気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・140. : 影のように ・・・ 病床の子どもごころ

2010-12-28 11:00:03 | Weblog
子どもは病気をすると 母がいつでも傍らにいることを願います。


二十歳すぎの青年でも 病気になると母を独占したがる。

子どもだけではない。

妻の中に母を描く夫は 病床からたえず妻(母)を求めるものです。



私が 5歳で病気にかかって入院したときのことです。


手術後 排便のために一日一回浣腸される。

三分から五分間ぐらいじいっとがまんしていなくてはならない。

苦しいから母を呼ぶ。


ところが 父が代わりにやってくる。

童話の本を読んで気をまぎらわしてくれるのだが

  それが無性に腹立たしい。

しまいには 父から本をとりあげて ほうりなげ

  「出ちゃうよお!」と叫ぶ。

そんなとき 父は恐い顔をして

  「男の子はがまんするものだ」と叱りつける。


母がいれば 童話の本を読んでくれなくても

「もう少しよ 頑張りましょうね

  早く治って また海へゆくんでしょう」と慰められただけで

  ・・・ 必死になって数分間を耐えようとする。


入院するとき おぶって運んでくれたのも父だし

童話の本や果物を運んでくれるのも父だったのに

  ・・・ やはり 母でなくては満たされない。


どの子も同じです。


ちょっと母の姿がみえないと 母を呼ぶ。

おこられても また母を呼ぶ。

父がきても 甘えない。

母がくると それだけでニコニコしている。

そばにいてもらいたいのです。


「用事もないのに呼ばないで。母さん忙しいんだから」と叱りながら

  それでいて ・・・ 母も喜んでいる。


  ・・・ これが 母心です。




* 2010.11  東ブータンで







 

母 ・・・139. : 影のように ・・・ 心なごむ思い

2010-12-28 07:54:44 | Weblog
ある詩人は 母のそばにいる感覚を

  「軽い 痺れるような感覚」といいあらわしています。



母は決して冷たく突き放す人ではない。

かりに 拒否するときでも

  すっと手を抜くようにして離れてゆく人だ という人もいます。



誰もが 母と子の連れだって歩く姿に心のなごむ思いがするのは

  母のそばにいる子どもの平安な顔つきに

    ・・・ うれしさを感じとるからでしょうね。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・138. : 影のように ・・・ 無条件の安らぎ

2010-12-28 06:28:24 | Weblog
母親が電車の中で子どもととなり合わせに座っているとき

  ・・・ そこには落着いた情感が漂っています。


子どもはたえず母に目を向ける。

母の囁きにうなずいたり笑ったりしている。


勢い込んで電車にとびのった母と子は

  顔をみあわせて笑い たえまなくしゃべりつづけています。



家庭でもそうです。

母親のかたわらで家庭科の宿題なのか

  エプロンや雑巾などを縫っているとき

どの娘も 幸せいっぱいの表情を浮かべています。



母のそばにいる。

そばに母がいる。

たったそれだけのことが

  子どもに平穏な安定感を与えてくれるのでしょう。

母もまた満足している。


「だめだめ もっとゆっくり目を細かく針を動かさなくては」

母の注意をうなづきながら聞く子どもの態度には

  ・・・ まかせきった無条件の安らぎがあります。



庭掃除のときも

友だちが訪ねてきたときも

  ・・・ 子どもは母にいてもらいたい。

母がいれば落着く。

母も落着いた世界が好きです。



息子が母親と落葉をかきあつめていると

  犬までが ・・・ じゃれついてくる。




* 2010.11  東ブータンで






母の「いつの間にか」  感化力      ( 母 : NO.137 )

2010-12-28 05:47:16 | Weblog
子どもの性格づくりのうえで むずかしいのは

  保護と自立という矛盾した働きを

  ・・・上手にバランスをとらなければならないことです。



家庭は

子どもに加えられる外部社会からの圧力を防ぐと同時に

子どもを教育して 社会化し

  ・・・ 自立させるよう育てあげなければなりません。


この二つは矛盾している。


過保護ときびしさのどちらかに偏ることによって

  子どもの性格は変わっていく。



このむずかしさは

  母のバランスのとれた心 平衡力がなくてはうまく保たれません。


「これでいいのかしら」といった反省力をもち

  控え目に 思慮深く やさしい慈愛と細心の母性愛をもって

  ・・・ 臨まなくては不可能です。


母が いつの間にか子どもを「感化」してしまうのですから ・・・

この「いつの間にか」という教育性に

  注意深い心を働かせてていなくてはならない。



素直な自然な心で子どもにとけこみ

  いたわりながら必要なこと 大切と思うことを

  ・・・ ビシッ ビシッとうちこんでゆかなくてはなりません。




* 2010.11  東ブータンで





いくら優秀な成績で東大を出ても ・・・  ( 母 : NO.136 )

2010-12-28 05:07:05 | Weblog
子どもの性格は

  幼いころからの母の育児 教育によって どうにでもなってゆく。



ドストエフスキーは

「 人間はなんにでもなれる動物だ。

  どんなことにも慣(な)れる存在だ 」といっています。


 彼は賭博と反政府運動でシベリアに流刑され 監獄でいろいろな人間を眺めて暮らした。そこには 実にさまざまの性格の人間がいた。ドストエフスキーは そのさまをみて つくづく人間はなんにでもなれる動物だと思ったのでしょう。



その「なんにでもなれる生物の子」人間に

  ・・・ 母は性格を与えるのです。


考えてみれば恐ろしい こわいような仕事です。



歪んだ性格に育てれば やがて知識を学んで

  ・・・ 人間を傷つける方法を考え出すかもしれません。


異常性格者になれば ・・・ 犯罪や殺人も起こす。

ヒットラーの例もある。

現代社会の異常は あるいは母が

  ・・・ 異常性格の人間に子どもを育てた結果かもしれない。


いくら優秀な成績で東大を出て

  高級官僚になっても 貧しい人や老いた人に冷酷だったり

  企業エリートになって

    平気で土地を買占めにゆく商社マンになったりするのは ・・・

彼らが 幼児から少年期にかけ 母から

  バランスのとれた育児教育をうけてこなかったためともいえましょうね。



この世を呪う前に そうした大人の母は

  ・・・ わが子の性格つくりに 深い反省をもつことです。





* 2010.11  東ブータンで




  

父と母が離婚しても ・・・ 人格の底   ( 母 : NO.135 )

2010-12-28 05:06:01 | Weblog
人格には 社会的要因が多分にふくまれていますし

すぐれた人格は

  忍耐強い 親切な 思いやりのある「性格」があってこそ結実します。

 あるいは

  自分のいやな性格を抑える「理性の力」によって育ちます。



しかし いずれにしても

  人格の底には 特定の「性格」が横たわっている。



おだやかな性格の子どもは

  かりに ・・・ 父と母が離婚しても

  ・・・ 両方の親に親しみをもち 批判したり 攻撃的にならない。


すでに

  ・・・ よい性格が身にそなわっているからです。




* 2010.11  東ブータンで