あさねぼう

記録のように・備忘録のように、時間をみつけ、思いつくまま、気ままにブログをしたい。

興亡の世界史

2019-08-31 17:51:20 | 日記
興亡の世界史は、株式会社講談社が2006年11月から2010年5月にかけて刊行した叢書。全21巻。
2016年2月から2019年1月にかけて、講談社学術文庫に収められた。
編集委員で第00巻の著者でもある青柳正規は、狭義の歴史学者に留まらない執筆者を世界史のダイナミズムを生み出したと評している。

講談社・単行本版 2006/11 - 2010/5, 講談社学術文庫版 2016.2-2019.1

00 青柳正規 『人類文明の黎明と暮れ方』 2009/11/21 2018/6/11 ISBN 978-4-06-280700-5
01 森谷公俊 『アレクサンドロスの征服と神話』 2007/1/18 2016/2/11 ISBN 978-4-06-280701-2
02 林俊雄 『スキタイと匈奴 遊牧の文明』 2007/6/16 2017/1/12 ISBN 978-4-06-280702-9
03 佐藤育子、栗田伸子 『通商国家カルタゴ』 2009/9/18 2016/10/12 ISBN 978-4-06-280703-6
04 本村凌二 『地中海世界とローマ帝国』 2007/8/21 2017/9/12 ISBN 978-4-06-280704-3
05 森安孝夫 『シルクロードと唐帝国』 2007/2/17 2016/3/11 ISBN 978-4-06-280705-0
06 小杉泰 『イスラーム帝国のジハード』 2006/11/15 2016/11/11 ISBN 4062807068
07 原聖 『ケルトの水脈』 2007/7/18 2016/12/10 ISBN 978-4-06-280707-4
08 陣内秀信 『イタリア海洋都市の精神』 2008/7/18 2018/10/11 ISBN 978-4-06-280708-1
09 杉山正明 『モンゴル帝国と長いその後』 2008/2/19 2016/4/12 ISBN 978-4-06-280709-8
10 林佳世子 『オスマン帝国500年の平和』 2008/10/25 2016/5/11 ISBN 978-4-06-280710-4
11 石澤良昭 『東南アジア 多文明世界の発見』 2009/5/29 2018/8/10 ISBN 978-4-06-280711-1
12 網野徹哉 『インカとスペイン 帝国の交錯』 2008/5/2 2018/11/9 ISBN 978-4-06-280712-8
13 福井憲彦 『近代ヨーロッパの覇権』 2008/12/18 2017/10/11 ISBN 978-4-06-280713-5
14 土肥恒之 『ロシア・ロマノフ王朝の大地』 2007/3/17 2016/9/10 ISBN 978-4-06-280714-2
15 羽田正 『東インド会社とアジアの海』 2007/12/18 2017/11/11 ISBN 978-4-06-280715-9
16 井野瀬久美惠 『大英帝国という経験』 2007/4/18 2017/12/13 ISBN 978-4-06-280716-6
17 平野聡 『大清帝国と中華の混迷』 2007/10/1 2018/1/13 ISBN 978-4-06-280717-3
18 姜尚中、玄武岩 『大日本・満州帝国の遺産』 2010/5/28 2016/6/11 ISBN 978-4-06-280718-0
19 生井英考 『空の帝国 アメリカの20世紀』 2006/11/15 2018/12/11 ISBN 406280719X
20 杉山正明、 大塚柳太郎、ほか 『人類はどこへ行くのか』 2009/4/25 2019/1/11 ISBN 978-4-06-280720-3



人工知能

2019-08-31 11:27:57 | 日記
人工知能の種類
第2次人工知能ブームでの人工知能は機械学習と呼ばれ、以下のようなものがある。

エキスパートシステム推論機能を適用することで結論を得る。エキスパートシステムは大量の既知情報を処理し、それらに基づいた結論を提供することができる。例えば、過去のMicrosoft Officeには、ユーザが文字列を打ち込むとシステムはそこに一定の特徴を認識し、それに沿った提案をするシステムがついていた。事例ベース推論(CBR)その事例に類似した過去の事例をベースにし、部分修正を加え試行を行い、その結果とその事例を事例ベースに記憶する。ベイジアン・ネットワーク振る舞いに基づくAI:AIシステムを一から構築していく手法
一方、計算知能(CI)は開発や学習を繰り返すことを基本としている(例えば、パラメータ調整、コネクショニズムのシステム)。学習は経験に基づく手法であり、非記号的AI、美しくないAI、ソフトコンピューティングと関係している。その手法としては、以下のものがある。
ニューラルネットワーク非常に強力なパターン認識力を持つシステム。コネクショニズムとほぼ同義。ファジィ制御不確かな状況での推論手法であり、最近の制御システムでは広く採用されている。進化的計算生物学からインスパイアされた手法であり、ある問題の最適解を進化や突然変異の概念を適用して求める。この手法は遺伝的アルゴリズムと群知能に分類される。
これらを統合した知的システムを作る試みもなされている。ACT-Rでは、エキスパートの推論ルールを、統計的学習を元にニューラルネットワークや生成規則を通して生成する。

第3次人工知能ブームでは、ディープラーニングが画像認識、テキスト解析、音声認識など様々な領域で第2次人工知能ブームの人工知能を上回る精度を出しており、ディープラーニングの研究が盛んに行われている。最近では、DQN、CNN、RNN、GANと様々なディープラーニングの派生がでて各分野で活躍している。特に、GAN(敵対的生成ネットワーク)は、ディープラーニングが認識や予測などの分野で成果をだしていることに加えて、画像の生成技術において大きな進化を見せている。森正弥はこれらの成果を背景に、従来の人工知能の応用分野が広がっており、Creative AIというコンテンツ生成を行っていく応用も始まっていると指摘している。

二・二六事件

2019-08-30 10:52:10 | 日記
激動の昭和史、最大の謎といわれる二・二六事件の闇に包まれていた全貌を明かす新資料が発見された。特設軍法会議の主席検察官が自宅へ持ち帰り、終戦後も秘蔵していた膨大な文書、手びかえであり、陸軍首脳が戒厳令施行を利用して企んでいた別なる二・二六事件とその陰蔽工作を示すものであった。青年将校らは処刑され軍首脳の陰謀は闇に包まれたが、検察官の執念は52年の歳月を超え事件の真相を現代に甦らした。戦後最大の第1級資料の発掘により昭和史を揺るがす衝撃的な新事実が明らかになった。事件の全貌を描く鮮烈なノンフィクション。

昭和十一年二月二十六日、降りしきる雪を蹴って決行された青年将校たちのクーデターの結果は全員処刑により終った。本書は、多くの資料によって事件の経過を再現し、彼らが意図した「昭和維新」「尊王攘夷」の意味を探り、軍隊のもつ統帥権意識を解釈の軸として、昭和初期からの農村の疲弊に喘ぐ社会との反応、軍部の政治への結合と進出の過程を追う。なお、改版に当り「命令・服従」という日本軍隊の特性について増補・加筆する。

大岡昇平『野火』

2019-08-29 10:42:04 | 日記
『野火』(のび、Fires on the Plain )は、大岡昇平の小説。1951年に『展望』に発表、翌年に創元社から刊行された。作者のフィリピンでの戦争体験を基にする。死の直前における人間の極地を描いた、戦争文学の代表作。第3回(昭和26年度)読売文学賞・小説賞を受賞している。

太平洋戦争末期、日本の劣勢が固まりつつある中での、フィリピン戦線でのレイテ島が舞台である。 主人公の田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否される。現地のフィリピン人は既に日本軍を抗戦相手と見なしていた。この状況下、米軍の砲撃によって陣地は崩壊し、全ての他者から排せられた田村は、熱帯の山野へと飢えの迷走を始める。 律しがたい生への執着と絶対的な孤独の中で、田村にはかつて棄てた神への関心が再び芽生える。しかし彼が目の当たりにする、自己の孤独、殺人、人肉食への欲求、そして同胞を狩って生き延びようとするかつての戦友達という現実は、ことごとく彼の望みを絶ち切る。 ついに、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じることに追い込まれた田村は、狂人と化していく。

島田雅彦:「反戦小説」にとどまらない『野火』

 小説は、それが事実であろうとなかろうと、書いてしまうことのできるジャンルです。しかし、事実でないものを事実だということはできません。限りなく事実に接近できる立場にいながら、事実から目を背ける態度は自ら厳しく慎むべきなのです。小説家・大岡昇平は戦争や歴史を美談にすることを拒否した作家です。小説というジャンルや歴史記述の方法に対し、誠実を尽くしたことによって、日本近代文学史上、最も影響力のある作家となったといっても異論はないでしょう。
私個人にとっても重要かつ特別な作家で、尊敬を込めて「大岡先生」とお呼びしたいのです。私は一九八三年、大学在学中に『優しいサヨクのための嬉遊曲』という作品で作家デビューしたものの、当時の選考委員諸氏との相性が悪く、不名誉にも芥川賞の落選回数記録を樹立してしまいました。私の祖父と同い年の大岡先生は、その好奇心の強さから、孫の世代の私の初期作品にも目を通し、常にフェアなコメントをしてくださいました。当時、岩波書店の「世界」誌上で埴谷雄高氏と「二つの同時代史」という連続対談を続けておられましたが、そこでも言及してくださいました。『大岡昇平全集』(筑摩書房)の別巻や岩波現代文庫で読むことができます。
私は『野火』をはじめとする大岡作品に高校時代から親しんでいましたが、文学史上の偉大な先達と見做していましたから、その人物に認められたことの光栄と、生前のご夫妻にお会いして直接言葉を交わした幸運を今でも人生最良の恩恵と受け止めています。後輩には公平で優しい方でしたが、文学や世相に対する批評は辛辣で、中途半端なことを書いたら許さないという睨みも利かせていました。

今回、「100分de名著」で取り上げる『野火』は、作家大岡昇平の看板的作品です。戦後文学、戦争文学の金字塔であることには疑いがありませんが、戦後文学という限定をつけず、明治以降の日本近代文学史を通じて、ベスト3にランクインする作品でしょう。「日本映画史における最高傑作は?」といったアンケートで必ず挙がるのは、小津安二郎の『東京物語』や黒澤明の『七人の侍』ですが、それと同様に『野火』は近代文学の最重要作といえます。
『野火』は何処かダンテの『神曲』「地獄篇」を彷彿させる地獄巡りの話で、基本、語り手の「私」こと田村一等兵のモノローグによって構成されています。レイテ島の熱帯雨林を彷徨い、飢餓に喘ぐ部隊、傷病者が放置される野戦病院、道端に累々と横たわる遺体など戦争末期の悲惨な現実を見つめながら、「私」は自意識を反芻しています。その語り口は冷徹で、詩的かつ思弁的です。戦争末期に日本軍兵士たちが経験した極限状況の報告、とりわけ生存を懸けた狡知の応酬、死に限りなく接近すること、緩やかに死んでゆくことについての実存的考察は、人間の本能や欲動を見据えた戦後文学の最も大きな成果といえるでしょう。
『野火』は同時期に書かれた『俘虜記』や、大岡自身の体験に根ざした諸短篇とは質的な違いがあります。大岡昇平をはじめとする戦後派の作家は、戦前に翼賛体制が成立したときにはすでに成人しており、それ以降の世代とは異なり、とても知的緊張の度合いが高い人々です。彼らは、キリスト教やマルクス主義のような西洋外来思想と真摯に正面から向き合う青年時代を過ごしたのちに不本意ながら戦争を体験した。狭隘な日本文学のコンテクスト(文脈)を外れて、世界文学のコンテクストの中で自分に何ができるのか、戦争による大量死の後に文学にできることはあるのかを真剣に考えた世代です。
大岡先生や埴谷先生とお会いしたとき、私が普通に世間話をしたいと思っても、ふた言目にはカント、マルクスの名前が出てきたことを思い出します。彼らにとって、文学は全世界と交信するためのメディアでした。大岡昇平は戦後、敗戦国民としての惨めな思いや敗残兵としての筆舌に尽くしがたい経験を携えて、日本に帰還したとき、「戦争には負けたけれど文学で勝つのだ」との思いを抱くのです。自分がどれだけ特異な体験をし、そこで何を考えたのかを世界に問いたい。そうした意図を『野火』から感じ取ることができます。
大岡昇平は戦前、フランス文学の研究者でした。スタンダールを愛するスタンダリアンだった。当時の年齢感覚として、青年期を過ぎ、人生をすでに折り返した三十五歳のとき、召集されて、連敗中の日本にとって最終防衛ラインと位置づけられたフィリピン戦線に送られました。大岡が乗っていた船の後ろを航行していた輸送船は潜水艦に撃沈されています。すでに制海権、制空権を米軍に握られている中では敗戦必至の戦場でした。彼が所属していたサンホセ警備隊の六十余人のうち生き残った兵士はわずか二人(ほかに下士官三人)で、彼はその一人だったのです。どこの国の兵士であれ戦争では辛い思いをしますが、たとえば、レイテ島での死亡率が九十七パーセント、すなわち生存率がわずか三パーセントという悲惨な状況は類を見ないでしょう。勝利し、生還することが前提の米兵に対し、日本兵は玉砕するために戦地に赴いているのです。
復員した兵士でのちに戦争文学を書いた人は多く、野間宏『真空地帯』、大西巨人『神聖喜劇』、古山高麗雄『プレオー8(ユイット)の夜明け』など、いくつも名を挙げられます。しかし『野火』は、それらの作品ともかなり趣が異なります。主人公の田村一等兵を通じて描かれる戦争の悲惨さは、シンプルに反戦小説と見做されることをどこかで拒んでいる強さがあるのです。
『野火』は異なるテーマが複層的に打ち出された作品で、多面的な読み方が可能です。これは戦争小説ではなく、一種の「信仰告白」あるいは「意識の流れ」として読む方法もあります。大岡昇平はスタンダールだけではなく、西欧文学の広範な素養を持った作家でした。彼はその知識を駆使して、ダンテやゲーテまで取り込むような世界文学の枠組みの中で『野火』を書いたのです。その奥深さを、これから探ってみたいと思います。

水野和夫・山口二郎「資本主義と民主主義の終焉」

2019-08-28 20:57:26 | 日記
われわれは今、歴史的転換期にいる
平成とはどのような時代だったのか。そして、令和はどのような時代になるのか――。『資本主義の終焉と歴史の危機』で歴史の転換を明示した水野和夫教授と、政権与党時の民主党ブレーンとして政治の内側を見てきた山口二郎教授が語り尽くす。まず、平成31年間を六つの時代に分けて分析。そのうえで平成を総括し、今後を予測・提言する。見えてきたのは、日本が資本主義を〝卒業〟していく過程であり、政治が大きく変質・劣化していく様だった。歴史的に未知の領域に入ろうとしている現在の日本。両名の主張に刮目せよ。
<目次より抽出>
●バブルは日米政府に仕組まれていた!?
●宮澤喜一・不作為の大罪
●二〇〇〇年代以降の製造業の弱点
●日本の低生産性は、労働者の問題ではない
●平成日本を変えた、悪の報告書
●郵政民営化とはなんだったのか
●なぜ民主党政権は失敗したか
●内部から見た官邸支配
●賃金が上がらない本当の理由
●民主主義の死に方
●消費税二〇%か、それとも……
●日産をルノーに渡してはいけない
●資本主義からの卒業
●世界一の借金国の国債が安全なワケ
●日本再生に必要な二つのこと


著者について

水野和夫(みずの かずお)
法政大学教授、博士(経済学)。1953年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業、埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。三菱UFJ証券チーフエコノミスト、内閣官房内閣審議官などを経て現職。専門は現代日本経済論。著書に『資本主義の終焉と歴史の危機』など。

山口二郎(やまぐち じろう)
法政大学教授。1958年生まれ、東京大学法学部卒業。同大学法学部助手、北海道大学法学部教授、オックスフォード大学セントアントニーズ・カレッジ客員研究員などを経て現職。専門は行政学、現代日本政治論。著書に『政権交代とは何だったのか』など。