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旅日記

故郷の風景(28) 柿本人麻呂所縁の地−1(江津市)

柿本人麻呂は飛鳥時代(592年から710年)の歌人で山部赤人と共に歌聖とよばれています。

万葉集に数多くの歌が載っています。

次の歌は、柿本人麻呂が詠んだ歌で百人一首の3番歌です。

「あしひきの 山鳥のおの しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」

 

柿本人麻呂の生没に関しては確実なことは不明で、色々な説が出ています。

宮廷歌人として使えていたが、晩年石見の国に地方官としてつかわされ、この石見の地で没したという説が有力視されています。

石見地方には柿本人麻呂所縁の場所が沢山あります。

江津市に所在する柿本人麻呂所縁の場所を訪れました。

 

1.都野津の「柿本神社」

柿本神社は県立江津高校の近くにあります。

この地に「人麻呂の松」という、樹齢800年は優に超え、高さ13m、周囲4.5mというクロマツでした。

この松のいわれとしては、人麻呂の妻、依羅娘子(よさみのおとめ)の子孫井上道益が、二人を偲んで植えたとか、都に上った人麻呂が帰郷した時に記念に植えたとか言われていました。

しかしこの松は、台風や松食い虫のため、枯れてしまい、平成9年1月に伐採されました。

現在は展示館が設けられ、輪切りにした幹とその根元から見つかった供養塔が置かれています。

 

 

 

2.高角山

高角山は江津駅から南へ6Km、標高470m、別名「島の星山」と呼ばれています。

この別名は、貞観16年(874)隕石が降下したことから、島の星山、星高山と呼ばれるようになったといいます。

高さ約60cmの星石といわれる石は、現在では中腹の真言宗の冷昌寺の境内に保存されています。

この山の中腹に人麻呂神社があります。

この神社は、戦後島の星に入植した開拓の方々が、心の拠り所として農業と学問の神様、人麻呂を祭るために創ったそうです。

人麻呂は旅だつ時に、この高角山を見て依羅娘子を偲んで歌を詠んでいます。

『石見のや 高角山の 木の際より わが振る袖を 妹見つらむか』

 

しかし、安政3年(1774年)に香川景隆と江村景憲によって書かれた、「石見名所集」では、「高角山」は次のように書かれています。

『高角山は美濃郡、俗に高津と云。正一位柿本大明神鎮座御社南向山の南麓に大川の流れ有り。・・・』

すなわち、現在の益田市にあるように書かれています。

このように色々な説がありますが、確証されたものは有りません。

 

「依羅娘子」の像です。

意外と小さい社でした。

仲麻呂さんが依羅娘子に手を振って別れを惜しんでいるような像です。

右側の小さな三角の山が浅利富士と呼ばれる「室神山」です。

 

人麻呂さんの話しとは外れますが、高角山公園からさらに行くと、「島の星山椿の里」があります。

道路に面して「慈母観音像」が建っており、ここを山頂に向かって行くと、「隕石落下の池」と「冷昌寺」があります。

 

 

 

3.依羅娘子

都野津の海岸から2Km南方、二宮町神主地区の恵良に依羅娘子が住んでいたと考えられています。

 

石見の国府は現在の浜田市下府で、その国庁は伊甘神社の場所にあったといわれています。

しかし、石見の国府は最初は仁万で、その後恵良に移り、最終的に伊甘に移ったという説もあります。

この説に関連するように、ここ恵良に「恵良の仮国庁跡」という史跡があります。

 

4.江東駅、江西駅

人麻呂の時代の山陰道は、京都から丹波の国、但馬の国、因幡の国、伯耆の国、出雲の国を通って石見に至っていました。

石見の国では、波禰(はね)、託農(たくの)、樟道(くすち)、江東(こうとう)、江西(こうさい)、伊甘(いかみ)の6駅が置かれていました。

この江東、江西駅は江ノ川を挟んで対峙しています。

人麻呂は都に上るときに、江ノ川を江西駅から江東駅に向かって渡ったとされ、現在その地点が「人麻呂渡し」と呼んで表示されています。

 

1)江東駅

 

 

2)江西駅

 

 

 

5.渡りの山

桜江町坂本に甘南備寺山(標高522m)があります。

かつてこの山の中腹に甘南備寺(現在は山の西麓に移転)があったことから、この名前がついていますが、かつては「渡りの山」と呼ばれていました。

人麻呂が詠んだ135番歌(長歌)に次の個所があり、この「渡りの山」が今の甘南備寺山といわれています。

「・・・かへりみすれど 大船の 渡りの山の もみぢ葉の 散りのまがひに 妹が袖・・・」

 

ただし、人麻呂が詠んだ「渡りの山」については、「甘南備寺山」以外に、前述した「高角山」或いは江津市浅利にある「室神山」であるという説があります。

これらの説は、いずれも後世の人が人麻呂の歌から推考したもので、どれも確証はありません。

正面の山が甘南備寺山です。

以下の写真は、安政3年(1774年)に香川景隆と江村景憲によって書かれた、「石見名所集」に描かれている、渡里山と高角山の絵です。

山の中腹に描かれているのが甘南備寺で、山の麓には江ノ川が流れています。

前述したように、この本では高角山は益田市にあると書かれており、この絵に描かれている神社は、社殿等の位置関係から見ても益田市の高津柿本神社と思われます。

 

<完> 

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