なにごともなく幼稚園を卒園し、そして小学校へ入学。
この頃は1年に1回のペースで大学病院へ定期検診に行っていた。
母が小学校の先生にお願いしていたらしく、体育の授業は私だけ少し特別扱いされた。
それは「うさぎ飛び」。
最近の体育ではあまりやらないみたいだけど、当時は準備運動が終わると「うさぎ飛び」と「ランニング」が必須だった。私は「うさぎ飛び」が禁止されていたので、その分みんなよりも多くランニングをすることになっていた。みんな「うさぎ飛び」を一生懸命やっている横を、私だけ駆け抜けて行く感じ。 不思議な事に、そのことで誰かに何かを言われたりしたことはなかった。
でもブルマーの下からのぞいている手術の跡は隠せようもなくて、男の子から「おまえの足、根っこがはりついてるぞ!」なんて言われた事もあった。でも仲のいい女の子たちが必死にかばってくれた。少し傷付いたけど、よく母から「この傷(手術の跡)がなかったら、あんたは歩けなかったんだよ。今歩けるのは、この傷のおかげなんだよ。何にも恥ずかしがる事なんかないんだよ。」って言われていたから、それほどメゲなかった。母に感謝です。
赤ちゃんの時の手術跡は最初はそれほど大きなものではなかったはずだけど、成長とともに手術跡もしっかりと大きくなっていった、というか伸びていった感じかな。
小学3年生か4年生くらいの時、左足の付け根が痛んだことがあった。
母に話すとすぐに近くの接骨院へ連れて行かれた。接骨院で「たぶんひねったんでしょう。」言われ母がホッとした表情をしていたのを覚えている。でも、今思えば、これが変形性股関節症の前兆だったんじゃないかと考えてしまう。
それと体育の授業で苦手なもの、「とび箱」「棒高跳び」「幅跳び」「ハードル」等。
見事に股関節の動きに関係するものばかり。ずっと私は運動神経が悪いんだって思ってたし、母も「あんたは運動が苦手だから。」って言ってたからそう思い込んでたけど、実は股関節のせいだったんじゃないかな。母はそれを認めたくなかったんだと思う。でも、あの頃に「運動が上手にできないのは股関節のせいだから気にするな。」って言ってくれればなぁ。それなりに悩んでたんだから。
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