トレーンング編その2(ジョギング)
小生の日課は、午前は主に書斎、午後は1時半頃からジョギングに出ることにしている。大宮台地が荒川東岸へ切れ落ちる田園地帯を、日々走ってるが、荒川支流の小川が形成した開析谷により、アップダウンが結構激しい地形が造られている。斜度15度くらい長さ50メートルくらいの昇り坂は全力ダッシュで駆け上がるが、これを数本繰り返すと、結構なインターバルトレとなる。画像は、開析谷を流れる小川と、小生のダッシュ風景である。


荒川東岸まで距離にして約5キロ、歩数6500程度であり、時間にして約60分であるから、相当なスローなジョギングである。平坦でない丘陵地でのジョギングあるいはウオーキングの効用は、ウオーキングの先達大島清氏も強調してる。鎌倉・梶原谷の丘の上に住む同氏は、昇り降りの激しい地を日々歩き回り、それが有酸素運動になり健康維持に大いに貢献してるという(大島清『歩くとなぜいいか?』PHP文庫)。荒川の橋で一休み、水分供給となる。北を眺めると、圏央道から遥か向こうにウッスラと赤城の山並みが見え、南には西岸であるがホンダ飛行場がある。


かってここには、陸軍の飛行場があり、飛行兵を教育していた場所であるが、時局急迫の1945年2月には飛行学校は閉鎖され、特攻隊訓練基地に変えられたと言う。同年4月5日にはこの訓練基地から12名の特攻兵が第七十九振武隊として飛び立ち、九州・知覧経由で沖縄方面に出撃し、うち11名が若い命を失っている。画像は訓練風景と振武隊12名の寄せ書きである。特攻基地として九州の鹿屋や知覧は有名だが、埼玉にも特攻基地が存在したことは、意外と知られてない。


ここで学生が学び寝起きした木造校舎は、戦後引揚者寮とし10年前まで実際に使用されていたが、木造兵舎として全国唯一存在する貴重な遺産として保存運動の声が高まり、現在は市が中心となり解体・調査研究・修理保存・復元を進めている。画像は、解体直前の木造兵舎である。

ジョギングあるいはウオーキングは、単にトレーニングだけでなく、地域を発見し、考え、人生のエネルギーを吸収できる、効用の宝庫である。
小生の日課は、午前は主に書斎、午後は1時半頃からジョギングに出ることにしている。大宮台地が荒川東岸へ切れ落ちる田園地帯を、日々走ってるが、荒川支流の小川が形成した開析谷により、アップダウンが結構激しい地形が造られている。斜度15度くらい長さ50メートルくらいの昇り坂は全力ダッシュで駆け上がるが、これを数本繰り返すと、結構なインターバルトレとなる。画像は、開析谷を流れる小川と、小生のダッシュ風景である。


荒川東岸まで距離にして約5キロ、歩数6500程度であり、時間にして約60分であるから、相当なスローなジョギングである。平坦でない丘陵地でのジョギングあるいはウオーキングの効用は、ウオーキングの先達大島清氏も強調してる。鎌倉・梶原谷の丘の上に住む同氏は、昇り降りの激しい地を日々歩き回り、それが有酸素運動になり健康維持に大いに貢献してるという(大島清『歩くとなぜいいか?』PHP文庫)。荒川の橋で一休み、水分供給となる。北を眺めると、圏央道から遥か向こうにウッスラと赤城の山並みが見え、南には西岸であるがホンダ飛行場がある。


かってここには、陸軍の飛行場があり、飛行兵を教育していた場所であるが、時局急迫の1945年2月には飛行学校は閉鎖され、特攻隊訓練基地に変えられたと言う。同年4月5日にはこの訓練基地から12名の特攻兵が第七十九振武隊として飛び立ち、九州・知覧経由で沖縄方面に出撃し、うち11名が若い命を失っている。画像は訓練風景と振武隊12名の寄せ書きである。特攻基地として九州の鹿屋や知覧は有名だが、埼玉にも特攻基地が存在したことは、意外と知られてない。


ここで学生が学び寝起きした木造校舎は、戦後引揚者寮とし10年前まで実際に使用されていたが、木造兵舎として全国唯一存在する貴重な遺産として保存運動の声が高まり、現在は市が中心となり解体・調査研究・修理保存・復元を進めている。画像は、解体直前の木造兵舎である。

ジョギングあるいはウオーキングは、単にトレーニングだけでなく、地域を発見し、考え、人生のエネルギーを吸収できる、効用の宝庫である。