伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

伊達市探訪

2018-06-30 06:59:00 | 伊達・暮らし
 毎日ムシムシした日が続いている。

 昨日も雨降り・・・・

 晴れ間をぬって出かけた。

 旧体育館後に市民交流会館?がかなり前にできたらしい

 その探訪

 新しい建物で気持ちがいい・・・・

 


 ここは自由に使えるらしい





 ちょっとした会合などにもいいかもネ


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ジャコシカ50

2018-06-29 11:20:07 | ジャコシカ・・・小説
「まだあるの」

 「調子に乗ると止まらなくなるところがあるみたい」

 「へええっ」

 あやは今度ははっきりとした驚きの表情で志乃を見た。

 開店してまだわずか一年で、自分より年下の彼女が早くも社長の人物像をしっかりと捉えている

のには、違和感をすら感じた。

 しかも彼女の口調には、自分の見方に対する揺るぎない自信が窺えた。

 あやの中で初めて彼女に対する、警戒灯が点った。

 もしかしたら彼女は、ここに来るもっと前から、社長を知っていたのではないかとの考えが、ふ

と頭の隅を過(よぎ)った。

 いささかマイナス印象の強い志乃の社長評はともかく、ブデイック「フローラ」は期待以上の滑

り出しだった。

 うまく行く時はやること全部が、タイミング良く噛み合い、打つ手が次々と好結果を出していく。

 桐山昇という人物が40代の若さで、本業の輸入業を軌道に乗せ、続いて手を出したアパレル事

業も、新宿、上野、新橋と矢継ぎ早の出店を成功させているのは、確かに勢いに乗って打った手が、

うまく噛み合っているからだろう。

 あやは服飾学校を出てからこの4年、転々と渡り歩いてきた店のことを思い出していた。


 表通りの高級店も、下町の混み合った商店街の店もみな、一見華やかに賑わっていても、内実は

決して楽なものではないことをつぶさに見てきた。

 新しいフアッションに対する情熱は、いつも空回りをして気が付けば、眼の前の商品を売ること

に汲汲(きゅうきゅう)としていた。
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初めてキュウリ魚のお刺身を食べた

2018-06-28 16:46:49 | 料理
ご近所さんのYさんは大の釣り好き

 今はキュゥリが釣れるんですと・・・

 簡単に釣れて楽しいよ・・・と言ってくださるのだけれど

 私はいろいろと忙しくも何かと体調の心配が

 ありなかなか行けない。

 昨日又キュウリを下さった。

 

 あまりにも生きがいいのでシェフが刺身にしてくれた。

 あとはテンプラと塩付けにして保存。


 初めてのキュウリの刺身、身がしこしこしてとても美味しいと

 は感激

 私はテンプラのほうが美味しかった。


 Yさんいつもごちそうさまデス。

 


 上がカツオ 下の白いのがキュウリのお刺身


 


 キュウリのテンプラ


 
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いつの間にか

2018-06-27 23:29:30 | 自家菜園
 毎日パットしない日が続いている

 庭の雑草だけはニョキニョキ元気がいい・・・

 いつの間にか庭のハスカツプが食べごろになっていた。

 カラスに悪戯されないうちに採らなければ

 収穫したハスカップ


 ヨーグルトにかけると最高・・・。


 
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風化・・・・悲しい

2018-06-27 06:57:49 | 樺太
 終戦直後樺太からの引き揚げ船

 三船受難・・・道外はもとより道内でも知らない人が
 
 多いのに驚いた。

 今回吉永小百合の「北の桜守」の映画で少しは知られるように

 なったことは喜ばしい・・・。

 満州からの引き揚げは過酷で人数も多かったので皆の知ることで

 あるが

 樺太からの引揚者のことは中国の引揚者の陰に隠れて

 地味に人々が知ることになったようだ。

 語り部の殆んどは90歳前後


 1人逝き2人逝きして語り部もいなくなり風化しつつある。

 悲しいことです。


 今回私は施設訪問で

 何気に「岸壁の母」を選び唄うようになったが

 驚いたことに

この歌を

 満州からの引き揚げ船と間違っている方がいたのにはびっくりした。

 それも

 とても博学な方だったから・・・。

 岸壁の母は

 第二次大戦後ソ連による抑留から解放され、引き揚げ船で帰ってくる

 息子の帰りを岸壁で待つ、実在した母親をモデルにしている。

 昭和29年に菊池章子が唄いヒットし

 昭和46年に二葉百合子が浪曲調で吹き込み大ヒットとなり

 今なお坂元冬美などに歌い継がれている。

 
 先日ネットで台湾の歌手が杖をつき老婆の姿でよろよろと歩き

 絶叫して唄っている姿を見て

 余りもの過剰表現に

 悲劇が 喜劇化されているようで不愉快だった。

 品が無い・・・・。
コメント (2)
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