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バイト先を巡る旅

2023年02月27日 | 日記

この1月で職場を変わり3月から新しい職場に移るのだが(要するに転職)少し時間ができたので、大好きな街歩きをすることにした。私は大学生の頃いろいろなアルバイトをしてきたが、思い出深いものが多くその街の今を歩いてみることにした。バイト先を巡る旅である。
 
私が大学に入ってすぐ決めたバイトが神宮前3丁目のレストランの出前のバイトである。宅配サービスなんて言葉のない時代、出前である。大学が駒澤であり自宅が川口だったので学校帰りに寄れる。最寄り駅は原宿。今は大騒ぎの竹下通りを通ってかよった。当時は吉田拓郎さんの歌やドラマなどがあり表通りは賑わっていたけどこの竹下通りはまだ静かな裏通り商店街だった。やれやれすごい人だなあ~!
  
明治通りを過ぎるとブティックやオフィスが多くなり、大人らしい雰囲気になる。さらに坂を上ると住宅街に入る。
 
この辺だったかなあ… 何か面影があるかと期待したがすっかり変わってしまってお店らしいものはなかった。もともとシェフだった老マスター夫婦が若いシェフを雇ってやっていたお店でそのシェフも独立を目指していたのでそう長くは続かなそうな店だった。田舎者の私には食べたことのない物ばかりで何を頂いても美味しかった。とても優しい夫婦で私の母や妹まで招待しご馳走してくれた。出前のお届け先は場所柄ファッションデザイナーのオフィスが多く、VANのオフィスにも行ったなあ。ベンツが行きかう通りを岡持ち付きの50㏄スーパーカブを走らせていた。川口の田舎とは全く違う世界だった。
さて、ここからVANのあったあたりの交差点を過ぎ、青山通りを渡り、西麻布へ向かう。大学に入り自転車部に入る。私としてはサイクリングのつもりだったが自転車競技部だった。サイクリングもたまにはやるらしいのだが。面白かったがピストと呼ばれる空回転のしない競技用の自転車に乗れず、挫折。音楽でもと思いあれこれ見ていたらBluegrassやってる人たちがいて、そのサークルに入る。フラットマンドリンが弾きたかったが、いつの間にかウッドベースになっていた。練習日とバイトの時間が合わず、どうしたものかと思っていたら、ベースを止めないという条件でライブハウスのバイトを紹介してくれた。西麻布「タイムトンネル」である。
 
 
このビルの地下だったと思うがビルも変わってしまい面影はない。角はお茶屋さんだったような… 多分このファミマがお店の食品などの買い物に来たスーパーではないかな。西麻布のライブハウスのバーテンのバイトだなんて我ながら驚きだった。カントリーのライブとは言えみんなしゃれて見えた。このお店でたくさんのBluegrassの先輩たちと出会い知り合った。このことがその後大いに役立った。残念ながら半年後、マスターの失踪で閉店。最後の日シャッターの前でカントリーバンドの人たちとマスターの来るのを待っていたっけ。その日のバイト代まだもらってないなあ…
次は青山一丁目を目指して歩こう。
 
青山1丁目「アジア会館」。タイムトンネルの後、上野の焼き鳥屋でバイトすることになるが夏休み、春休みは掛け持ちでバイトをした。ここもその一つ。当時は学生の長期休みのみの短期のバイトも結構あった。今は立て直してすっかり新しくなったがここのレストランの厨房で洗い場のバイトをしていた。その名の通りアジア系のビジネスマンの出張や研修などの利用が多く国民宿舎のような建物だった。インド系の人が多く、そのせいかカレーが有名だった。トッピングで大きな骨付きの鶏肉が入ったカレーが人気で美味しかった。それがまた食べたかったが、レストランもすっかり変わってしまって、そのカレーはなかったが今でもカレーが売りなのかランチメニューの一番上にカレーがあった。残念ながら海鮮仕込みでトッピングはエビフライだった。でも程よい辛さでとても美味しかった。ここのバイトは後輩が引き継ぎ、ディナータイムのウエイターを卒業までやることになる。次は赤坂見附を目指して歩きます。
赤坂見附「ホテルニューオータニ」。このホテルの客室掃除を請け負っていた会社でバイト。ここも長期休みの間だけのバイト。春休みだったかな。ここの社食は安くてうまかったなあ。普通の部屋は案外質素だった。一度だけ自殺した後の部屋の掃除があったが「君は入らなくていいよ」と社員の人だけで掃除をしてた。血の処理が大変で気持ちのいいものじゃないので気を使ってくれたのだ。
目黒駅前「𠮷野家」。当時は大学の近くで一人暮らしを始めていたので、焼き鳥屋を止めてここでバイトしてもいいかなと思って始めた。午前中の授業がなかったので午前中のシフトでスタート。朝6時からだったがよく遅刻しないで行ったもんだ。夏休みには午後のシフトにも入り、一日2食牛丼を食べた。並盛茶碗に盛り放題ということで盛り方を工夫してご飯押しつぶしてたっぷり牛を載せていただいた。焼き鳥屋で慣れてはいたが時間によってはとても忙しくて大変だった。店長が癇の強い人ですぐ怒る。私はあまり怒られなかったがイラついて厨房で茶碗を投げつけるのを見たことがある。他のバイトと喧嘩もしてた。雰囲気悪くて最初の約束の3か月で辞めた。
 
 私は人より長く大学にいたのだが、授業が少なくなってきた頃、夜バイトする必要もなくなリ、日勤のバイトに切り替えた。水道橋の「佐藤測量」さん。測量補助のバイト。メインは某住宅メーカーの宅地測量と地耐力調査である。街はすっかり変わっていて、新しいビルが立ち並び「佐藤測量」も見当たらなかった。Googleで探ってみたが見つからず移転したのかな。社長も社員さんの雰囲気も良かったし、測量のことも少しは覚え楽しい職場だった。日給8千円。時給が600円程度の当時としては破格。現場周りで車移動も残業代になるので平均一日1万円位になった。月収は後に就職した会社の給料より高かった。楽しかったし面白かったので卒業後もお世話になる。社長からは資格も取らせてやるからうちに就職しろよと何度も言われ、だいぶ迷ったがやってみたい仕事があり、辞退し他へ就職した。その後の私の選んだ仕事が衰退し苦労した事を考えれば社長の誘いを受けていたら今頃どうなっていただろう ?
さて、最後だがタイムトンネル閉店の後大学時代を通してお世話になった上野駅駅前の「焼き鳥のいわさき」。お店は別のオーナーになりお店の名前も変わってしまったが面影はそのままである。店内もちっとも変っていなかった。懐かしい。3人のスタッフと都内の大学生のバイトでやっていたお店。私の学校からも数人ここでバイトした。活気があっていいお店だった。お店が終わった後浅草で朝まで仲間と飲んだこともあった。お花見の頃は忙しく焼き場に入って間もない頃忙しさについていけず焼き鳥を真っ黒にしたこともあった。他の大学の学生と交流できたのがよかった。
色んなバイトをしたが、バイト代は学費と学生生活のためと音楽を楽しむためで、一生懸命バイトした割にお金はすぐ無くなってしまった。どうやって食っていたのだろうと思うこともあるが、飲食店でのバイトが多いのは「飯が食える」からであった。バイト先で栄養を摂って、貧しい食生活を補った。
さて、久しぶりに学生の頃の思い出を思い起こしながら街歩きを楽しんだ。街の変遷を感じ、人との出会いを思い出し、懐かしさをたくさん感じた一日だった。


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