裏庭の熊谷草・・・ヤッタネ
今日見ると蕾が14個に増えていた。
もっと
出てくるかも知れない・・・
去年よりも1個増えた。
昨年の熊谷草・・・貴重な花でなかなか育たないのでございます。
だての広報紙に
先日の長生大学の学芸発表会が載っていた。
裏庭の熊谷草・・・ヤッタネ
今日見ると蕾が14個に増えていた。
もっと
出てくるかも知れない・・・
去年よりも1個増えた。
昨年の熊谷草・・・貴重な花でなかなか育たないのでございます。
だての広報紙に
先日の長生大学の学芸発表会が載っていた。
日付が変わったらカルチャーセンター・・・
クラブの申し込み7月分
危なかった。
夜トイレに起きてはっと気が付きネットで申し込み
間に合った・・・良かった。
それにしても
月日の流れの速いこと
雪が融けて喜んでいたらもう4月
そうそう
4月から自転車のヘルメット装着努力義務
そして
またまた4月から町内会の班長が回ってきた。
我が班は一番人数が多く集金が大変
皆さん高齢化・・・班長になる人が少ないので
早く回ってくる。
我が家も後期高齢者なんだけど・・・と言うと
連合班長さんのUさんに(長生大学のかた)
「年齢でなく・・歳過ぎたら見た目ですよ・・・」と
言われた。
ふっふ・・・喜んでいいのか悲しんでいいのか。
連合班長さんは毎年・・・それに較べれば楽ですがね。
役員の皆さんご苦労様です。
4月それぞれの出発・・・。
朝は野菜ジュースと茶碗蒸しの軽い朝食
そして二紙の新聞を読む
その時に必ずBGMを
入れる。
ジャズだったり抒情歌 演歌 クラシック
その時の気分による・・・。
今日は演歌だった。
珍しく影を慕いて・・・はっとした
やっぱり名曲はいいもんです。
この歌には思い出がある
若かりし頃
K中学校の開校100周年記念のアトラクションの出し物で
職員のバンドに合わせてこの歌を唄った。
音域が広かったがその頃は楽に声が出た。
が
伊達に移住して演芸カラオケクラブに入部して施設訪問でこの歌を
唄おうとしたが高音部が汚い・・・でも今年は挑戦しょうと楽譜と
CDを探した。
そんなこんなで
今日も今日とて
午前中はつぶれてしまった。
二木紘三氏の「二木紘三のうた物語」より拝借させていただきました。
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 まぼろしの 影を慕いて雨に日に 2 わびしさよ せめて傷心(いたみ)のなぐさめに 3 君故に 永き人生(ひとよ)を霜枯れて |
《蛇足》 昭和初期の深刻な不況のなか、将来への不安や苦学の疲れなど困難な状況にあった明治大学生・古賀政男は、手痛い失恋を被ってしまいます。
昭和3年(1928)年夏、友人と宮城県の青根温泉を訪れた政男は、絶望のうちに自殺しようとその地の山中をさまよいましたが、彼を捜し求める友人の呼び声で我に返り、自殺を思いとどまります。
その夜、友人とともに泥酔するまで飲んだ政男は、音楽一筋で生きてゆく決心を固めました。帰京後は、その創設に参画した明大マンドリン倶楽部の定期演奏会を通じて、音楽活動を続けて行くことになります。
昭和3年(1928)11月25日に催された明大マンドリン倶楽部の第13回定期演奏会では、プロ歌手の佐藤千夜子が出演して、『波浮の港』など4曲を歌いました。
佐藤千夜子は、当時すでにスター歌手であり、学生のコンサートに出演するとは考えられませんでしたが、政男の熱意に打たれて、出演を承知したのです。
彼女は、翌年6月の第14回定期演奏会にも出演し、『野薔薇』など4曲を歌いました。
このとき、古賀政男作曲の『影を慕いて』が、ギターの合奏で演奏されました。それを聴いて、政男の作曲の才能を見抜いた佐藤千夜子は、それを歌謡曲にすることを勧めました。
歌謡曲となれば、歌詞を作らなければなりませんし、歌詞が生きるようにメロディを編曲することも必要になります。なかなか思うような作品に仕上がらず、彼は悩みました。
そんな折、スペインの世界的ギター奏者アンドレアス・セゴビアが来日、政男は同年10月26日の演奏会を聴きに行きました。自伝によると、セゴビアの名演に酔いしれ、「その興奮が収まらないうちに、私は一気に『影を慕いて』の詞と曲を作り上げた」とあります。
歌詞は、失恋して自殺しようと青根温泉の山中をさまよったときの心情がモチーフになったようです。
できあがった曲は、昭和5年(1930)10月20日、佐藤千夜子の唄で録音され、日本ビクターから発売されました。ところが、このレコードは期待されたほど売れず、評判にもなりませんでした。B面だったことも影響していたかもしれません。
古賀政男は気落ちしましたが、この曲を聴いた日本コロムビアの営業マンが彼の才能に気づき、専属作曲家として引き抜きました。
そして、『影を慕いて』を、当時まだ東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)の学生だった藤山一郎に歌わせました。昭和7年(1932)3月にレコードが発売されると、空前の大ヒットとなり、以後、古賀政男は順調に花形作曲家の道を歩むことになります。
(二木紘三)
今日一日スマホのラインに悩まされた。
朝から大きな音が・・・数十回
見ると株式何とやらで勝手にグループにされていた。
午後5時過ぎでやっと鳴らなくなったがTにみてもらい
操作してもらった。
友達以外の余計なラインは音の出ないように消してくれた。
何か言葉がヘン
中国からの発信か・・・?
最近スズメが少ないと思っていたが
気がつくと全くいない。
古米の餌も減らない。
鳥インフルエンザか?
ガラ類がひまわりを食べに来て
ヒヨドリが毎日訪れるようになった。
またまた千歳で鳥インフルエンザ・・・55万羽処分
と朝刊に出ていた。
その影響か??
春の日・・・のんびり日光浴のニャンコ