伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

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故山田禮ニ先生の夢を見る

2024-08-09 12:08:29 | 山田禮ニ先生

今朝がた何故か故山田先生の夢を見た

10年ぶりのスナック・・・何故か私はイビサのリュツクに絵を描いているが

上手くいかない

山田先生にお願いすると

するーっと皮をむき(夢だから深く詮索しないでネ)

ブドウの絵を描きだした

もう閉店の時間

先生簡単でいいです・・・

というと

そのリュックを持って家で描いてくるとのこと

あれ・・・

その中には重要な書類が入っていたんだ・・・

というころで目が覚めた。

夢の中でも先生は優しかった。

過去ブログより

 

山田礼二先生のこと

2010-12-12 23:33:03 | 山田禮ニ先生
 我が家のリビングに山田先生の「母と子」と
 いうレリーフがかざられている。




 このレリーフは私が札幌のS中学校に勤務し
 ていた時の同僚で今は鬼籍になられた美術

 の山田先生から譲りうけたものである。

 もう20年にもなる・・・・・・・。

 山田先生は私の大先輩であったが、同じ学年
 を担当するチャンスがあり二年間机が隣同士
 だった。

 それはそれは温厚で何よりも純で万年青年とい
 う感じのかただった。

 飲むほどに酔うほどに饒舌になりいつも含蓄のあ
 るお話しを聞くことができた・・・・。

 先生は道南の瀬棚の出身で、生家は旅館だった
 らしい。

 俳優の山田吾一さんがいとこでどういう訳かその
 旅館で兄弟同様に育ったということだった。

 山田せんせいも元は演劇青年で吾一氏もその影響
 を受けて演劇を志し俳優になったらしい・・・・。

 先生の口癖は「女性は神秘で永遠のテーマだー」で
 あった。

 間もなく私は転勤し、先生は退職されほどなく、

 お亡くなりになられた・・・・。

 これから自由に製作ができるというのに・・・・・・・。

 あまりにも早いお別れだった。

 今も天国で

 女性は神秘だ

 永遠のテーマ

 だといいながらお酒を

 かたてに

 絵筆を握られておられるのでしょうか・・・・。

 彫塑、油絵、そして晩年は陶器も製作し、医大

 とか文化センターなどの講師も勤めておられたのに

 本当に惜しい人だった。

 山田先生のレリーフを見るたびに先生のことがしみじ
 みと偲ばれるこの頃である。

 山田先生は顔も声も吾一氏にそっくりでした・・・・。
 
 
  山田先生の作品集より
 
 
 






 青い女昭和30年


   独身時代唯一の作品















 

 

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故山田禮二先生の作品集から

2015-10-02 14:55:01 | 山田禮ニ先生
 リアルタイムアクセスが見られるようになってから


    元同僚だった故山田先生のことをネットで検索され


    (元教え子のかただと思う・・・)



    私のブログにも辿りついていることが分かり


    今日過去のブログから山田先生関係を調べ


    新たに先生のカタゴリーを作りましたので


    御覧下さい。



    徐々に先生の思い出も書いていきたいと思っていますが


    今日は作品集が見つかったので


    その中の一部を紹介します。









 青い女昭和30年


   独身時代唯一の作品













 1976年女の肖像





 1986年秋色駒ケ岳

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山田吾一氏のこと

2010-12-13 20:30:49 | 山田禮ニ先生
 昭南さんが上京して3年め何とナント23歳

 にして恐さ知らずというか恐れ多くも雑誌
 
 「旅人」を創刊した。






 それも3ヵ月しか続かなかったが・・・。

 たいしたモンダ。

 創刊号の目次には北海道のそうそうたる

 メンバーが名を連ねていた。


 山田吾一氏も座談会に参加している。

 モチロン、昭南さんが司会をしている。






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山田礼二先生のこと

2010-12-12 23:33:03 | 山田禮ニ先生
 我が家のリビングに山田先生の「母と子」と
 いうレリーフがかざられている。




 このレリーフは私が札幌のS中学校に勤務し
 ていた時の同僚で今は鬼籍になられた美術

 の山田先生から譲りうけたものである。

 もう20年にもなる・・・・・・・。

 山田先生は私の大先輩であったが、同じ学年
 を担当するチャンスがあり二年間机が隣同士
 だった。

 それはそれは温厚で何よりも純で万年青年とい
 う感じのかただった。

 飲むほどに酔うほどに饒舌になりいつも含蓄のあ
 るお話しを聞くことができた・・・・。

 先生は道南の瀬棚の出身で、生家は旅館だった
 らしい。

 俳優の山田吾一さんがいとこでどういう訳かその
 旅館で兄弟同様に育ったということだった。

 山田せんせいも元は演劇青年で吾一氏もその影響
 を受けて演劇を志し俳優になったらしい・・・・。

 先生の口癖は「女性は神秘で永遠のテーマだー」で
 あった。

 間もなく私は転勤し、先生は退職されほどなく、

 お亡くなりになられた・・・・。

 これから自由に製作ができるというのに・・・・・・・。

 あまりにも早いお別れだった。

 今も天国で

 女性は神秘だ

 永遠のテーマ

 だといいながらお酒を

 かたてに

 絵筆を握られておられるのでしょうか・・・・。

 彫塑、油絵、そして晩年は陶器も製作し、医大

 とか文化センターなどの講師も勤めておられたのに

 本当に惜しい人だった。

 山田先生のレリーフを見るたびに先生のことがしみじ
 みと偲ばれるこの頃である。

 山田先生は顔も声も吾一氏にそっくりでした・・・・。




 ところで昨日から猛吹雪で、今日はここ道南の地も一面

 雪景色である。

 ララもびっくりでいつもとは様子の違う外の景色にみとれて

 いる・・・・・。


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