
石見の伝説と歴史の物語−78(後醍醐天皇−6 隠岐行在所)
30.3.元弘の乱 30.3.7.後醍醐帝の隠岐行在所 現在、後醍醐帝の隠岐の行在所については二つの説がある。 一つは、隠岐の島町(島後島)にある国分寺説である。 もう一つ...

石見の伝説と歴史の物語−79(後醍醐天皇−7 隠岐行在所)
30.3.元弘の乱 30.3.7.後醍醐帝の隠岐行在所(続き1) 30.3.7.1. 島根懸史から 2)黒木御所説 西ノ島の黒木御所説は文書としての記録はなく伝聞の...

石見の伝説と歴史の物語−80(後醍醐天皇−8 隠岐行在所)
30.3.元弘の乱 30.3.7.後醍醐帝の隠岐行在所(続き2) 30.3.7.2.国の史跡と県の史跡指定 隠岐国分寺跡が国指定であるのに対して、隠岐西ノ島黒木御所跡は県...

石見の伝説と歴史の物語−81(後醍醐天皇−9 赤坂城の攻防)
30.3.元弘の乱 30.3.8. 赤坂城の攻防 元徳3年/元弘元年(1331年)楠木正成とその弟楠木正季は、下赤坂城で孤軍奮闘するが(下赤坂城の戦い)、幕府軍の総攻撃を受け、...

石見の伝説と歴史の物語−82(後醍醐天皇−10 吉野城の戦い)
30.3.元弘の乱 30.3.9. 吉野城の戦い 元徳3年/元弘元年(1331年)の赤坂城の戦いで落ち延びた護良親王は吉野城で挙兵する。 吉野城は吉野山一帯をさしていう中世山...

石見の伝説と歴史の物語−83(後醍醐天皇−11 千早城の戦い)
30.3.元弘の乱 30.3.10. 千早城の戦い 千早城の戦いは、正慶2年/元弘3年(1333年)に後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した河内の武将である楠木正成と、鎌倉幕府軍との間...

石見の伝説と歴史の物語−84(後醍醐天皇−12 後醍醐帝隠岐脱出−1)
30.3.元弘の乱 30.3.11. 後醍醐帝隠岐脱出 幕府軍が千早城に大軍を貼り付けにしながら落とせずにいる、との報は全国に伝わり、各地の倒幕の機運を触発することとなった。 ...

石見の伝説と歴史の物語−85(後醍醐天皇−13 後醍醐帝隠岐脱出−2)
30.3.元弘の乱 30.3.11. 後醍醐帝隠岐脱出(続き) 私本太平記から(その2)阿野廉子 黒木御所の警固は、能登ノ介清秋という男であった。 この男は、佐々木判官清高...

(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺 目次−1
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺 目次−1(1〜49) 1.(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺...

石見の伝説と歴史の物語−86(後醍醐天皇−14 船上山)
30.3.元弘の乱 30.3.12. 船上山 隠岐を脱出した後醍醐帝は、伯耆国名和(鳥取県西伯郡大山町名和)名和の湊にたどり着いた。 名和の地の地頭であった名...