「これは日本における化粧のルーツではないか・・・」と、しばしば論争になった写真のような埴輪があります。
これは丹(赤土)を顔面にほどこした埴輪です(「日本風俗史」p27より)。この埴輪は「入れ墨」と同じように日本における化粧の元祖だと、過去には言われていたのだそうですが、(今もそのような説を主張している学者さんもおられるとか???)でも、江馬氏は、はっきりと、この顔面に塗られている赤土は、『化粧ではない。』と書かれております。その理由として、日本書紀に書かれている、あの「海彦と山彦の物語」から分かると。、
そのお話をかいつまんで書いておきます。
「山彦と海彦の兄弟は、夫々の持っていた弓矢と釣り針を交換して釣りと狩りをしますが二人とも失敗します。そこで兄は弟に弓矢を返します。弟は兄から預かっていた釣り針を魚に取られてしまって返すことができません。山彦が謝って新しい釣り針を作り返すのですが兄は許しません」
というあのお話です。
その結果として、「一書にいう」として、日本書紀には、4、5通りのお話が書かれております。その中の一つに、「海彦山彦の物語にはこんな話もあったのか」と私を驚かすようなお話が載っております。
それは、「山彦」がなくした兄「海彦」の釣り針を海神<ワタツミ>から返してもらいます。それからしばらくしたある時、兄「海彦」は返してもらった針を使って釣りをしていました。側でその釣りを見ていた弟彦が、海神宮から帰る時、海神より教わった「おまじない」の言葉をうそぶくと、急に突風は吹いてきて、大波が押し寄せて、海彦は溺れ苦しみ、弟「山彦」に助けを求めます。そこで山彦が嘯くのを止めると、たちまち風は収まり、海彦は助かります。
助かった兄「海彦」は言います。
“お前の力はたいしたものだ。これからは私はあなたの「俳優<ワザオギ>」になろ”
と言ったと伝えられています。俳優<ワザオギ>とは「手振り足踏みなど面白げな技をして歌い舞い、神人を和らげ楽しませること」です。サーカスの道化師ですね。
「そして、兄はフンドシをして、赤土を手のひらや顔に塗って自分の身を汚した。」とあります。
だから、これら埴輪に見られる顔に塗られた赤土は、決して、化粧して美顔になったものだと言うことではない「自分の身を遜って、賤しく見せるための変身」であり、今一般に云われているような、美顔にするための「化粧」の始まりではないと、江馬氏は書かれております。