あさねぼう

記録のように・備忘録のように、時間をみつけ、思いつくまま、気ままにブログをしたい。

吉見 俊哉 社会学

2020-02-29 18:30:55 | 日記
吉見 俊哉(1957年4月22日 - )は、日本の社会学者。東京大学大学院情報学環教授、元東京大学副学長。専門は都市論、文化社会学(カルチュラル・スタディーズ)。
東京都生まれ。1976年に東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)を卒業後、東京大学教養学部に進学、教養学科相関社会科学分科を卒業後、同大学大学院社会学研究科で学ぶ。東京大学新聞研究所助手、助教授、東京大学社会情報研究所教授、組織統合により2004年より現職。2006-08年学環長。2009年6月から東京大学新聞社理事長。

学部時代は「劇団綺畸」に所属し、如月小春らと演劇をしていた。

学歴[編集]
1976年 東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業
1981年 東京大学教養学部教養学科相関社会科学分科卒業
1987年 東京大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学

職歴[編集]
1987年 東京大学新聞研究所助手
1990年 東京大学新聞研究所助教授
1992年 東京大学社会情報研究所助教授(研究所改組により)
1993年9月 エル・コレヒオ・デ・メヒコ(メキシコ)客員教授( - 1994年3月)
1998年 フランス社会科学高等研究院客員研究員(1998年4月 - 5月)
1999年 オーストラリア・ウェスタンシドニー大学客員研究員(1999年3月 - 5月)
2000年 東京大学社会情報研究所教授
2004年 東京大学大学院情報学環教授(組織統合により)
2006年 - 2008年3月 東京大学大学院情報学環 学環長
2009年6月 財団法人東京大学新聞社理事長
2010年 東京大学教育企画室長、東京大学総合教育研究センター長、東京大学史史料室長
2011年 東京大学副学長、文部科学省日本ユネスコ国内委員会委員

『都市のドラマトゥルギー――東京・盛り場の社会史』(弘文堂、1987年/河出書房新社、2008年)
『博覧会の政治学――まなざしの近代』(中公新書、1992年、講談社学術文庫、2010年)
『メディア時代の文化社会学』(新曜社、1994年)
『「声」の資本主義――電話・ラジオ・蓄音機の社会史』(講談社、1995年)のち河出文庫
『リアリティ・トランジット――情報消費社会の現在』(紀伊國屋書店、1996年)
『情報文化の学校――ネットワーク社会のルール・ロール・ツール』(NTT出版、1998年)
『カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店、2000年)
『カルチュラル・ターン、文化の政治学へ』(人文書院、2003年)
『メディア文化論――メディアを学ぶ人のための15話』(有斐閣、2004年)
『万博幻想――戦後政治の呪縛』(ちくま新書、2005年) 改題『万博と戦後日本』、講談社学術文庫、2011年

『親米と反米――戦後日本の政治的無意識』(岩波新書、2007年)
『シリーズ日本近現代史(9)ポスト戦後社会』(岩波新書、2009年)
『大学とは何か』(岩波新書、2011年)
『夢の原子力 Atoms for Dream』(ちくま新書、2012年)
『アメリカの越え方 和子・俊輔・良行の抵抗と越境』(現代社会学ライブラリー・弘文堂、2012年)
『ネット時代のコペルニクス-知識とは何か』(光村図書 国語3 2012年)
『「文系学部廃止」の衝撃』集英社新書 2016
『視覚都市の地政学 まなざしとしての近代』岩波書店, 2016
『大予言 「歴史の尺度」が示す未来』集英社新書 2017
『現代文化論 新しい人文知とは何か』有斐閣アルマ 2018
『戦後と災後の間 溶融するメディアと社会』集英社新書 2018
『トランプのアメリカに住む』岩波新書 2018
『平成時代』(岩波新書 2019
『アフター・カルチュラル・スタディーズ』青土社 2019

社会学は、社会をリアルに映し出します。冷戦構造の崩壊、グローバル経済の破綻、1995年の阪神・淡路大震災に地下鉄サリン事件、そして2001年の9.11テロ、2011年の3.11東日本大震災に原発問題と、世界も世の中もすっかり変ってしまいました。
わたしたちは、この社会に生きています。それがどんな社会なのか、知りたいと思うのは当然のこと。膨大な情報が溢れているようで、ネットで検索できることは限られています。「検索」は断片的な情報に触れることができても、なかなか思考にに結びつきません。本質に迫ることができないのです。
本当に必要なのは、生きるための「叡智」です。この『現代社会学事典』が志すのは、未来をひらく21世紀の叡智です。



吉見俊哉 大予言 「歴史の尺度」が示す未来

2020-02-28 12:49:07 | 日記
時代は、25年単位で読み解ける!
世代史と世界史を架橋する壮大な試み!
アベノミクスと莫大な日本の国家債務、加えて格差拡大や終わりなき少子超高齢化、さらにはイギリスのEU脱退やアメリカのトランプ政権誕生など、先行きに不透明さが増す中、多くの人々が底知れぬ不安を抱えながら暮らしている。このような混迷を極める時代に未来を見通すには「歴史の尺度」が必要である。
本書では、二五年単位を核として、一五〇年、五〇〇年といった長期の尺度も用いながら、歴史を構造的に捉えていく。この三つの尺度を駆使すれば、今後、世界が辿る道筋が見えてくる。知的興奮に満ちた刺激的な論考!

[著者情報]
吉見俊哉(よしみ しゅんや)
一九五七年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。著書に、『都市のドラマトゥルギー』『博覧会の政治学』『親米と反米』『ポスト戦後社会』『万博と戦後日本』『夢の原子力』『「文系学部廃止」の衝撃』など。


労働生産性

2020-02-27 09:43:23 | 日記
OECD諸外国と日本の労働生産性に大きな開きがある理由とは?

日本の労働生産性があまり高くないことは、労働市場やワークスタイルを考える上で大きな問題と言われています。国際比較の数値は目安として重要である一方で、明確な評価材料とはいえない部分もあります。

国際社会における労働生産性はGDPを元に算出されており、日本企業が算出する労働生産性の計算式とは異なります。

国際社会における労働生産性は「国民経済生産性(GDP/1年間の平均就業者数×労働時間)」で算出されており、労働者一人当たりの労働生産性とは異なります。国際社会において、日本の労働生産性が低いと指摘されている数値の根拠は「国民経済生産性」であり、労働者一人あたりの労働生産性を指摘されていないという点も理解しておかなければいけません。

国民経済生産性は国ごとに事情が異なるため、実際の生産性と比較すると、算出結果が前後します。計算式に使用されている就業者数は、その国独自の雇用体制・慣習によっても影響されます。日本においては、終身雇用などメンバーシップ型雇用が前提となっており、失業者(完全失業者)や求職者が出にくい労働環境にあるため失業率が低く、国民経済生産性の数値は低く算出されがちです。

各国の経済状況、為替変動の影響、法人税や所得税のルールの違い、雇用についての法律や個人の働き方などが異なります。さらに国民性やその国のさまざまな事情を背景に、得意産業も異なってくるでしょう。これらの点は、上記の統計には反映されにくいという点は認識しておくべきでしょう。

つまり、日本と国際社会の労働生産性の違いを語る場合は、
•国ごとの経済構造によって1人あたりGDP換算は異なる
•地方ごとの経済発展格差を考慮できていない
•企業労働生産性の代表値ではなく、全体の平均としてのマクロ的数値

といった点で検討の余地があります。

独立行政法人・労働政策研究・研修機構の調査による「国民1人あたりの年間総労働時間の推移表」を見てみると直近の数値では、日本は年間総労働時は1,735時間まで減少しています。出典元『公共財団法人 日本生産性本部』労働生産性の国際比較 2017 年版

しかし、1人あたりの就業時間が減少した背景には
•非正規(パートタイマー・アルバイト)が労働力人口の4割を占めるまでに増加している
•上記総労働時間はパート・アルバイトの非正規も含んでいる

という2点があることを留意しておく必要があります。

フルタイムの正社員に限定すると、日本の1人あたり年間総労働時間は20年以上「2000時間前後」で横ばいなのです。つまり、極端な言い方をすれば、「フルタイム社員の時間あたり生産性は1980年代から変わっていない」という表現もできてしまうのです。


原節子さん死去

2020-02-26 12:59:24 | 日記
2015年11月26日 01時23分 JST
原節子さん死去 今も色あせない名場面の数々
今も輝きを放つ出演作の名場面を中心に、在りし日の姿を集めてみた。
伝説の映画女優・原節子さんの死去が11月25日、伝えられた。
清楚なイメージで人気を集め「晩秋」「麦秋」「東京物語」など、小津安二郎監督の作品の代表的存在となった原さん。生涯、独身を貫き、「永遠の処女」と呼ばれた。

矢作 直樹

2020-02-25 16:57:57 | 日記
矢作 直樹(1956年 - )は、日本の医師、医学者、東京大学名誉教授。

神奈川生まれ。1981年金沢大学医学部を卒業後、麻酔科、救急・集中治療、内科の臨床医として勤務しながら、医療機器の開発に携わる。1993年「犬における静脈空気塞栓の肺通過域値に及ぼすハロセン、フェンタニール、ケタミンの影響」で滋賀医科大学、博士(医学)。国立循環器病センター勤務、1999年東京大学工学部精密機械工学科教授。東京大学医学部胸部外科非常勤講師兼務を経て、2001年東京大学医学部救急医学分野教授、同大医学部附属病院救急部・集中治療部部長に就任。2016年退官、名誉教授。

2011年『人は死なない』を上梓、死後世界の存在を主張して18万部となり、以後、出版活動をスタート。 2014年に刊行した『おかげさまで生きる』は30万部を突破。

2016年、第24回参議院議員通常選挙に日本のこころから比例区で出馬するが落選。

☆ ほぼすべてのキリスト教徒は、魂(たましい)は人間の不滅の本質であり、魂は死後に報酬か懲罰を受けると信じている。死後の賞罰は、善行あるいは主なる神とイエスへの信仰によって左右されるが、この基準に対して、キリスト教徒の各宗派間で激しい論争が行われている。 なお、魂の復活や、死後について触れられるのは新約聖書であり、旧約聖書での記述は皆無である。

霊魂(れいこん、英:SoulもしくはSpirit、ラテン語: anima、ギリシア語: Ψυχή) は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられている、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在のこと。人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在、人格的・非物質的な存在。個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在。