望洋−57(終戦)
(第7章 終戦) 32.終戦 昭和20年(1945年)7月2日、米軍は沖縄作戦終了を宣告した。 この後米軍の矛先は本土に向けられ始めた。 7月に入ると食糧事情は更に悪化し、...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−200(温湯城攻防戦)
62.戦国の石見−5(続き) 62.2.温湯城攻防戦 温湯(ぬくゆ)城(邑智郡川本町)は矢谷川と支流の会下川が合流する三角地帯の標高219mの山頂に石見小笠原氏によっ...
望洋−58(戦時中の先島集団における軍内の事件)
33.戦時中の先島集団軍内の事件 33.1.軍隊の不祥事 第二次大戦を通じ、国軍内で幾多の不祥事件が発生したが、軍の威信を保つため、その多くが闇から闇へと葬られ、殆んど外部へは...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−201(温湯城攻防戦−2)
62.戦国の石見−5(続き) 62.2.温湯城攻防戦(続き) 62.2.4.温湯城攻め(2) 5月上旬、毛利元就は、毛利隆元、小早川隆景以下七千の大兵団をもって、...
望洋−59(南西諸島の日本軍降伏調印)
34.降伏調印 34.1.日本の降伏文書調印 昭和16年(1941年)12月8日早朝、日本軍が当時イギリス領だったマレー半島(現在のマレーシア)へ上陸し、その直後ハワイ・真珠湾...
望洋−60(沖縄収容所)
35.沖縄収容所 1945年4月1日に沖縄本島中部へ上陸した米軍は南北に分かれて進攻し、占領地域を拡大していった。 米軍は日本軍兵士と民間人を収容するために収容所を設置する。 ...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−202(温湯城攻防戦伝承)
62.戦国の石見(続き−3) 62.3.温湯城攻防の伝承 赤城と温湯城の争奪戦に際し、先ず小笠原方は村之郷方面より撤退し、井原方面の合戦に敗れて戦力弱体化に進む...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−203(毛利銀山を奪還する)
62.戦国の石見−5(続き−4) 62.4.毛利銀山を奪還する 石見銀山を手に入れた尼子晴久は、信頼できて、しかも豪勇の本城常光 (高櫓城主)を山吹城の城将に...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−204(重富城の攻防)
63.戦国の石見−6 尼子氏の滅亡 毛利元就は石見中央の邑智郡の支配者小笠原氏を降参させ銀山を手中にしたが、石見にはまだ尼子に通ずる武将がいた。 元就は、こ...
望洋−61(沖縄収容所(第二戦隊員の証言))
35.沖縄収容所(続き) 35.2.沖縄捕虜収容所 (以下に掲載する写真は(沖縄県公文書館所所蔵)の写真) 沖縄の捕虜収容所での体験談は、元海上挺進...