、今後の課題となった。尚、アップした画像は、左側は、奥から藤波・沢田・大木です。右側は、奥から富安・橋爪・小泉です。

桐友会活動を再開しました。




 6月8日(木)桐友会(旧東京教育大学漕艇部OB有志の会)活動を実施しました。一ケ月ぶりの活動であったが、何よりオールを握れることの喜びに勝るものなく、握った途端に日常些末なアレコレは一瞬に吹っ飛ぶ思いであった。桐友会の愛艇AMEBLO号は、沢田会員の寄贈になる、ナックルといってもオールグラスフアイバー製の新鋭艇で、重量はかっての木造時の2/3くらいの軽さである。で、コースへの艇出し入れもスムースにやれるのが、実に有難い。天気は、水無月空の薄曇りで絶好のボート日和、戸田ボートコースも各大会の端境期でガラガラ、今日漕がなくていつ漕ぐのだの感あった。クルーは、C松岡、S橋爪、3河崎、2富安、B大木の豪華クルー編成で、一漕ぎ毎に新鋭艇のスピードある滑走感がクルーに伝わる思いであった。本日は、小手調べで、ノーワークからライトパドルの繰り返しで、押えに抑えたが、レースに向けて調整していけば、相当ヤレルの手応え十分であった。これなら、ペンタのシニアクルーと5分にやりい合えるとの、感があった。添付画像は、左から河崎、富安、藤波、橋爪、沢田、大木であるが、全日本の決勝に出たのが3名もいるから錚々たるクルーである。後半は、恒例の戸田公園駅2Fの日高屋での飲み会であるが、毎回のことであるが、この時のビールの旨さは最高だ。今回は、外語仏文卒でペンタ会員の渡辺さんが特別参加で、話を面白くさせた。渡辺さんの生き方というか人生観は、実に啓発されるとものあった。渡辺さんは、住友金属鉱山に20数年勤務した後に、ジョンソン・マッセイなど外資系を渡り歩き、欧米アッパー・ミドルの生き方に精通してるとか、我々とは異なる人生観の持ち主と見受けた。外語あるいはペンタも、こういうスタッフがゴロゴロいるようで、層の厚さを見せつけられた。
                                                      (大木記す)

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