BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

マレー・インドネシア語

2011-08-01 23:02:54 | 雑記
 またしても更新が滞りがちで申し訳ありません。ネタを練る暇がないので、ついにマレー・インドネシア語ネタで行きます。

 自分は昨年以来マレー・インドネシア語を学んでいる。昨年度はマレー語、今年度はインドネシア語。もともとは時間割を埋めるために始めたのだが、いつの間にかのめりこんでしまい、今や自分を語るのに欠かせないくらいである。マレー語・インドネシア語とも、文法が単純で覚えやすく、文字もアルファベットなので非常に学びやすい言語だ。両者は方言の関係にあり、語彙やつづりでちょこちょこ違いがみられるが、基本的な表現は互換性がある。文法もほとんど同じだが、どちらかといえばマレー語のほうがある程度規則が整っているので、むしろ学びやすい。インドネシア語はなんだかいい加減である。

 文法で面白いのは、基本の言葉を核にして接頭辞・接尾辞を組み合わせることで、多様な意味を表現できる点である。例えば、besarという言葉は単体では「大きい」という形容詞だが、これにmemという接頭辞をつけたmembesarは「大きくなる」という自動詞であり、さらにkanという接尾辞をつけたmembesarkanは「大きくする」という他動詞になる。さらには接頭辞keと接尾辞anを組み合わせたkebesaranは「大きさ」という名刺になる。

 外来語が多いのも特徴である。イスラム文化圏なのでアラビア語が多く、masjid(モスク)、waktu(時)、misal(例)などがある。文字も当初アラビア文字だったが、19世紀にイギリスやオランダの植民地となったため、アルファベットに置き換わり、特にマレー語は英語が多く流入している。ただし発音や綴りが異なり、英語のbiology(バイオロジー)はbiologi(ビオロギ)となる。

 マレー・インドネシア語の語彙はひそかに日本にも入ってきている。代表的なのはオランウータンで、orang hutanと表記される。orangは「人」、hutanは「森」を表し、まとめて「森の人」という意味になる。ドリアンはdurianと表記され、duriが「とげ」を表し、接尾辞anは多数・集合物を表す。たくさんのとげが集まった外見をしていることから、この名がついている。さらに、旅行雑誌の「じゃらん」は、「道」を表すjalanからきており、jalanに接頭辞perと接尾辞anをつけたperjalananは「旅行」を表す。世界史で登場するインドネシアの独立運動「ムルデカ運動」の「ムルデカ」はmerdekaで、「独立した」という形容詞である。ほかにも探せばいろいろある。

 実は、明日8月2日から8月5日までマレーシアに旅行に行く。初の海外一人旅で今もひたすら不安、トラブルを起こす自信満々である。果して無事飛行機に乗れるのか、クアラルンプールのホテルからマラッカまで電車とバスを乗り継げるか、街中で犯罪に遭わないか、などなど。マレーシアは英語が公用語なので安心だが、調子に乗ってマレー語でコミュニケーションしようとしてあっさり連れ去られてしまいそうな気もする。ブログもとりあえず帰国までは更新できない。無事生還したら、旅行記をupします。

 行ってまいります。