後輩が一人、逝ってしまいました。
樺山弘盛君、1979年駒沢大学岩見沢教養学部入学 1981年より世田谷本校。Mandolin。
彼と初めて会ったのは、岩見沢教養学部出身の先輩と真冬の北海道に遊びに行った時のことでした。3月かな?雪がたくさん降っていて迎えに来た彼の車はワイパーが運転席側しか動かず、おまけに助手席の私に「藤田さん、ドア空きますから押さえててください」というものでした。ごつい顔や体に似合わず人になかなか声をかけることのできない気の小さいところのある人でした。
彼が世田谷に来たある夜、玉川警察署より電話があり「樺山君を知ってますか?保護しているので引き取りに来てください」とのこと。まだ彼のことが良くわかっていない頃で、暴力沙汰でも起こしたのでは?と同期のOと恐る恐る引き取りに行きました。彼はベッドの材料(ビールケース)やテーブルの材料(電線の巻き芯)を夜な夜な集めていたそうで、そこをひっ捕まったらしい。昔の学生の下宿街にはよくあった話よね。今でも記録が残っていれば私が彼の身元引受人になっているはずです。
ブルーグラスではというと、ぶきっちょで、指太くて、同期がいなくてバンドに恵まれなかったけど、大きな声で I Wonder Where You Are Tonightを一人で唄っていたのをよく覚えています。
元気で明るく、先輩からも好かれ、後輩からは兄貴のように慕われていました。
サディスティック・か・バンド
徳之島出身で徳之島から出てきた妹たちと一緒に暮らしていて、優しいお兄ちゃんでとても微笑ましい兄弟でした。
卒業後は、学術研究の道に進み、英米文学の研究をしていたようです。
(彼の大学のホームページより拝借しました)
人柄がたくさんの学生から好かれていたようです。
著書も出しています。
「暴力性(ヴァイオレンス)の地平―ウィリアム・フォークナーの『八月の光』に見る暴力性」
amazonで買えます。興味のある方は是非どうぞ。
卒業後なかなか会えなかった、先輩・後輩・仲間たちとも最近になって再会することができている。
彼とも会いたかった… もう一度、徳之島のとうきび焼酎を飲みかわしたかった…
冥福を祈ります…