goo blog サービス終了のお知らせ 

(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

土方さんを心で偲ぶ

2019-04-18 18:41:41 | 日記

  昨4月17日夕刻、桜から八重桜に移った上野在文化会館で、平松混声合唱団第34回定期演奏会あり、小生も昨年に引き続き堪能しました。平松混声合唱団通称ヒラコンは、テレビ・ラジオ・国際大会で活躍してるプロ合唱団で、その世界では品のいい合唱団として目下大いに注目されてる。指揮者平松剛一さんが率いて47年、コーラス界に伝説を作ってきたが、更に今も日々inovateしてる。この日も演目にロックのqueenメドレー取り入れたのには、驚ろいた。ここで平松剛一指揮者と、我が土方俊彦氏との関係に言及する。二人は都立八潮高校の教員として数十年の同僚であり、しかも人気教師の双璧であり、平松さんは音楽、土方さんはスポーツ系ボートで、八潮の教員の全盛時代を彩った。平松さんは芸大を出て八潮高校音楽教師に赴任し、同校合唱団を率いてNHK全国学校音楽コンクール全国金賞2回、全日本合唱コンクールでも全国銀賞2回など、赫々たる実績挙げ、1982年に平松混声合唱団を組織し現在に至っている。すなわち、土方さんと平松さんは同僚として、邯鄲切磋しあった仲であった。平松さんはその後都立三田高校音楽教師に転じ、この三田で私も平松さんと同僚教員として10年来の知己を得たのは、大変光栄であった。こうした経過で、平松混声合唱団の現在のメンバーは、すべて八潮と三田の卒業生つうかOB・OGである。画像は向かって、小生と右隣りに平松さん、更にその右は三田の卒業生で小生が担任した馬場さん、左端は同じ三田の卒業生で馬場さんと同学年の鈴木さんである。

 
 

 当日の演目は、queenメドレーもあったが、平成最後の演奏会として、平成31年間に演じてきた名残り深い曲をメドレーで、再演した。その中に”ふるさとの山に向ひて”があった。
      
              ふるさとの山に  山に向ひて
              言ふことなし   ふるさとの
              山は あ~ありがたきかな

              やはらかに柳  柳あをめる
              北上の 岸辺目に見ゆ
              う~ 泣けとごとくに 

指揮する平松さんの後ろ姿みていて、土方さんとオーバーラップして仕方なかったよ。元気な土方さんが指揮してるような気がして、仕方なかったよ。
 この歌は、石川啄木の詩に新井満さん作曲だが、同僚の平松さんの指揮に加え、過日の土方俊彦展がオープンした土方さんの心の世界を、甦がらえさせてくれた。寺山修二やふるさと賛歌関連の墨跡あったが、啄木があったか記憶にないが、いずれにしても土方さんの心の世界に繋がる歌だ。小生にとっては、土方さんを偲ぶ演奏会になってしまった。
 
 ここで少々脱線するが、新井満さんといえば新潟出で、新潟とふるさと関連いえば、坂口安吾だ。安吾は、旧制新潟中学を放校処分となり、”ふるさとに向ひて 言ふことなし”の一句残して新潟を去ったんは有名だが、今も新潟市の砂山(新潟大学近く)に、この一句が石碑となり屹立しおるよ。で又、安吾とくれば、我がボート界の先輩と関わり持つ。半藤一利さんだが、東大ボート部で大活躍し、五輪代表は逃がしたが、52年全日本で優勝するなど半端でなかった。卒業後の進路は、大手紙の新聞記者志望であったが、全日本優勝で大騒ぎして大酒飲んでるうちに願書提出を全て忘れてしまったという。似た事例が、我が桐友会員にもいるから、面白い。KT君だが、ボート合宿で焼酎飲んでるうちに、某大手航空会社の入社試験を忘れてしまったという。で、半藤さんは、作家高見順の小説の映画化でボートを漕ぐシーンが欲しいということで、東大OBとしてモデルとしてボートレースに出たことで、高見順と知己になり、そのツテで文芸春秋に入社できたという。文春の初仕事は、卒業前の3月であったが、人気作家坂口安吾からの原稿取りを命令された。当時安吾は、上州の桐生在住だったが、原稿は完成済ということで行くと、1枚も出来てなかった。この辺が無頼派の真骨頂だが、桐生に行った半藤さん、原稿を貰うどころか、安吾家に泊められ、毎晩晩酌の相手をさせられてしまった。飲みながら”安吾史観”の講義を受け、歴史の面白さに開眼したというが、その後の半藤さんの昭和史研究など、この時の安吾に触発されたもが元になったという。一週間も帰えって来ず、原稿も来ないというと、流石の文春も騒ぎだし、”何やってんだ、締切りは終ったぞ”と社からクレームが来た。流石の半藤さんも、慌てだし、安吾に”先生、ボクはこれで採用取り消しです”と泣きついたら、安吾は一晩に15枚もサラサラと書き、渡してくれたという。と言う余談・脱線話だが、ボートを巡る人と人の繋がりというか関わりあい、なかなかと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秩父路散策 | トップ | ボートOBと健康管理 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

日記」カテゴリの最新記事