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伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

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人生いろいろ・・・眠れぬままに

2025-03-06 04:51:57 | 人生

前田ときさんの

川柳

99歳あとは神さま仏さま

の川柳を読み

何と月日の過ぎるのが早いことか・・・

と身につまされた。

ときさんには

もっともっと元気にエッセイを書き続けていて欲しい

と祈る気持ちである。

私達も早や伊達に移住して20年目になろうとしている

私もも二度と第二の故郷でもある伊達

2人の出会いの地である伊達に戻ることは考えずに

それぞれ伊達紋別駅を出発した。

しかし

40年後に再会し

この地に

帰って来た。

私は帰ることは考えたことが無かったが

再会して突然が伊達に移住したいと言った。

37年間わき目もふらずに走り続けてきた教員生活

思春期の少年に翻弄されながら

目を背けず

挑んできた現役時代

私生活では二人の子供を育てながら・・・

同僚に

1人でよくやってきましたね

子供さんもぐれずに・・・とよく言われた。

思春期の息子は危ない時もあったが

母の職業を理解し

踏みとどまっていた。

現役時代は必死だったせいか

辛いともあまり思わなかった。

退職した日は

とめどなく自然と涙が流れた・・・。

人知れず頑張って来た自分への涙である。

その直後の

との再会である。

その頃は

まだまだ現役時代の夢をみて

うなされていた。

子さんには伊達で辛かった現役時代を癒して欲しい

とも言われた。

だが

東京での過酷な生活・・・癒されたかったのは

本人でしょう・・・。

ここに何度も書いたが

私は田舎のお嬢さん

高校を卒業してすぐ札幌の大学へ

は一年伊達でバイトをして貯金し

一年後

住む家も決めずに上京

すぐ葉書が来た

手紙も転々として

一年後に住所が定まったという状況である。

だが

の偉いのは

最初から編集の仕事に携わっていたことである。

仕事をしながら夜は大学

順調に卒業

そして25歳の若さで無謀にも旅人という月刊誌を創刊

その後

魚の専門誌の編集

ウナギの養殖でマスコミに取り上げられ

30歳でダウン

殆ど寝なかったという。

退院して

大手の会社の社長の道楽で造った

第二会社に就職

水処理・・・濾過で特許を取る。

健康がすぐれず

55歳で会社倒産と同時に退職。

そして病弱だった妻が59歳の時に逝去。

その時

なんの虫の知らせか

私が退職しますと一通の葉書をに出した。

クラスメートからの住所を聞いて知っていた私は

数十年その住所を大事に保管していた。

もう

お孫さんもいるだろうと思っていたのに

は妻の突然の死で呆然自失だった。

20代の初め

私から文通を絶って数十年の月日が経っていた。

長くなったが

ここから

本論

さてさて

伊達に移住してどうだったか

10年間は2人で旅行しながら

伊達の自然に触れ

魚釣りなど楽しむ

は毎日数時間は某カフエで創作

その間

四冊の本を出した。

私は10年過ぎてから

長生大学へ

友達も増え生活も充実した

楽書きの会の同人にも誘われ

地方紙にエッセイが掲載されるようにもなった。

その頃からは体調がすぐれず

ペンを置く。

終の棲家になった

ここ第二の故郷伊達で

私達はこれから人生の最終章に

入ろうとしている。

未知の世界を恐れずに進もう・・・。

嬉しいことに

いつの頃からか

本間昭南の名が

Wikipediaに載るようになった。

本人はそれほどでもなさそうだが

ミーハーな私は超嬉しい

伊達ゆかりの著名人に作家として載っている。

 

就職した年22歳


 編集者として道内取材の

 ・・・・連絡船 22歳

 

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今生きている幸せ

2024-11-09 06:56:42 | 人生

伊達に移住して10年近く

私は月一札幌へ出かける他

どこにも行かなかった。

今年はこうしょうあぁしょうといつも正月になると志を立てるのだが

毎年流されてきた。

その頃は毎年旅行に行っていたし

も元気だったので

釣りとか近辺の散策

家庭菜園等などそれなりに毎日が充実していた。

も毎日

創作・・・

そんな日々だったが

何かが足りないと感じていた私

やっと重い腰を上げ

長生大学に入学・・・が移住してすぐに

講演していたので

長生のことは知っていた。

入学してあっという間の10,年

とうとう80路に突入

矢のように月日は過ぎた。

前置きが長くなったが

昨夜の

との会話

 

つらつら考えるに私は家にこもるタイプでなかったのネ

何かをしていなければ息が詰まる

ボクは毎日が幸せだよ・・・

朝起きて、あぁ今日も生きていた幸せ

空を見ても毎日外の風景を見てもテレビを見ても

毎日退屈することはない

幸せだと思うよ・・・

さんは人一倍苦労してきたからネ、でも偉いよね

そう思えるんだから

ブログなんか読むとシニアの男性は一日が長いとか何もすることが無い

と嘆いている人が多いから・・・でもそう思えるのは

今独りでないからだと思うよ・・・独りでもそう思えたかなぁー

しばし遠くを見る目

とっくにオッ死んでいたと思うよ

つらつら考えるに

人にもよるが

男性はえてして孤独に弱い

女性は独りでも活き活き生きていける

強い・・・こどもを産む性、母なる大地だもんね。

たまには

美味しいものを食べて残りの人生愉しんでくださいませ。

私の好きな写真

の若かりし頃・・・連絡船の中


 

背景色が何故か消えない

失礼しました。

 

 

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突然死

2024-03-24 05:47:21 | 人生

 一昨日は一睡もしなかった

 年に数回はある。

 人間だもの悩みはそれなりにある

 もっかの悩みはの健康

 手術をしなければならないのだが

 延ばしに延ばしている

 検査もしなければならないのに

 暖かくなってから・・・・と拒否。

 先日突然死したOさんのことを考えた

 人一倍健康には気を使い

 無農薬を食し

 長生大学にノルディックウォーキングのクラブも設立した。

 どんなに健康に気をつけていても

 入浴中にお風呂場で急死

 78歳・・・平均年齢にはまだ間がある。

 55歳の若さで脳溢血で急死した元同僚の教頭先生のことも

 頭を過ぎった。

 前日まで元気に勤務していた。

 自宅から学校まで毎日歩いて通っていたのに・・・。

 どんなに注意していても倒れたら危ない・・・。

 私も二年前一瞬動けなくなり

 検査入院した。

 それ以来

 血圧の薬は真面目に飲み

 毎日せっせとお水を飲んでいる。

 お水が命

 どんなに注意していても

 倒れる時は倒れる・・・。

 

 まだまだ身辺整理も断捨離もしていない

 のん気な二人である。

 それよりも

 好きなお鍋があるといまだに購入してしまうには

 呆れる・・・世間と真逆。

 

 二人ともする気がないのだ・・・。

 

 考えるときりもなや

 

 ドンマイドンマイ

 

 

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想い出の望羊諦

2023-10-20 16:42:05 | 人生

伊達に移住してすぐに洞爺の望羊諦に行った。

ここはの思い出深い場所・・・青春の出発点

まだ昔のまま存在していることに喜んでいた

以来

何度となく行った。

10代で上京するときはお気に入りの望羊諦で

一足先に札幌に進学していた私の元に葉書を書いた。

いよいよ東京に行く・・・とのこと

感慨深い葉書だった。

一年間伊達で学資など蓄え

住む場所も決めずいよいよ出発。

この写真は思い出の望羊諦をバックに10数年前のもの

 

も私も若かった。

時の過ぎるのは速すぎる

しばし立ち止まり

時を止めてみた。

まだ若々しかったを見ると胸が詰まった

もっともっと優しくしなければ・・・。

 

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思い出

2023-09-18 19:08:49 | 人生

 またまた夏日・・・暑い一日だった。

今日は敬老の日何か美味しいものを・・・

と考えていたが

夕方までお昼寝?してしまい

外はもう暗いのでパス。

今日は何故か朝から腰痛のせいか

意気が上がらない

ふたりして小学校時代の話をした。

の中学年の担任が転勤して私の担任に偶然なった話で

盛り上がった。

は小学時代の記憶はあまりなく

楽しいことは無かった・・・と言ったが

私は幼いころから夢想家で

自分の世界を作っていた。

小学生の頃胆振の子という文芸誌に

詩と作文が二回載ったのが

唯一の思い出だった。

そして冬はスキーで

大会ではいつも優勝していた。

スキーは後年教師になって役立った。

 

右が小学三年のわたし

真ん中が〇歳の娘

左が一歳頃の息子

 

 

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