あさねぼう

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「ヤストモ・マーケット」

2020-05-06 19:21:51 | 日記
「ヤストモ・マーケット」

太平洋戦争慰霊碑のついでに、高津区JR武蔵溝ノ口駅と東急溝の口駅の間に、終戦後五十年近くもあった「ショッピングセンター・ヤストモ・マーケット」について書いておきたい。
「ヤストモ・マーケット」の「ヤストモ」とは「靖国神社之友」を短縮した「靖友」を片仮名表記にし、縮小した「ヤストモ」である。日華事変で中国で左胸貫通の銃創を負った故石原文具店社長石原義光氏の発案で、靖国神社を顕彰する傷痍軍人有志を募って「靖友会」を結成したのが、戦後の昭和二十一年(一九四六)だった。そして旧大井町線駅舎の建っていた東急溝の口駅跡地とJR武蔵溝ノ口駅舎との間の空き地約九百平方米を借り受け「ヤストモ・マーケット」を開業した。東急溝の口駅を出ると直ぐ手前左側にパチンコ屋と南宝亭があった。
ヤストモ・マーケットを入ると北側右側に「石原文具店」「持田写真機店」等、左側には「八百長商店」「恒川焼肉店」「黒川洋品店」等が軒を連ねていた。
南側JR武蔵溝ノ口駅の改札口をでるとヤストモ・マーケット杉崎時計店のショウ・ウインドウが見え、人々の待ち合わせ場所となっていた。隣は「コーヒー・ショップ」。杉崎さんの前には同じく角店の「嶋崎文教堂」があり、此処も待ち合わせに良く利用されていた。
当時JR武蔵溝ノ口駅と東急溝の口駅を乗り換える乗客用専用の連絡通路がなかったことから、雨天の場合は傘のいらないヤストモ・マーケットを利用したものだ。東急に乗り換える人々が急激に増加してくると、七十年代に溝口駅再開発の話が盛り上がり、平成九年キー・テナント百貨店「マルイ」が売り場最大面積三万二千平米で進出が決定し駅前再開発に弾みがついた。東急田園都市線が延長され長津田、次いで中央林間迄延長された。
昔あった「ヤストモ・マーケット」の五十年後の現在地は、一階が溝口駅前のタクシー・ハイヤー乗り場及び川崎市営バスと東急バスのターミナルと変わった。二階は東急JRを結ぶ「キラリ・デッキ」だ。


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1 コメント

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ヤストモか~ (ごましお)
2020-10-27 21:11:54
通勤で東急←→JRの乗換えで溝ノ口を使っていたけど、バブルの真っ最中にも関わらず戦後がそのまま残された様相のヤストモ百貨店。
買い物は一度もしなかったけど『中間くらいにあった1杯200円くらいの立ち食いラーメン』を何回か食ったのを思い出したよ
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