
石見の伝説と歴史の物語−221(尼子再興軍因幡に攻め込む)
69.山中鹿之介(続き4) 69.7.尼子再興軍因幡に攻め込む 69.7.1.鹿之介と山名豊国 尾高城から脱出した幸盛は、海...

石見の伝説と歴史の物語−220(鹿之介逃走する)
69.山中鹿之介(続き3) 69.5.鹿之介逃走する 吉川元春は巧みに鹿之介が立て籠る末石城を攻めた。 油断しきっていた鹿之介はどうすることもで...

石見の伝説と歴史の物語−217(山中鹿之介)
69.山中鹿之介 戦国時代に活躍した「山中鹿之助」は、「山中幸盛」の通称である。 尼子家再興のために尽力し、「毛利元就」の山陰地方侵略に対して、勇猛に対抗した。 しかしその願...

石見の伝説と歴史の物語−216(丸山城攻防)
68.丸山城攻防 「丸山伝記」には、丸山城明け渡しに伴う、小笠原軍と毛利軍の激しい攻防戦があったと、ある。 丸山伝記丸山伝記は、出雲神西に移る長旌に同行せず、在所に戻り帰農した...

石見の伝説と歴史の物語−215(小笠原家の家督問題)
67.小笠原の家督問題 67.1.豊臣の時代 小笠原長旌によって丸山城が築城されている間、日本の国情は地殻変動を起こしていた。 畿内を制圧し、天下人への道を歩み出した織田信長...

石見の伝説と歴史の物語−214(丸山城築城の話その2)
66.丸山城築城の話(続き) 66.3.長旌の築城計画 天正8年、長旌と吉川元春の三男経言(後の初代岩国城主吉川広家)との養子縁組が毛利輝元の反対によって成立しなかった。 こ...

石見の伝説と歴史の物語−213(丸山城築城の話)
66.丸山城築城の話 この話は、丸山城築城に関する物語である。 66.1.長雄の望み 永禄元年(1558年)5月石見小笠原氏の居城である温湯城(邑智郡川本町)を毛利に攻められ...

石見の伝説と歴史の物語−212(小笠原長雄と長旌)
64.毛利の中国統一 毛利元就の石見統一は、出雲富田城に尼子義久を降服させた水祿10年(1567年)をもって完了した。...

石見の伝説と歴史の物語−211(尼子氏滅亡)
63.戦国の石見−6(続き−6) 63.9.尼子氏滅亡 63.9.1.富田城包囲 月山富田城の包囲持久戦は次第にその効力をあらわし始めて...

石見の伝説と歴史の物語−210(尼子攻め)
63.戦国の石見−6(続き−5) 63.8.尼子攻め 毛利元就にとっては石見銀山が後々の憂いのないようにするのには尼子氏を滅亡させることが最大目標だった。 ...