前回に引き続き旅行記です。8月2日、成田から無事クアラルンプール国際空港(略称KLIA)に到着した。出口でJTBのガイドが出迎えている。マレー人だろうと思っていたが、現地に住んでいる日本人でUさんという50代くらいのおばはんだった。「あと2人来るから待ってて」とのこと。…あと2人?パッケージツアーなのにそれしかいないのか?そのうち中年の夫婦が来て、「そろいましたね。じゃあ行きましょう」となり、KLIAを出た。このKLIA、設計したのは日本の黒川紀章という大御所建築家(晩年都知事選に出たおじいさん、妻は女優の若尾文子)で、1998年にオープンしたばかり。そのため成田と比べてもそん色ないきれいな空港である。
ターミナル内はこんな感じ。
空港を出ると小さめのバスが待っていて、自分と中年夫婦の計3人の参加者と、ガイドのUさん、それにマレー人の運転手が乗り、がらがらで出発。この日の夕食は自分一人で食べる予定で、一人で出かけるのは不安なのでホテルのルームサービスにしようと思っていたが、あわよくばバスに同乗した参加者と仲良くなっていっしょに外で食べようかとも考えていたので、例の夫婦にいろいろ話しかけてみた。しかし向こうは相槌を打つ程度であまり食いついてこないので断念し、Uさんの話を聞くことにした。空港の周り同様、高速道路の周りも一面油ヤシの畑である。Uさんによると以前はすべて天然ゴムだったが、マレーシアが油ヤシ生産に転換してから一気にヤシ畑になったらしい。また、高速道路のガードレールにはたくさんのマレーシア国旗がついている。日本では見られない光景だ。企業の看板も多数あり、マレー語と英語が混在していて面白い。
KL中心部に入ると、新しい都市だからか、東京よりも近代的な高層ビル街が広がり、その隙間には中国系の庶民的な店が商店街を作っている。さながら映画「ブレードランナー」のようだ。例の夫婦は宿泊するホテルが違うらしく、先に降りてしまった。ガイドがホテルの案内のため一時抜けたので、バスの中には自分と運転手の2人だけ。話すチャンス!と思い運転手に「KLでお勧めの場所はありますか?」と聞いてみた。ところが答えが全く聞き取れない。地元の人が話すマレー語は、日本で学ぶものや、CM・アナウンス、空港職員の話すものと全く違い、訛りが激しいうえに文法も乱れていて意味不明なのだ。何とか会話を成立させようとしたがうまくいかず、仕方ないので
「マレー語の聞き取りがうまくないので英語でもいいですか?」と聞くと
「それなら僕じゃなくてガイドさんと話したほうがいいよ」
そんな…。ものすごく気まずい雰囲気になってしまった。それでも向こうも粘ってくれて、KLの外だがケランタン州のコタバルが“bagus(いい)”だと教えてくれた。遠すぎて行けないが(笑)。そしてさらに聞いてきた。
「あんたはどこの国から来た?」
「日本です」
「日本人なのにマレー語話すのかい?」
「去年から大学でマレー語を勉強してるんです!」
“Oh...”
若干驚かれた。もうこれだけで満足だ。直後にガイドのUさんが戻ってきて運転手と話し出した。どうやら運転手が「この学生さんと話したぞ」的なことを言っているらしい。というか、ふつうに話せているUさんがすごい。
ついに宿泊するホテル「ノボテル クアラルンプールシティセンター」に到着。チェックインの際に住所を記入するのだが、西洋式に「部屋番号・番地・市区町村・都道府県・国」の順で書かなければならない。Uさんが「私が書こうか?言ってくれれば書いてあげるよ」と言ってくれたので「神奈川県横浜市○○区××町△△番地□□号です」と答えると、何と「△△, Yokohama, Kanagawa-Ken, JAPAN」と書きやがった。「こんなもんで大丈夫よ」…て、泊まるのはあんたじゃないぞ!どうもUさんは現地暮らしが長いせいかマレーの乗りで仕事をしている。不安なんですが。部屋は806号室。カードキーを渡され、Uさんに「挿して抜いたら8って押すんだよ」と言われ、「貴重品の管理は気をつけてくださいね。それじゃ」とエレベーターで別れてしまった。エレベーターに乗ったが、部屋のある8階を押してもボタンが点灯しない。焦って点灯させられる4階に行って降りると、そこにはスパしかなく、階段もない。スパの職員に妙な目で見られる。仕方なくエレベーターに戻ってよく観察すると、何とカードの差込口を発見。同乗したインド人らしき3人組がカードを指して抜いた後、自分たちの泊まる階を押していた。そういうことか!「エレベーターで」と言ってくれよ、と思いつつ自分も同じようにする。見事8階に行けた。
806号室をみつけてドアノブにカードを入れるとドアが開いた。部屋は真っ暗で、机のスタンドがついているのみ。天井やベッドの電気のスイッチらしき物を見つけて切り替えてみたのだが一向に電気がつかない。トラブルか?とりあえず机にあったホテルのガイドブックを読んでみたが情報はない。焦っているところへ突然電話がかかってきた。何かまずいことでもあったのか?とパニック状態。英語で応対できるだろうかと不安になって“Hello?”と出てみると、「もしもし、ガイドのUです」と例の適当なUさんからだった。翌日マラッカに行って向こうに泊まることの確認で、「ああ、それなら大丈夫です。じゃあ」とあっさり終わった。とりあえず電気をつけなければならない。懐中電灯はさすがにいらないだろうと、もってこなかったことが悔やまれた。部屋中うろうろしていると、ドア付近にカードのさせそうな隙間を発見。もしや…?カードを入れてみると、一斉に電気がついた!一人で大喜びである。こんなこともわからないとは、どれだけホテル慣れしていないのか…。
いったん落ち着いて座り、ルームサービスを頼もうとしたところでまたしても問題が発覚。4日に空港へ戻るとき、19時にホテルで集合することになっていたので、3日にマラッカに泊まりに行く際、スーツケースはホテルに預け、4日にKL観光を終えた後19時までにホテルに取りに戻ればいいと思っていた。しかしホテルのチェックアウト時刻は4日の12時で、KLを刊行していては12時までにホテルに戻れない。荷物といいチェックアウトといいどうすればいいんだ?仕方ないので適当なUさんに電話で聞いてみると、「それならね、明日に自分からチェックアウトしちゃって、荷物はチェックアウト時刻以降でも預かってくれるはずだから、ちゃんと説明して頼めば大丈夫よ」とのこと。「できるよね?じゃあ」と切られてしまった。ホテルは空港同様、客とのやり取りは英語なのでまだ安心とはいえ、こんな依頼を英語で済ませるのは初めての客にはハードルが高すぎる。面倒なことになった。
しかしとにかく空腹だったので、食事後に相談することにし、電話でルームサービスを頼む。電話の向こうは声が曇るのでこれだけでもつらい。何とかハンバーガーとシーザーサラダを注文。25分後、きれいな英語を話す従業員が持ってきてくれた。いくつか聞きたいことがあったので挑戦。
「これはクレジットカードで支払えますか?」
“Yes!”
「わかりました。もう一つあるんですが…冷蔵庫にある飲み物を飲んだら、チェックアウト後に払うんですか?」
“Yes!”
「じゃあ、品目を書き込むレシートか何かがあるんでしょうか?」
「いえ、フロントで何を飲んだか申告してください」
「なるほど、分かりました。ありがとうございます」
全部英語でできた!リスニング教材でよく耳にするような会話だが、自分でこなすのは難度がけた違いに高い。意思疎通のできる人がいるだけでうれしくなり、引き留めて雑談を仕掛けてしまった。
「実は一人で旅行するのは初めてで、えらく緊張してるんです」
「おひとりですか!」
「ええ。それも日本から」
「そうですか。Thank you!」
…もう行ってしまった。一人でさびしくサラダとバーガーを食べる。
これ、量多すぎだろ?サラダって小さい皿に入っているのを予想していたのに、大皿でチキンまでついている。バーガーもでかい。特に、野菜のきゅうりが巨大。太さは日本のきゅうりの3倍以上あり、メロンのような種が入っている。味も上等とは言えず、サラダのチキンはパサパサで、バーガーのパテとベーコンはガチガチ。やってはいけないことだと思いつつも3分の1近く残してしまった。
荷物の相談をする前に、ウェイクアップコールを頼んでおく。電話をつなぐと出てきた従業員の英語が…わからん。これが噂のマレー訛りの英語、通称マングリッシュ。とりあえず
「ウェイクアップコールをお願いできますか?」
「ヤーシュアー!ワッタイムサー?」 …マレー語に聞こえるぞ。
「午前6:15でお願いします」
「○△※~?」 …は?
「もう一度言ってください」
「○△~one time~?」 1回呼ぶだけでいいってことか。よくわからないのでとりあえず
“Yeah”
「オーケーセンキュー!グッナーイ!」
なんか不安だ。携帯と腕時計のアラームをセットしておく。
そして、ついに荷物の相談である。自分の予定をメモに書き、フロントへ。まずは両替を頼み、10リンギット札を崩してもらう。その後続けてたずねようとしたが言い出せない。いったん引き揚げてエレベーターの前で呼吸を整える。フロントの係員やエレベーターから出てきたアラブあるいはペルシャ系の人に変な目で見られているのがわかる。意を決して再びフロントへ。
「すみません、荷物の預け入れのことでお聞きしたいことが…」
「預け入れというとセーフティーボックスですか?」
「はい、そんなようなものです。予定を説明させてください…(中略)…これで可能ですか?」
「ええ、可能です。明日チェックアウトされる際に、再び荷物のことを係員に申告してくだされば保管します」
「そうですか。ありがとうございます!」
できた!もはや奇跡。一安心して部屋に戻った。気が付くと、部屋で靴から履き替えたスリッパのままで歩いていた。そのうえ鞄をやたらしっかり持ってフロントのあたりをうろうろしていたのだから、すりや誘拐のカモになる雰囲気丸出しだった。襲われなくて良かった…。
へとへとになりながら風呂に入り、翌日のマラッカ行きの支度をすると午前0時を回っていた。6時間程度しか寝られないのか。朝になったら、また荷物の件でフロントに話をつけなけ、電車を乗り継いでマラッカ行のバスターミナルに一人で行かなければならない。さらに、同時期にマレーシアに滞在している同級生とバスターミナルで合流することになっている。上手くいくのだろうか。
次回は、マレーシアの土着情緒にびびります。
ターミナル内はこんな感じ。
空港を出ると小さめのバスが待っていて、自分と中年夫婦の計3人の参加者と、ガイドのUさん、それにマレー人の運転手が乗り、がらがらで出発。この日の夕食は自分一人で食べる予定で、一人で出かけるのは不安なのでホテルのルームサービスにしようと思っていたが、あわよくばバスに同乗した参加者と仲良くなっていっしょに外で食べようかとも考えていたので、例の夫婦にいろいろ話しかけてみた。しかし向こうは相槌を打つ程度であまり食いついてこないので断念し、Uさんの話を聞くことにした。空港の周り同様、高速道路の周りも一面油ヤシの畑である。Uさんによると以前はすべて天然ゴムだったが、マレーシアが油ヤシ生産に転換してから一気にヤシ畑になったらしい。また、高速道路のガードレールにはたくさんのマレーシア国旗がついている。日本では見られない光景だ。企業の看板も多数あり、マレー語と英語が混在していて面白い。
KL中心部に入ると、新しい都市だからか、東京よりも近代的な高層ビル街が広がり、その隙間には中国系の庶民的な店が商店街を作っている。さながら映画「ブレードランナー」のようだ。例の夫婦は宿泊するホテルが違うらしく、先に降りてしまった。ガイドがホテルの案内のため一時抜けたので、バスの中には自分と運転手の2人だけ。話すチャンス!と思い運転手に「KLでお勧めの場所はありますか?」と聞いてみた。ところが答えが全く聞き取れない。地元の人が話すマレー語は、日本で学ぶものや、CM・アナウンス、空港職員の話すものと全く違い、訛りが激しいうえに文法も乱れていて意味不明なのだ。何とか会話を成立させようとしたがうまくいかず、仕方ないので
「マレー語の聞き取りがうまくないので英語でもいいですか?」と聞くと
「それなら僕じゃなくてガイドさんと話したほうがいいよ」
そんな…。ものすごく気まずい雰囲気になってしまった。それでも向こうも粘ってくれて、KLの外だがケランタン州のコタバルが“bagus(いい)”だと教えてくれた。遠すぎて行けないが(笑)。そしてさらに聞いてきた。
「あんたはどこの国から来た?」
「日本です」
「日本人なのにマレー語話すのかい?」
「去年から大学でマレー語を勉強してるんです!」
“Oh...”
若干驚かれた。もうこれだけで満足だ。直後にガイドのUさんが戻ってきて運転手と話し出した。どうやら運転手が「この学生さんと話したぞ」的なことを言っているらしい。というか、ふつうに話せているUさんがすごい。
ついに宿泊するホテル「ノボテル クアラルンプールシティセンター」に到着。チェックインの際に住所を記入するのだが、西洋式に「部屋番号・番地・市区町村・都道府県・国」の順で書かなければならない。Uさんが「私が書こうか?言ってくれれば書いてあげるよ」と言ってくれたので「神奈川県横浜市○○区××町△△番地□□号です」と答えると、何と「△△, Yokohama, Kanagawa-Ken, JAPAN」と書きやがった。「こんなもんで大丈夫よ」…て、泊まるのはあんたじゃないぞ!どうもUさんは現地暮らしが長いせいかマレーの乗りで仕事をしている。不安なんですが。部屋は806号室。カードキーを渡され、Uさんに「挿して抜いたら8って押すんだよ」と言われ、「貴重品の管理は気をつけてくださいね。それじゃ」とエレベーターで別れてしまった。エレベーターに乗ったが、部屋のある8階を押してもボタンが点灯しない。焦って点灯させられる4階に行って降りると、そこにはスパしかなく、階段もない。スパの職員に妙な目で見られる。仕方なくエレベーターに戻ってよく観察すると、何とカードの差込口を発見。同乗したインド人らしき3人組がカードを指して抜いた後、自分たちの泊まる階を押していた。そういうことか!「エレベーターで」と言ってくれよ、と思いつつ自分も同じようにする。見事8階に行けた。
806号室をみつけてドアノブにカードを入れるとドアが開いた。部屋は真っ暗で、机のスタンドがついているのみ。天井やベッドの電気のスイッチらしき物を見つけて切り替えてみたのだが一向に電気がつかない。トラブルか?とりあえず机にあったホテルのガイドブックを読んでみたが情報はない。焦っているところへ突然電話がかかってきた。何かまずいことでもあったのか?とパニック状態。英語で応対できるだろうかと不安になって“Hello?”と出てみると、「もしもし、ガイドのUです」と例の適当なUさんからだった。翌日マラッカに行って向こうに泊まることの確認で、「ああ、それなら大丈夫です。じゃあ」とあっさり終わった。とりあえず電気をつけなければならない。懐中電灯はさすがにいらないだろうと、もってこなかったことが悔やまれた。部屋中うろうろしていると、ドア付近にカードのさせそうな隙間を発見。もしや…?カードを入れてみると、一斉に電気がついた!一人で大喜びである。こんなこともわからないとは、どれだけホテル慣れしていないのか…。
いったん落ち着いて座り、ルームサービスを頼もうとしたところでまたしても問題が発覚。4日に空港へ戻るとき、19時にホテルで集合することになっていたので、3日にマラッカに泊まりに行く際、スーツケースはホテルに預け、4日にKL観光を終えた後19時までにホテルに取りに戻ればいいと思っていた。しかしホテルのチェックアウト時刻は4日の12時で、KLを刊行していては12時までにホテルに戻れない。荷物といいチェックアウトといいどうすればいいんだ?仕方ないので適当なUさんに電話で聞いてみると、「それならね、明日に自分からチェックアウトしちゃって、荷物はチェックアウト時刻以降でも預かってくれるはずだから、ちゃんと説明して頼めば大丈夫よ」とのこと。「できるよね?じゃあ」と切られてしまった。ホテルは空港同様、客とのやり取りは英語なのでまだ安心とはいえ、こんな依頼を英語で済ませるのは初めての客にはハードルが高すぎる。面倒なことになった。
しかしとにかく空腹だったので、食事後に相談することにし、電話でルームサービスを頼む。電話の向こうは声が曇るのでこれだけでもつらい。何とかハンバーガーとシーザーサラダを注文。25分後、きれいな英語を話す従業員が持ってきてくれた。いくつか聞きたいことがあったので挑戦。
「これはクレジットカードで支払えますか?」
“Yes!”
「わかりました。もう一つあるんですが…冷蔵庫にある飲み物を飲んだら、チェックアウト後に払うんですか?」
“Yes!”
「じゃあ、品目を書き込むレシートか何かがあるんでしょうか?」
「いえ、フロントで何を飲んだか申告してください」
「なるほど、分かりました。ありがとうございます」
全部英語でできた!リスニング教材でよく耳にするような会話だが、自分でこなすのは難度がけた違いに高い。意思疎通のできる人がいるだけでうれしくなり、引き留めて雑談を仕掛けてしまった。
「実は一人で旅行するのは初めてで、えらく緊張してるんです」
「おひとりですか!」
「ええ。それも日本から」
「そうですか。Thank you!」
…もう行ってしまった。一人でさびしくサラダとバーガーを食べる。
これ、量多すぎだろ?サラダって小さい皿に入っているのを予想していたのに、大皿でチキンまでついている。バーガーもでかい。特に、野菜のきゅうりが巨大。太さは日本のきゅうりの3倍以上あり、メロンのような種が入っている。味も上等とは言えず、サラダのチキンはパサパサで、バーガーのパテとベーコンはガチガチ。やってはいけないことだと思いつつも3分の1近く残してしまった。
荷物の相談をする前に、ウェイクアップコールを頼んでおく。電話をつなぐと出てきた従業員の英語が…わからん。これが噂のマレー訛りの英語、通称マングリッシュ。とりあえず
「ウェイクアップコールをお願いできますか?」
「ヤーシュアー!ワッタイムサー?」 …マレー語に聞こえるぞ。
「午前6:15でお願いします」
「○△※~?」 …は?
「もう一度言ってください」
「○△~one time~?」 1回呼ぶだけでいいってことか。よくわからないのでとりあえず
“Yeah”
「オーケーセンキュー!グッナーイ!」
なんか不安だ。携帯と腕時計のアラームをセットしておく。
そして、ついに荷物の相談である。自分の予定をメモに書き、フロントへ。まずは両替を頼み、10リンギット札を崩してもらう。その後続けてたずねようとしたが言い出せない。いったん引き揚げてエレベーターの前で呼吸を整える。フロントの係員やエレベーターから出てきたアラブあるいはペルシャ系の人に変な目で見られているのがわかる。意を決して再びフロントへ。
「すみません、荷物の預け入れのことでお聞きしたいことが…」
「預け入れというとセーフティーボックスですか?」
「はい、そんなようなものです。予定を説明させてください…(中略)…これで可能ですか?」
「ええ、可能です。明日チェックアウトされる際に、再び荷物のことを係員に申告してくだされば保管します」
「そうですか。ありがとうございます!」
できた!もはや奇跡。一安心して部屋に戻った。気が付くと、部屋で靴から履き替えたスリッパのままで歩いていた。そのうえ鞄をやたらしっかり持ってフロントのあたりをうろうろしていたのだから、すりや誘拐のカモになる雰囲気丸出しだった。襲われなくて良かった…。
へとへとになりながら風呂に入り、翌日のマラッカ行きの支度をすると午前0時を回っていた。6時間程度しか寝られないのか。朝になったら、また荷物の件でフロントに話をつけなけ、電車を乗り継いでマラッカ行のバスターミナルに一人で行かなければならない。さらに、同時期にマレーシアに滞在している同級生とバスターミナルで合流することになっている。上手くいくのだろうか。
次回は、マレーシアの土着情緒にびびります。