無事に父の『初盆』をしてきました。
実家の『初盆』は8/7~15まで行うそうで
その間に、親戚や沢山の父の友人が来てくれました。
実家でも通常の“盆”は8/13~15までですが
やはり『初盆』は、いまでも特別な儀式だそうです。
まぁ~の準備などは殆ど
実家にいる姉が1人でやってくれたので
そんなに“右往左往”することはなかったのですが
姉も私も『初盆』だったので大変でした。
今は少なくなったらしいですが『初盆』には
“灯篭”や“提灯”などを供えてくれる人がいて
それを“盆中”家の中に飾ります。
小学生の4年くらいに祖母の『初盆』をかすかに覚えていますが・・・
なんせ、18歳から実家を出て「夏」や「盆」は帰省したことがなったので
「これは、常識だよ。」とか「普通は、○○。」と言われ
やることなすこと“異次元の行事”でした。
一番、戸惑ったのは、埼玉出身の妻でしょうか
朝昼晩と仏様へ“膳(食事)”を出したり
“田舎の常識”に戸惑いながら・・・。
「それは“当り前”」と言われれば、それまですが・・・・。
実家では8/15には“石塔”や頂いた“灯篭”や
“提灯”そして“お供え”などを
飾るための“ヤグラ”を造り
父の親族や親しい友人の手で
和歌山県新宮市の大浜海岸か
熊野川の河川敷へ『霊』を送りに行きます。
父が小さい頃は船形の“ヤグラ”を
大浜の海か熊野川に流したそうです。
それから、海や川が汚れるということで
流すのではなく、海岸や河川敷で焼くようになったようです。
しかし、最近、環境問題や熊野古道保全のため
“灯篭”や“提灯” そして“お供え”を
ごみと同じように分別して焼くようになったそうです。
そんなこともあり“ヤグラ”を造ることも少なくなったようです。
18時ごろに大浜海岸につきましたが
私たちと同じように『初盆』の人達が沢山送りに来てました。
今回、賑やかなことが好きだった父だったので
昔ながらの“ヤグラ”を大工さんに造ってもらい
“灯篭”や“提灯” そして“お供え”を飾り
親戚や親しい友人の手で『父の霊』を
みんなで海岸へ運んで行きました。
廻りは段々質素になって行く昨今
昔ながらのやり方で『父の霊』を見送ることが出来
喜んで父は天国へ戻って行ったと思います。
気のせいか分かりませんが
この『初盆』実家にいても
なんとなく『父の気配』が感じなかったのですが
見送る前日の8/14の夜
一瞬『父の臭い』がして
“やっぱり、ここの家に戻って来んだ”と・・・。
そして、妻は“ヤグラ” が家を出る時に
「毎日“膳”ありがとうな」と言っている
『父の笑顔』が目に浮かんだそうです。
東京に戻ってきて
まぁ~色々な行事を行うということは
それだけ、時間がたったということだと
今回の『初盆』を終えて寂しく感じました。
結婚して初めての夏の帰省が『初盆』なんて・・・
そう思うと、すこし皮肉に思い
そして感慨深い思いをしました。
これから「一年忌」、「三年忌」・・・・と
“喪主の役目”が続いていくんですね・・・。
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