伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

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いつの間にか親と同じ道を歩んでいた

2018-11-26 07:50:46 | 家族
 父は私が中学を卒業するまでイベントのたびに

 民謡を唄っていた。

 隣村までにも遠征していたらしい・・・。

 太鼓と三味線に合わせてよく響く声だった。

 普段は寡黙な父だったので驚きとともに恥ずかしかった。

 母は機嫌のよい時はよく鼻歌を歌っていたが私はいつも音痴とバカにしていた。

 が

 父が亡くなり母は70歳過ぎてから民謡を習い

 施設訪問までするようになった。

 声も凛として昔の音痴ではなかった。

 私は幼少の頃から歌が大好きだった。

 唄が友達だった。

 小学低学年の時学芸会で独唱をした。

 声質が高く頭の天辺から声を出す子だと笑われ

 母は恥ずかしくて小さくなっていた。

 若い音楽の女教師が小さなコーラスをつくり胆振の音楽祭などいろいろと

 参加した。

 学生時代は合唱部で思いっきり声を出した。

 中学の教師になっても年に一回の合唱コンクールでは生徒と一緒に声をだした。

 退職したら退職者教職員の合唱に入ろうと思っていたが札幌から伊達に移住した。

 移住して10年やっぱり歌いたいという思いが目覚め生涯学習の長生大学で

 コーラスを唄い、伊達童謡の会にも参加してステージにも立つようになった。

 二年前カラオケクラブにも入部した。

 今ここで私は年三回施設訪問をして唄っている。


 現役時代には考えもしなかった施設訪問

 何かこれも縁なのでしょうか・・・

 最近親と同じ道を歩んでいる自分に気が付き驚いている。

 両親も天からやっぱりネとニコニコしてみているかな?

 

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