気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

悪徳商法 ・・・ 印相

2009-12-29 22:44:27 | Weblog
「 印鑑屋がきて、

  いろいろと言うことが あたっているのです ・・・

そして 印鑑を見せろ というので見せましたら、

  すぐに変えないと大変なことになる

  身内の誰かが死ぬ ・・・ というのです。

               どうしたらいいのでしょう ・・・ 」


私の印鑑などは、

  印相のほうからいえば、

なにを言われるかわからない悪相 ・・・ です。

印の枠は欠けています。

字も細くて書体も気に入りません。

それでいて、もう30年も使っておりますが ・・・

お金もそれほど困ったこともない ・・・ し

これという災難にも遭いません ・・・ し

死ぬほどの病気も ・・・ しておりません。


印鑑ぐらいの小道具で、

人間の運命が左右されるなら

風の動きでも運命が変わる ・・・ ことになります。


押し売りの印鑑屋や押し売りの信仰者、

もし、「病気をする、死ぬ、災難がくる」などと ・・・

精神的におどしているのなら、

それはまさしく悪徳をつくっている ・・・ のですから、

  間違いなく、その人は不運になる ・・・ にちがいありません。


この世界で、

  人をだますことが、

        一番の悪行 ・・・ です。


外だけをみて、

  善悪吉凶を論ずることは、

顔や衣装をみて、

その人の善悪を決めつける ・・・ のと同じです。

外相が悪くても

内相が悪い ・・・ とはかぎりません。


相より性を重視 ・・・ しなければなりません。




☆☆


ニブ感の人

2009-12-29 22:16:12 | Weblog
近頃は

 「 思う 」が

  「 感じる 」から離れて

   「 思考 」だけに

    なっているようです。


その結果、

 頭はいいが

 心は貧しい、

  という人に

   お目にかかる

    ・・・ ということになります。


本当は、

 感性が鋭く、

  かつ

 豊かでなければ

  創造的な仕事は

   できないはずなのですが、

 「 頭のよい 」ことが、

  「 記憶力がよい 」ことに

   置き換えられてしまったため、

 見るからにニブ感の人が

  堂々めぐりの

   議論をしています。


 そして

 「 なぜ 」ばかり

      追っています。




☆☆

美人

2009-12-29 22:05:08 | Weblog
「 美人 」は

 本とむかっている時間よりも

 鏡とむかっている時間のほうが

  長いから ・・・

   アタマの中味は薄い、

    というのは常識論ですが、

           意味は深い ・・・ です。


あるいは、

 「 美人 」は

  「 見られる 」ことばかり

     気にかけているから、

  自分から

   美しいものを

    「 見る 」ことをしない、

   というのも

     本当でしょう ・・・ ね。




☆☆

女の器量

2009-12-29 21:54:14 | Weblog
厚化粧もせず、

 流行のブランドものも

  身につけないのに、

その人の

 立ち居振舞いや

 ものの言い方だけで、

  部屋の中が

   明るくなるような人 ・・・


「 女の器量 」とは

   そんなものでは

     ないでしょうか。



☆☆

ほんとにいい親父だった ・・・

2009-12-29 21:44:22 | Weblog
Aさんは言った ・・・ 「ほんとにいい親父だった」 と。
私はてっきり、何かの理由で、亡くなった父親のいいところをほめるのだと思った。

 Aさんはさらに言葉を続けてこう言った。
「親父の入院している部屋は特別室で、部屋代だけで一日○○円、もし一年も二年も入院することになったら、部屋代だけでもどれだけかかるかと、そればっかり心配していたが、それがわずか三日でコロリ亡くなってしまった。ほんとにいい親父だった」 と。

 「 ・・・・・ 」










そばにいる大人が問題

2009-12-29 21:27:45 | Weblog
 「いろいろな教育を大人がしていくのだ」というふうに考えるのは間違いで、子どもと一緒にいることによって、その大人から「子どもは主体的に学び取っていく」 ・・・ そういう力を子どもは本来持っている ・・・ のだと思います。

 しかし、このことを子どもは本来ちゃんとした人格を持っているというふうに考えて、完全に自然主義というか、放任主義というか、子どものしたいように放っておくというのは、たいへんな間違いです。

 といって逆に、自分が子どもをなんとかしなきゃいけないと考えることも、たいへんな間違いです。
これがいわゆる、過保護とか過干渉という考え方になるからです。


 大人が一緒にそばにいることによって、大人が教え込むのではなく、子どもが大人から学び取るという、こういう形で育っていく ・・・ のだと思います。


 こうなると、そばにいる大人が問題になるわけで ・・・
教育技術だとか、何を教えるのかとか、どういう方法で遊ばせるのかとか、そういういろいろな問題もあるでしょうが ・・・ それ以上に大切なのは、「その子どものそばに、どのような考え方で、どのような生き方をした(している)人間がいたか(いるか)」が問題になってくるのです。

 つまり、子どもを育てることの技術以前の問題として、育てる者が人間としてどのような生き方であった(ある)か、またどのような人であった(ある)かが問題になってくる ・・・ のだと思います。










 

部屋いっぱいのオモチャ ・・・

2009-12-29 21:14:04 | Weblog
 玩具屋さんが店先いっぱいオモチャを並べているために、こどものオモチャは少なくなります。

 玩具屋さんさえ世の中になかったら ・・・
子どもたちは一本の棒を鉄砲にし、刀にし、ステッキにし、旗にし、指揮棒にします。
子どもたちは一枚の紙を鶴にし、自動車にし、箱にして遊びます。
 ・・・ この自由な空想が、新しいものをこの世にもたらす原動力になります。

 玩具屋さんがあるために ・・・
子どもたちは自動車の形をしていないと自動車と思わず、ピストルの形をしていないとピストルと思いません。
 ・・・ その空想の自由にはたらくことを制限され、活き活きした創造力を失ってしまいます。

 もちろん、オモチャが所有ということを教え、造形の意欲をそそり、社会に接触の窓を開くことは確かです。

 それゆえに ・・・
大人はオモチャを与えることのみ考えないで、与える時期と方法の問題について慎重に考える ・・・ ことが必要です、ね。

 ちなみに、部屋いっぱい、あふれるほどのオモチャなど ・・・ 問題外ではないでしょうか?
それは、親の愚かさの象徴では? ・・・ 失礼。










価値観が崩れ去るとき ・・・ Ⅰ

2009-12-29 20:53:28 | Weblog
 私は仕事柄、多くの人々の不幸に接する。

 ある日、致命的な癌に冒されていることがわかった人々、そのような進行癌の患者さんは後を絶たない。
そのような人々にとって、既存の価値観、肉体本位、金銭・物質本位の価値観は足元から崩れる。生きていることを前提としたすべての生活設計が、音もなく崩れる。誰も肩代わりしてくれない苦しみに、本人とその家族は耐えなければならない。

 彼らは治療法を求めて東奔西走する。
焦っているそういう人々をカモ(鴨)として待ち受ける、猟師のような商売が流行っている。カモの餌は奇跡の○○法のような類で、行き詰まった人々が前後の見境もなく飛びつくような装いをしている。しかし ・・・ 繰り返し広告しているものはたいていは金儲けの商売である。


 苦しみの本質は、”死”に直面しても耐えうるような光り輝く価値観を、健常なころより育んでこなかったところにある。










寝たきり ・・・ Ⅱ

2009-12-29 20:42:43 | Weblog
 健康の間は表面的には大したいさかいもなく一緒に暮らしてきた親子、夫婦。
脳卒中に限らず何の病気でもよいから一ヶ月も寝込んでみるとよく分かります。投げやりのよそよそしい看病をする妻、嫁、娘。

 寝ている病人の心は敏感です。
ものは言わなくても心では、その淋しさ悲しさを痛切に感じているのです。

 しかし、そうなることは、健康なときの家族関係の中において、すでに予見できるのかも知れません。

 たとえお互いどちらかが障害者になっても、真心こめて看病し合えるような人間関係を築き上げておきたいものです。


 死んでから先のことを考えてみれば、五体満足で生きている毎日毎日のわれわれの過ごし方は ・・・ 何といういい加減なものでありましょうか。










寝たきり ・・・ Ⅰ

2009-12-29 20:32:30 | Weblog
 公的施設の少ない日本では、倒れた老人の世話がそのまま息子夫婦の肩にかかり、しかも死ぬまで何年もつづくのです。

 それはやがて形だけの世話になり、心のつながりは失われ、病人の心も孤独のなかで、虚ろに荒んでいくことでありましょう。

 物質的生活以上の目的や心の支えがなかった人生が、倒れて初めて清算されて、寝たきりとなった虚ろな人生に反映されていくのでありましょう。


 しみじみと孤独をかみしめて、もはやどうにもならぬことに歯ぎしりしたくなるのでしょうか ・・・ 。
















病気は増える一方 ・・・ 

2009-12-29 20:22:26 | Weblog
 不思議なことに、今の日本では、これほど「医学は進歩した」といわれているのにもかかわらず、病気は増える一方で ・・・ 治らなければ、溜まる一方です。

・・・ 病気は毎日毎日、どうやら作られているらしいのです。
治していくより作られてくる量が多いものですから、差し引き勘定で増える一方ということです。

 治っていけば減るんでしょうけど ・・・ 治っていかないものですから、新しく病気は生まれて溜まる一方です。


・・・ やはり、一人一人が賢くならんと仕方がありませんね。




















本心無視の償い ・・・ 病

2009-12-29 20:12:21 | Weblog
 人間というものは、いつの日か自分の心の底、本心の言うことを聞かなければならないようになっています。
本心というものをとことん裏切って生きていくことはできないようになっています ・・・ いつかは暴露されます。

 気がついたときには、心身ともにズタズタにさいなまれて憐れな状態になっていることが多いわけです ・・・ 病気というかたちで本心無視の償いをさせられるわけです。

 どこか自分自身を裏切って生きていはしないか ・・・ ということです。

 自分の肚(はら)の奥底、心の底で本当に願っていること、こうしたいと思っていることが踏みにじられているような生き方をしていないか、劣等感にさいなまれて、どこかで我慢に我慢を重ねて生きているのではないか ・・・ ということを調べてみたらよいと思います。


 もしそうでしたら ・・・ 可能な限り、自分の本心を大切にして生きてみよう ・・・ と決心することです。





















 

事実を理屈に ・・・

2009-12-29 20:02:08 | Weblog
 昔もそうだったけど、近頃の若い人や子どもはひねこびた屁理屈を言って、それがたいへんえらいことのように思っていることが多いようです。

 それは、ものごとの事実を正しく見ないで、何かの理屈に事実の方を持っていってあてはめてみるように教育されているせいだと思いますが ・・・ まことに不幸なことです。

 人間が幸せになるには、事実を理屈にあてはめるのではなく、事実に理屈をあわせてみなければならないのです。
それでなければ、せっかくの理屈が生きてこない ・・・ のです。