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気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・215. : 大きな個性 ・・・ さもない話

2011-01-13 09:00:24 | Weblog
むかし 息子が食べ盛りのころ ・・・


同じ皿から肉など食べあっていると

  みる間にひとりで三枚も四枚も食べてしまう。

母が注意する。

「自分ひとりで食べてしまわないのよ」

息子は五枚目をつまみ上げた箸をしぶしぶ手元にもどす。

「もっと食べたいの?」

  「うん」

「お腹は大丈夫?」

  「大丈夫だよ」

「じゃ お母さん分を食べなさい」

・・・ そういって 自分の食べる分をわけてやる。



自分のつくった料理を おいしそうに食べてくれる光景を

  母は満足気にながめている。


注意するのは惜しむからではない。

身体を気づかい

  自分だけという自己中心的な考えを捨てさせたいからです。


喜んでどんどん手作りの料理を食べてくれることは

  母にとって無上に嬉しいことなのです。


評判のいい料理は

  たとえそれが安い原価の材料でつくられていようが

  ・・・ どんどんうれる。

あっという間に母親の分までみんなでいただいてしまう。

最後に一 二片のこると

  ・・・ なんとなく父や子の箸の動きがにぶる。


「母さん いい?」 きまって息子がすまなそうに聞く。

「ええ いいですよ。母さんは充分」

  母は一切れしか口にしていないのにそう答え

  ・・・ 皿を子どもにまわす。


自分は昼の残りものの塩じゃけと錦松梅ですましている。

「いいのかね」 私が心配してきくと

「脂物をつくったあとは あまり食べたくないものよ」

  と笑っているが

みていると別に油物の料理のときばかりではない。

・・・ いつもそうだ。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・214. : 大きな個性 ・・・ 「自分だけ」 

2011-01-13 06:00:31 | Weblog
・・・ 帰宅すると 家内がひとりで昼ごはんを食べている。


食卓をのぞくとアミの佃煮と白菜漬ぐらいしかのっていない。

「 ずいぶん貧しい昼メシだね 」 私が眉をひそめると

「 私ひとりですからね。ご馳走はいりませんよ。

  それに 私はこういう食事が好きなので ・・・ 」

  ・・・ と うまそうにお代わりをしています。


ひとりではご馳走をつくって食べる気がしないという。

これが 母親のごく当たり前の気持なのでしょうね。



母というものには

  ・・・ 「自分だけ」という欲望が露ほどもみられないのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・213. : 聞かれて答える ・・・ 「教わろう」とする人

2011-01-13 05:24:06 | Weblog
「 母は 私たちに教わろうとし

    実際に教わったのであるが

  私たちがかえって教わったのである。

  子に教わるという大きな精神を教わったのである。

  教えながらも それゆえに

    母をみくびる気持は一度も起こったことがなかった 」

  ・・・ 友松先生は しみじみと述懐しておられます。



わが子から つつましく 手を膝の上にのせて

「いろは」48文字を習う母の姿は たしかに無上に尊いものです。



一般にすぐれた人ほど 謙虚で自然にふるまうものです。


生半可の付け焼き刃式知識のの持主に限って

  鼻もちならぬ知識の押し売りをするようです。



母は 知恵という無学の学によって子を導く人です。

だからこそ

ノーベル賞をうけようが 博士号をとろうが

  一生 母から無限に学ぶものが残るのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・212. : 聞かれて答える ・・・ 「教わろう」とする

2011-01-13 05:23:04 | Weblog
人間は何事につけ

  競争心をわきたたせ 相手を裁断してやろうとする。


母親も 子どもと競いあい 負けまいとする。


しかし 母とは

この競いあう心を捨てて平凡に徹し

  「教わろう」とすることで ・・・

かえって子どもに

  ・・・ 人生の在り方を教えてくれる人なのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・211. : 聞かれて答える ・・・ 慕われる母

2011-01-13 05:22:21 | Weblog
子どもは 母の学識や知識・教養はの深浅で

  母を評価するものではありません。


母のありがたさや尊さは

学殖や知識のあるなしで 変わってくるものではないのです。



古い例で恐縮ですが ・・・


故友松円諦先生は

ひと夏かかって お母さんに「いろは」48文字を

  教えてあげたことがあるそうです。

お母さんは愕くほどの熱心さで学ばれ

  とうとう漢字まで憶えてしまったということです。

お母さまが四十すぎての話です。


先生は

「 いまでも 母の心持を察してみると

    たっとい(尊い)ことだと思う。

  えらがる母にはできない芸当である 」

  ・・・ と感謝しています。



これが ・・・ 子に慕われる母です。


「教わろう」という平凡な気持

自分をせせり出さないで 素直に 無学を悟った態度で臨む

その在るがままの母に ・・・ 子どもは感動するのです。


よほど心が練れていなければ できるものではありません。




* 2010.11  東ブータンで