あさねぼう

記録のように・備忘録のように、時間をみつけ、思いつくまま、気ままにブログをしたい。

青梅吉野梅郷

2021-02-28 19:54:23 | 日記
青梅市の中心部よりやや西部に位置する、日の出山から伸びる丘陵と多摩川との間の長さ4kmほどの地域に25,000本の梅が植えられていた。青梅市梅の公園のほか、一帯には個人の梅園が多く点在する。

東京都内ではあるが、都心部より標高がやや高いほか、丘陵の北面に位置するため、都心部より遅く見ごろを迎える。

2009年4月に、植物防疫法の法令検疫対象のプラムポックスウイルスの感染が梅の木としては世界で初めて確認され[1]、2010年に123本が伐採された。その後も調査で見つかった感染木を毎年処理していたが、2013年11月に農林水産省が「プラムポックスウイルスの緊急防除に関する省令」を改正し、感染木の周囲の木も伐採するように定められたため、一般の入園を2014年4月3日をもって終了し、翌4月4日から5月30日までの間に園内の梅1,266本を全て伐採することとなった。今後、梅を植樹するには、この伐採から3年間に付近で新たな感染が無いことが条件となっている。

2015年、梅の里再生を目指し、NPO法人「青梅吉野梅郷梅の里未来プロジェクト」が設立された。

玉川 奈々福

2021-02-27 22:00:33 | 日記
玉川 奈々福(7月19日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本浪曲協会所属の浪曲師・曲師。日本浪曲協会理事。
清泉女学院中学高等学校を経て、上智大学文学部卒業後、短歌専門出版社、新潮社アルバイト、筑摩書房編集者として勤務する。

「天保水滸伝」より「平手の駆けつけ」「鹿島の棒祭」
「寛永三馬術」より「愛宕山梅花の誉」「曲垣と度々平」「大井川乗り切り」「筑紫市兵衛」
「甚五郎旅日記」より「掛川宿」「小田原の猫餅」
「慶安太平記」より「牧野弥右衛門の駒攻め」「善達三島宿」「正雪と謡屋」
「赤穂義士銘銘伝」より「俵星玄蕃」
「清水次郎長伝」より「お民の度胸」「石松金毘羅代参」
「国定忠治」より「忠治山形屋」
「茶碗屋敷」
「陸奥間違い」
「団十郎と馬の足」
「仙台の鬼夫婦」
「阿漕が浦」
「塩原多助 円次殺し」
「亀甲縞の由来」
「源太しぐれ」
「梅ケ谷江戸日記」

三浦富士

2021-02-25 19:49:57 | 日記
京急長沢駅~殿前公園~三浦富士~砲台山~武山~津久井浜観光農園~京急津久井浜駅


コース概要
京急長浜駅から歩き出す。
県営住宅などを道標に従って進むと津久井小学校を右手に折れて浅間神社に到着する。
ここから丘陵地帯へと進んでいく。
緩やかに登っていくと警察犬の訓練所を通過、ここで津久井浜方面からの道と合流し三浦富士へと向かう。
階段が整備された道をわずかに登れば三浦富士に到着する。
山頂からは南側の展望に優れ、天気がよければ富士山や天城山を見渡すことができる。
三浦富士から下り、途中で車道を合わせれば砲台山に到着する。
ここには昭和初期に作られた砲台跡と海上保安庁の無線基地局がある。
山頂からやや急な下りを経て鞍部に降り立つ。
階段が続く道をたどり、電波塔の脇を抜けると武山に到着だ。
武山不動の裏手が最高点になるが、境内となるので立ち入りは禁じられている。
山頂を辞して樹林帯を下ると、ほどなく舗装路となる。
あとは川沿いの河津桜が咲く遊歩道を歩いていけば住宅街を抜け、津久井浜駅に到着する。

永 六輔

2021-02-24 22:07:45 | 日記
永 六輔(1933年(昭和8年)4月10日- 2016年(平成28年)7月7日)は、日本のラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家。元放送作家、作詞家である。自称は“旅の坊主”、“ラジオ屋”、“テレビ乞食”、“遊芸渡世人”、“男のおばあさん”など。本名は永 孝雄(えい たかお)。晩年の所属事務所は「オフィス六丁目」だった。

角刈り頭と細長い顔がトレードマーク。

長女の永千絵は映画エッセイスト、次女の永麻理は元フジテレビアナウンサー、麻理の次男は「大遺言〜祖父・永六輔の今を生きる36の言葉」(小学館刊)の著者拓実。また、藤本義一とは遠戚である。