人工股関節のち晴れ、時々バセドウ病

applecider's diary (ブログタイトルを変更いたしました!)

お姫様セット

2004年10月31日 | ふと思った事
昨日は私のかわいい、かわいい、姪のお誕生日だった。(姪は3歳に!)
夕方、雨の中、主人の実家にみんなで集まり、お誕生日会開催。まあ、下町なのでメニューは「寄せ鍋」。(ちなみに普段の週末家族が集まるとこの時期は「湯豆腐」です。)そしてケーキは不二家のバースデーケーキ。
すでに今日が何の日なのか分かっている様子の姪はもうはしゃぎっぱなし。私は家に行ったとたん私の周りをぐるぐる回りはじめて、目が回るったらありゃしない。奥のお部屋にプレゼントの包みらしきものを発見した姪は、待ちきれない様子で「これ、何かな? 開けてみよっかぁ?」とかわいいらしい声で話しかけてくる。仕方がないので「そうだね。じゃあ、お鍋食べてからみんなで開けようか?」と言ってみると、「うん、そうする!」と言って寄せ鍋の準備を手伝い始めた。そして寄せ鍋を食べ始めるとすぐに「あれ、開けてみようか?」とか、「ケーキ、食べようか?」とかもう落ち着かない。なんとかなだめすかして、寄せ鍋を食べおえ、ようやくバースデーケーキ。すでにニコニコ顔の姪の顔は満面の笑み。この時だけは黙々とそして顔中クリームだらけにしてケーキをたいらげて今度はプレゼント。私達夫婦からは、姪の大好きなディズニーのお姫さまたち(アリエルとか、ベルとかシンデレラ)の腕時計。一応本物のデジタル時計になっている。主人の妹からはディズニーの「お姫様セット」。宝石箱みたいな入れ物に、イヤリング、指輪、ティアラ、ネックレス等が入っている物。姪は大喜びで、腕には時計、そしてお姫様セット全部身に付けて記念撮影。でもどうもそのお姫様セットのアクセサリーが、成金趣味なのよねぇ。まるでデ○夫人のようになっちゃった。でも姪は大満足で、もらったもの全部を一生懸命腕にかかえて「きょうはありがと。おやすみなさい。」って言って寝室に消えて行った。きっとお姫様になった夢を見るんだろうなぁ。
と、言うわけで昨日は伯母バカな一日でした。






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私の好きな美容師さん

2004年10月29日 | ふと思った事
いつも私の髪を切ってくれる美容師さん、Sさんは江角マキコによく似たカッコいい女性。背が高くスリムで、さらさらなストレートの髪を持っている。いつも陽気で豪快に「ガハハハッ」とよく笑う。彼女のおちゃめな話もとても楽しい。例えば、「あるお休みの日、朝から掃除をしようと決めていたのに、いざ掃除をはじめると掃除機が壊れている。そのうえ外はどしゃぶりの大雨。それでも掃除をすると決めていた彼女は、どしゃぶりの中、徒歩15分くらいかかる電気屋さんへ行く。電気屋さんのおじさんに、ホントに今日持って帰るの?とあきれられてもめげずに、どしゃぶりと想像以上に重たい掃除機を抱えてどうにか帰って来た。(途中、休みながら1時間くらいかけて帰ったらしい。)んで、帰ったらもう夕方。それでもめげない彼女は、せっせと掃除をしたらしい。せっかくのお休みはどしゃぶりの中、掃除機を買いに行ったことと、夕方からやっとのことで掃除をするとういうことで終わってしまった。」そんなこんなな話を毎回、楽しくおかしく話してくれる。きっと彼女のお客さんたちは私と同じように彼女の話を楽しみにしているんだろうなぁ。











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私の手元に帰って来た絵

2004年10月28日 | ふと思った事
随分昔に勤めていた会社で、当時、壁に絵でも飾ろうとういうことになった。
んで何故か私が絵を選んでいいということになり、私と上司が絵を買いに行く事になり、渋谷のLoftへ。
思いつきだったから予算もたいしてなくて、50万円くらいする絵を指差した私は思いっきりしかられた。それではとそれほど高価でなくて、素朴で、何となくひかれる絵を一枚選んだ。たしか3万円くらいだったと思う。私になりにとても気に入った絵だったけど、会社に戻ると賛否両論で「何だかなごむねぇ」って言ってくれる人もいれば、「意味分かんない」と言い放つ人もいた。
そのうち私は会社を辞め、その絵のこともずっと忘れていた。
会社を辞めてから約10年がたったある日のこと。
その会社にいる先輩から一本の電話があった。今さらなんだろうと思ったら、「会社が入っているビルが取り壊しになるんで引っ越しをしてるんだけど、絵はおまえのだから取りに来い」と。
そんなわけで、いきなり私の手元に戻って来た絵、今ではうちのテレビの上あたりに飾ってあり、今でも私を和ませてくれる。何故、先輩がこの絵が私のだと言ったのかは不明だけど、会社を辞めた時は退職金も出なかったから遅い退職金をもらったと思えばいいかなと、勝手に解釈している。当時は誰が書いた絵なのかも知らなかったんだけど、せっかくなのでネット調べてみた。どうやら中村ちとせさんという方の絵らしい。いろいろな国へ旅して絵を描いている。
いつかまた中村ちとせさんの絵を買いたいなと思った。
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ダウン症

2004年10月27日 | ふと思った事
昨日、テレビで「たったひとつのたからもの」が放送された。
私はまだ見てない。番組の宣伝見ただけで涙が出て来てしまったから。
私の甥はダウン症で6歳。どうしても秋雪くんとダブってしまう。
わけあって、今は彼に会えないし、もう一生会えないかもしれない。
私の甥の場合、体が弱くて、冬になると必ず風邪をひき、こじらせ、入院する。
一度は肺が機能しなくなり人工呼吸器を使った事もある。
小さな体に何本ものチューブがささっているのを見た時は代わってあげたいと思った。
何度も入院するから人の痛みがわかるのか、とても優しい子になった。
テレビの「おかあさんといっしょ」に出てくるお姉さんが白い手袋をしてた時、彼はそれが包帯に見えたらしく、「いたい、いたい。かわいそう。」とつぶやいてた。
そして最近になってテレビの中に彼そっくりの男の子を見た時、しばらく動けなかった。
「たったひとつのたからもの」の宣伝だったんだけど、ホントに彼そっくりで、後から後から彼の思いでがよみがえってきて、涙があふれた。
「たったひとつのたからもの」はビデオに録画したけど、この番組をまだ見る事ができない。
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私に出来る事

2004年10月27日 | ふと思った事
さっきまた地震があった。私が住んでいるのは東京だけど、今度の新潟の地震は大きいのが来ると東京も揺れる。だからなおさら新潟の人たちが心配になる。正直な話、阪神淡路大震災の時は仕事も忙しかったし、東京では揺れることもなかったから、どこか人ごとだと思ってた。でも今回は違う。人ごととは思えない。とても怖いし、早くおさまってほしいと思う。股関節の悪い私に出来る事はなんだろうって考えた。新潟へ行ってボランティアでも出来ればいいんだろうけど、とてもそんなことは出来ないから、一番簡単なことしてみた。わずかだけど、募金。ちょうど、イーバンクからのメールで義援金の募集があり、振込み手数料無料で振り込めるとあったので、さっそく振込みの手続きをした。ほんとにわずかな金額だけど、同じような気持ちの人がたくさんいれば積もり積もって大きな金額になって、きっと新潟の人達の助けになると、そう信じたい。

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車イスの不思議 at ディズニーシー 後編

2004年10月27日 | 股関節のこと
電動車いすのいいところは、あまり力を入れなくても押せること。
電動車いすの悪いところは、坂道を上る時は速度が遅くなり、下る時は速度が早くなること。
速度調節のつまみがついていて、坂道ののぼりで「速く」して、下るでは「遅く」にするんだけど、それが特に下りになると間に合わないのか、あっという間にスピードが出る。はじめは少し怖かった。でも乗ってる私は怖いって思うくらいだけど、押しているYちゃんは坂道の下りになると小走り状態になってしまい、とっても大変そうだった。

ディズニーシーは楽しかった。
でもそれは車いすを使ったからかもしれない。
園内には結構車いすの人を見かけることが多かったんだけど、よく見てみると杖を持った人も結構居た。
前編に書いたように、車いすだと優遇される。でも、杖を使って歩いている人には優遇はない。
あの坂だらけの園内を歩き回らなければならないし、きちんと順番も守って並ばなければいけない。
並ぶということは、立っていなければいけないし、それは2~3分のことじゃなくもっと長く待たなければいけない。
園内にベンチもあるけど、どこのベンチもたいてい誰かが座っていて、休みたいと思った時に必ず座れるとは限らない。
そう思うと、杖を使用しなければ歩くのが辛い、でも車いすは必要ないという人に対しては、冷遇されているっていう感じがしてならない。車いすとは正反対。もう少しどうにかならないものかと思う。

電動車いすと、押してくれたYちゃんのおかげで股関節の痛みをほとんど感じることなく、一日楽しめた。
ほんと感謝してます。その後のYちゃんの状態が少し、心配です。いくら調子がいいとはいえ、やっぱり股関節の手術してるんだから、無理はいけないもんね。(無理させたのは私です。 ごめんねYちゃん、そして本当にありがとう!)






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車イスの不思議 at ディズニーシー 前編

2004年10月26日 | 股関節のこと
先日、ディズニシーへ行って来た。
一緒に行ったのは股関節で入院していた時に出来た、股関節友達二人。
Yちゃんは術後の回復も早くて、今では走ることも出来る。(凄すぎ!)
Mちゃんは長距離や長時間歩くとまだたまに痛みが出たりするので杖が必要な状態。
私はというと正直30分立っていられない状態。
誘われた時、とっても悩んだ。
行きたい、でもきっと無理。いや、車いす借りればいいじゃないか、でもやっぱり・・・・。
さんざん悩んだ結果、行かないと決めた。
でも二人に押し切られた。「車いす借りるから大丈夫! 待ってるからね!」で、あっけなく行く事になった。

ディズニシーは何故か坂が多い。
車いすを借りに行くと、すぐに係の人に女性が介助だと坂がきついから電動車いすのほうがいいですよとすすめられた。
それじゃあと電動車いすを借り、アトラクションへ!
でも、2回の入院で手動の車いすに慣れている私はどうも落ち着かない。
電動車いすって、介助の人が操作する以外に動く方法がないのね。
病院では車いすかっとばしていたから、自分で動かせない車いすがとてつもないストレスになった。
かと言って、歩き回れるほど私の股関節元気じゃないし。

良かったのは思ったよりも空いていた事。
どこのアトラクションも待ち時間がたいした事なくてほとんどのアトラクションを楽しむ事ができた。
それとびっくりしたのが、待遇。
車いすだと普通の人よりも待ち時間がとっても少ないの。
まず、アトラクションの入り口へ行って、係の人のところへ。
係の人はアトラクションの説明をしてくれる。「このアトラクションは乗り物に乗って行きます。多少横に揺れたりしますが、大丈夫ですか?乗り物に乗る際、少し段差がありますがお手伝いしたほうが良いですか?」等。
そして、カードに時間を書き込んでくれる。その時間にもう一度アトラクションの入り口に行くと、すぐに案内してるようになっている。場所によっては入り口が別だったり、出口から逆流するように入っていったり、いろいろ。
でも何処でも気持ち良く対応してくれた。

ディズニーシーでもディズニーランドでもそうだけど、時々ディズニーのキャラクターが歩いてたりする。
この時もデイジー(ドナルドの彼女?)を発見!
せっかくだから写真でもって思ったんだけど、あまりの人だかりで車いすじゃ近付けないやと断念しようとしていたら、何処からかスタッフが現れて、「デイジーと一緒に写真撮りますか?」と声をかけてくれた。「はい、お願いしたいんですけどぉ」ってちょっと弱気な私たちに「じゃぁ、ちょっと待ってて下さいね!」って言って、デイジーに何やら話しかけていた。そうするとすぐにデイジーが私たちのところにやってきて一緒に写真撮ってくれたのだ。デイジーに抱きしめられて、なんだかあったかいような、うれしいような、くすぐったいような気持ちになった。

後編へ続く・・・







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足の事(中学~高校時代)

2004年10月26日 | 股関節のこと
中学生になると大学病院への定期検診に行くのをやめてしまった。だって、レントゲン撮るのにスカート脱いで下半身はパンツ一枚だけにならなくちゃいけない。それが当時の私にはすっごく恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかった。最近のレントゲンの技師さんたちは、パンツの上にタオルをかけてくれて恥ずかしい思いをしないようにしてくれるけど、当時はそんなことしてくれる技師さんはいなかったし、レントゲンの技師さんて何故か若い男の人が多かったから、余計恥ずかしさが増えたんだと思う。
この頃は股関節に痛みが出ることは全くなかったから、もう行く必要はないと勝手に判断してた。
母も私の股関節は完治したと思っていたみたい。

高校生3年生の時、突然痛みが出た。小学生の時と同じ痛みだったからまたひねったんだと思って、病院に行かなかった。でも痛かったなぁ、あの時。なんとなく友達にも言えなくて、痛いのに無理して歩きまわったりして。でもその痛みも1週間くらいで治ってしまったので、それ以上何とも思っていなかった。この頃きちんと病院へ行っていればと少し後悔しちゃうなぁ。






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両親の事

2004年10月25日 | 股関節のこと
大人になって、股関節が悪くなって、両股関節の手術(臼蓋回転骨きり術)を受けて後、うちの両親はすっかり安心したのか、急激に老けていったような気がする。思えば、私の股関節、赤ちゃんのときから悪かったから、ずいぶん両親には心配をかけたと思う。そろそろ親孝行したいところだけど、最近とくに左股関節が痛んで仕方がない。両親にはまたも股関節が悪化してしまったことをまだ言っていない。だってこれ以上心配かけたくないから。だから最近は両親とは距離を置いている。会えば私の股関節の調子が悪いのはすぐにわかってしまうから。でももし人工股関節の手術をすることになれば、やはり言わないわけにはいかないんだろうな。心配そうな母親の顔をまた見るのかと思うと、悲しい。






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足の事(小学校時代)

2004年10月25日 | 股関節のこと
なにごともなく幼稚園を卒園し、そして小学校へ入学。
この頃は1年に1回のペースで大学病院へ定期検診に行っていた。
母が小学校の先生にお願いしていたらしく、体育の授業は私だけ少し特別扱いされた。
それは「うさぎ飛び」。
最近の体育ではあまりやらないみたいだけど、当時は準備運動が終わると「うさぎ飛び」と「ランニング」が必須だった。私は「うさぎ飛び」が禁止されていたので、その分みんなよりも多くランニングをすることになっていた。みんな「うさぎ飛び」を一生懸命やっている横を、私だけ駆け抜けて行く感じ。 不思議な事に、そのことで誰かに何かを言われたりしたことはなかった。
でもブルマーの下からのぞいている手術の跡は隠せようもなくて、男の子から「おまえの足、根っこがはりついてるぞ!」なんて言われた事もあった。でも仲のいい女の子たちが必死にかばってくれた。少し傷付いたけど、よく母から「この傷(手術の跡)がなかったら、あんたは歩けなかったんだよ。今歩けるのは、この傷のおかげなんだよ。何にも恥ずかしがる事なんかないんだよ。」って言われていたから、それほどメゲなかった。母に感謝です。
赤ちゃんの時の手術跡は最初はそれほど大きなものではなかったはずだけど、成長とともに手術跡もしっかりと大きくなっていった、というか伸びていった感じかな。
小学3年生か4年生くらいの時、左足の付け根が痛んだことがあった。
母に話すとすぐに近くの接骨院へ連れて行かれた。接骨院で「たぶんひねったんでしょう。」言われ母がホッとした表情をしていたのを覚えている。でも、今思えば、これが変形性股関節症の前兆だったんじゃないかと考えてしまう。
それと体育の授業で苦手なもの、「とび箱」「棒高跳び」「幅跳び」「ハードル」等。
見事に股関節の動きに関係するものばかり。ずっと私は運動神経が悪いんだって思ってたし、母も「あんたは運動が苦手だから。」って言ってたからそう思い込んでたけど、実は股関節のせいだったんじゃないかな。母はそれを認めたくなかったんだと思う。でも、あの頃に「運動が上手にできないのは股関節のせいだから気にするな。」って言ってくれればなぁ。それなりに悩んでたんだから。






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