気の広場

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母 ・・・154. : 子の気持を知る ・・・ 個性をつかみとる人

2010-12-30 15:00:51 | Weblog
人間は 十人十色です。


臆病な子もいれば 大胆な子もいる。

兄弟でも暗いところへ一人でいけない子と

  平気で真暗な便所へ出かける子もいます。


よく親は臆病な子を意気地なしだと叱ります。

それも必要な教育法です。

が かといって臆する心は直るものではないこともたしかです。



臆病な子は 自分の心の内部に不安を感じとる子どもです。

いつも自分の内側にたいして敏感で慎重なのです。


そうした子どもを暗闇へつき出してみても

  ・・・ 一層自閉的になるだけのことです。

おどかしてもダメです。



自分の臆する気持 不安な心を大切にする子には

  鍛錬よりも 不安をとりのぞく落着きと

  内心をのぞく自分の行為を決して悪くない

  ・・・ と自信をもたせてやることが必要なのです。


母親は ・・・ その個性を深くつかみとる人です。




* 2010.11  東ブータンで





正月のうんちく★ ・・・ 松竹梅 ② 「竹」

2010-12-30 14:00:21 | Weblog
「竹」


雪がつもって撓(たわ)んでも折れないしなやかさがあり

  節と節の間が みな急速に成長する青春の生命力をもつ。


また

竹の緑は 色が変わらず ・・・ 長寿を表し


「竹を割ったような性格」とは

  曲がったところや

  わだかまったところのない・・・ 高風清節なことをいいます。




註  清風 : 清らかなかぜ。さわやかな風。
   清節 : きよいみさお




* 2010.11  東ブータンで





正月のうんちく★ ・・・ 松竹梅 ① 「松」

2010-12-30 09:00:36 | Weblog
古来より めでたいもののしるしとして

  画題や正月の飾りに用いられるものに ・・・ 松竹梅があります。



松竹梅は また

 うな重や宴席のなどを三等級に分けるときも使われています。


そもそも松竹梅は

寒い冬に耐えてきた木を 雅(みやび)やかに表した言葉でしたが

いつの頃からか 上中下の順序を示すようになったものです。



「松」


常緑樹で 神の宿る神聖な木 ・・・ とされてきました。


百木の長として「松柏(まつがえ)の」という形容詞があります。


厳寒にも葉の色を変えず

艱難に耐え

固く節操を守る ・・・ という高雅なたくましさがあります。


樹齢も長く

樹脂は 松明として闇を照らし

松の葉の

  輪生は ・・・ 一家団欒

  対生は ・・・ 夫婦和合のしるし など

・・・ 長寿 平和 繁栄を示しています。



松の花は 「十返花(とかえりのはな)」といわれて

千年に十回花を咲かせるという ・・・ 長寿のシンボルです。





註 「松柏(まつがえ)の」
     松柏 : 常緑樹の代表
     松柏の : 〔枕〕 「栄える」にかかる

註 輪生 : 植物の葉序で 茎の一節に三枚以上の葉が輪状に着生すること
  対生 : 植物の葉序で 葉が二枚向かい合って茎につくこと




* 2010.11  東ブータンで




    

母 ・・・153. : 子の気持を知る ・・・ 好き嫌い

2010-12-30 08:14:14 | Weblog
子どもに好き嫌いがあると親は心を痛める。


食事しても偏食は母親を悩ませます。

無理しても食べさせようとする。

だが 嫌いなものは やはり きらいなのです。


子どもは そのきらいなものを

  ・・・ 誰よりも母に知ってもらいたいのです。



母は 子どもの好き嫌いを帳面につけておくわけではない。

細かい気のくばりで 自然に承知している。

この細やかな心くばりと配慮が ・・・ 母心です。


母は 決して三度の食事をただ食べさせればよいとか

  カロリーがとれたらそれでいいのだと機械的にわりきる

  ・・・ 大ざっぱな人ではありません。


一人一人の子どもの性格や気性を深くのみこんで

  ・・・ それぞれに応じた細かい配慮をしてくれるのが母です。



心配とは

  心をすみずみまでにまで行き届かせる気の配りよう

  ・・・ をいうのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・152. : 母の居る安らぎ ・・・ 母は家庭の太陽

2010-12-30 07:13:07 | Weblog
母心には 子どもへの生活力

  生きようという気力の支えになる力が潜んでいます。


「原始 女性は太陽であった」と平塚らいてうさんはいいます。


母は家庭の太陽でしょう。

その陽の光で 子どもはすくすく育つ。



素敵な家も 快適なセントラル・ヒーティングも

  母の柔和な微笑や愛撫に優(まさ)ることはできません。


母が与えてくれるやさしさと安堵感は

ちょうど夏の暑い日

  木陰で甘い豊かな果実で喉の渇きを癒してくれるような

  ・・・ 不思議な陶酔感があるものです。


「ただいま!」と帰ってくる子は

  その抱擁の喜びと痺れるような甘美な感覚を求め

  身体のひだのすみずみまで その果汁を吸いこもうと

  ・・・ 駆け込んでくるのです。


もしそのとき 母がいなかったら

  ・・・ 子どもの心は 蒼黒く凍りついてゆくでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで





正月のうんちく★ ・・・ 門松

2010-12-30 07:07:26 | Weblog
日本でいちばん「ハレ」の日といえば ・・・ お正月です。

日本人は お正月には「年神様」を迎えると考え

  ・・・ お正月の前からさまざまな準備をしました。


なかでも門松は主役級で

  ・・・ 年神様に迷わずお越しいただくための目印になるもの。


古くは

12月13日に 松迎えをして

12月20日~28日の間に 門などに門松として

  松を立てる「しきたり」がありました。


29日に立てるのを「九松」  ・・・ 苦待つ

31日に立てるのを「一夜松」 ・・・ 誠心のない意で 忌み嫌う。



鎌倉時代に竹を加えて松竹となり


江戸に入ってから一対にして

向かって右に ・・・ 雌松

向かって左に ・・・ 雄松 を竹とともに立てるようになりました。


松という字は

  偏が 十と八

  旁(つくり)が 公であることより

・・・ 松の異名として 「十八公」というそうです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・151. : 母の居る安らぎ ・・・ 共働きの母

2010-12-30 05:05:02 | Weblog
くる日もくる日も毎日が母の留守であり

  あの豊かな 柔らかな母の匂いを感ずることなくすごせば

  ・・・ 子どもは道草をくわずにはいられなくなる。


うちを出る勇気は うちへ帰る喜びが原動力なのですから

  ・・・ 母のいない子は 登校の力がうせてゆく。


共働きの母をもつ子どもの苦しみが ・・・ これです。



テーブルの上に果物やケーキが置かれていても

  たいてい食べ残してしまいます。

まして 子どもは母がいないと食欲もすすみません。


父と子だけの夕食は そそくさと味気ないものです。

笑い声一つ起こらない。

笑い興じながら食べすぎてしまう母との幸福な食事とくらべたら

  ・・・ まこと哀れなものです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・150. : 母の居る安らぎ ・・・ 鍵っ子の惨(みじ)めさ

2010-12-30 05:04:06 | Weblog
その子が家庭をつくるとき あるいは 愛する人を見出すとき

彼らの心性に映じてくるものは ・・・ 母の居る「うち」の姿です。

                            (再掲)


現在のように

昔にくらべて より長い期間にわたって

  親とともに暮らす「前社会人段階」をもった子供らは

  ・・・ なおさらのことです。


彼らが「家庭をもとう」と心に決めるのは ・・・

決して愛する人と一緒に住みたいという願望からのみではありません。

自分の育った家庭への深い甘美な幸福感を

  自分自身の手で獲得したいという気持に駆られるからです。


モデルは 母のいる茶の間です。

自分が息を切らしてとびこんだ「母心の居間」を自分の人生に創造したい

  ・・・ その願いのゆえに家庭をきずくのです。



家庭づくりをうとんじ 蔑(さげす)む青年には

  そうした魂を潤すような母の安居がなかったのでしょう。


鍵っ子の惨めさは 幼少期にあるのではなく

  ・・・ その子の未来にあるのです。



どんな裕福な家庭に育っても

また 母親が有名な評論家や 知的な活動家であっても ・・・

子どもが我が家で 大きな揺りかごに揺られているような

  深い休息感に満たされた時期を経なければ ・・・

結局 その子は

  孤独で不安な心をいだいたまま成長しなくてはなりません。


非行少年の心の空ろさが ・・・ それです。




* 2010.11  東ブータンで