
天平の昔8世紀の半ば、聖武天皇の時代は、仏教による国家鎮護が推進された時代であった。この頃は天然痘など疫病の流行、大地震の発生、農作物の不作など、国家を揺るがす災害が多発し、国の根幹が揺るいだ時代だったが、信仰や一心に祈ることが唯一の対策であった。聖武天皇も、仏教など信仰の力で災疫を抑えることを企図し、大仏造営や各地国分寺建立を推進したが、これらもそんな姿勢の表れである。後の平安や鎌倉・室町等の時代でも、多発する疫病や災害に対しては、祈りや信仰が国家鎮護の切り札として、唯一の主役となって登場した。今また、1300年弱の時を経て、新型コロナウイルスが列島上空を覆い尽くし、深刻な事態の状況である。現代医学や医療体制では対応できず、手の打ちようがなく、治療法がないという。最早一心に国家安護を祈るしか、対応しようがないのか。
本日3月1日の武州は長瀞の火祭りに、京都山城の国宇治の里から多数の修験者が駆けつけて、参集善男善女の無病息災・身体健全・家業繁栄を祈ると共に、疫病退散・国家安泰を祈願した。今年は、例年に比してとりわけ、気合入れて時間かけて、国家の隆盛、疫病退散、病気平癒が、修験者の裂帛の気合と共に祈願された。例年なら、一通りの般若心経の読経で終わるところを、何回も何回も、繰り返し繰り返し、疫病退散や国家安泰が祈られた。やはり、かっての鎮護国家ではないが、現状はただひたすら祈るしか対応がないのか。取り敢えず神仏に縋ることでもよい、何もしないよりよい、新型コロナウイルスの熱病が早く過ぎ去るのを待とう。
画像は、修験者のそうした祈願状況だが、音声があれば生々しい法螺貝や太鼓入りの熱気が分かるが、残念である。
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