私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「どげえにして そげえに いらんことばあ かくんあら、てえげえにせえよ」と言われるけれど

2016-12-05 09:21:35 | 日記

  何やかやと横道にそれながら書いてきましたが、まだ当分その「いらんことばあ」を書いてみますので、よろしければお付き合いください。

 神功皇后の時代の髪型について、江馬氏の本から抜き出して書いてきましたが、ついでのことに、この本で氏は、更に、髪飾、化粧、冠物、衣服、履き物など我が国の上古の容儀服飾についても説明してあります。なかなか、そのようなことに目が触れる機会も少ないと思われますので、「てえげえにせえよ」という声は聞こえてきそうですが、それでもくどくどしく書きますので、お暇ならお付き合いくださいますようお願い申上げます。

 まずは「髪飾」についてです。
      
     ①櫛について
 「櫛は「奇<クシ>」からきており、起源はイザナギノミコトが黄泉国に行かれた時、その左の美豆良に挿した湯津々間櫛の男柱を折って之に点火して炬火<カガリビ>の代わりとされたことが文献の初見である」
   と。なお、この櫛の男柱と言うのは一番端にある太い歯を云うのだそうです。なお、この時代の櫛は竹製であったのではと言われる理由は。イザナギが黄泉の国から逃げ帰る時に鬼に追われますが、その時美豆良にさしていた櫛を投げつけると、筍<タケノコ>が生えたと言うことから考えても、櫛が竹製であったことには間違いないと、書かれております。

    ②髻華<ウズ>
 生花や枝を頭に挿すもの。あの日本武尊も橿の葉を頭に挿したと言い伝えられています。

    ③鬘<ミズラ>
 髪に巻き掛ける蔓等です。日蔭蔓、さねかずら、すいかずら等の蔓草を髪にに挿して飾りとしました。簪の元祖です。あのアメノウズメノミコトが天岩戸の前で踊った時に、その髪の乱れを防ぐために髪に巻いたとされる正木蔓も、上古の人々の髪を飾る鬘<ミズラ>です。

 なお、この上古の「髻華」や「鬘」の髪飾は、戦国の世になって、あの武士たちが被る兜の模様に変化したものではないかと言われています。