私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

j神功皇后の髪型

2016-12-04 10:47:13 | 日記

 上古之女性の髪風は、「島田髷」や「鼓髷」等と呼ばれた髪型が一般的で、その他の特別な女子用の髪型などは考えれない時代でした。しかし、女性である、しかも大変な美女でもある神功皇后が、この風習をお破ぶりになるのです。
 皇后は、「裂田溝<サクタノウナデ>」が完成すると、香椎宮にお帰りになり、夫「仲哀天皇」に賜った神からのお告げ、「西の国を討て」、を実行に移すべく用意をさせます。まず、自分の長く伸びた髪を梳かし、「西の国を討つ」という考えに対する神の啓示を受けようと海に入ります。すると、長い髪が自然に左右に別れます。左右に分かれたそれぞれの髪を、皇后は結いあげて、男児の髪型のような「髻<ミズラ>」にされます。

 この「髻」が「美豆良<ミズラ>」です。

                                   

 常識外れの誰もが真似の出来ない新しい女性の髪型のニューウモードが突然に世に出たのです。今なら、周りにいた女性は、だれしもが、直ぐ、その髪型を見て、自分の新しい髪型に取り入れ、「美豆良」も女性の髪型となって流行するのですが、その時は神功皇后一人の髪型としかならなかったのです。なんでもかんでも無批判に、流行にすぐ飛び付くような現代風な女性???は、当時の日本には、誰一人としていなかったのでしょうかね。これは、ちょっとばかり、例のトランプ氏のような女性軽視だと抗議が有るかもしれませんがね???

 この神功皇后の髪型について、「日本風俗史」で江馬氏は

          “神功皇后は御征韓の時、松浦川に下髪を浸して自ら二つに分かれたままを「美豆良」とし給ひ、・・・・・”

 と書いています。