
望洋−53(戦時下の宮古島)
31.戦下の宮古島 昭和19年(1944年)10月10日(火)のいわゆる「10・10空襲」が、宮古島における初空襲である。 その後の空襲は、年内は細切れに行われたが、ほぼ小康を...

望洋−52(多良間島の㋹艇回収(続き))
30.多良間島の㋹艇回収(続き) 30.2.2.青木雅英 青木雅英県会議員は村の有力者であった。 昭和6年(1929年)から昭和8年(1933年)まで多良間島第6代村長に就任...

望洋−51(多良間島の㋹回収)
30.多良間島の㋹回収 海上挺進第四戦隊が駐屯地の宮古島に向かう航海で、時化に遭い数多くの船が漂流し与那国島、西表島、石垣島、多良間島、台湾に漂着した。 台湾に漂着した船以外は...

望洋−50(多良間島)
29.多良間島 多良間島は宮古島圏域内の島で、宮古島の西方約67km、石垣島の北東約35kmの海上に位置した、面積19.75k㎡の楕円形の島である。また、その北方約8kmに面積2...

望洋−49(第四戦隊の状況(続き))
28.第四戦隊の状況(続き) 28.2.高山第一中隊長の回想 マラリアの脅威 基地隊にマラリア患者が多発し亡くなられた方も多かったが、(...

望洋−48(海上挺進第四戦隊の状況)
28.海上挺進第四戦隊の状況 昭和20年2月硫黄島に米軍の上陸があり、次の上陸は沖縄方面が必至なりとして対上陸作戦準備に専念していた。 米軍の上陸は、南西諸島の大根拠地たるべき...

望洋−47(池間島沖の米軍襲撃)
27.池間島沖の米軍襲撃 話を海上挺進第四戦隊に戻す。 昭和20年(1945年)2月、一部の隊員を除いて第四戦隊員がようやく宮古島に集合した。 早速、特攻に向けての訓練や舟艇...

望洋−46(沖縄戦)
26. 沖縄戦 26.1.宮古島空襲 宮古島に対する空襲は昭和19年10月10日、11日以来B24による視察行動を除き殆んど途絶えていたが、昭和20年1月に入るや俄然活発と...

望洋−45(先島群島作戦(続き))
25. 先島群島作戦(続き) 25.1.作戦準備(続き) 25.1.3.水上特攻戦隊の配備 宮古島にも水上特攻隊が配備された。 宮古島に配備された特攻隊は、陸軍の水上特攻...

望洋−44(先島群島作戦)
(第6章 先島群島) 25. 先島群島作戦 先島群島とは、沖縄県の宮古諸島と八重山諸島の総称で、本土から最も遠く離れている島々という意味である。 ...