KAZUのよもやま

KAZUの生活の中で
さまざまをブログに・・

普天間基地と沖国大

2015-04-27 20:38:26 | Peace


テレビや新聞でよく出る写真ですが、私の撮影です。

普天間基地から南に2~3㎞くらいでしょうか、嘉数高台公園からの写真です。

宜野湾市の南の高台(100段程の階段を登ります)にある公園で、360度の展望があり、写真の通り普天間基地の撮影には抜群です。
写真を改めて見てみると、滑走路はけっこう波打っているように見えますね。

しかし、住宅密集地に広大な敷地で基地が陣取り、市民の方々は肩を寄せ合って暮らしているという感じです。



2004年8月、沖縄国際大学に普天間基地所属の海兵隊のヘリコプターが墜落・炎上しました。

沖国大と学生たちが「二度と事故を起こさせない、私たちの世代が沖縄を守っていく」ことを決意。
ヘリ墜落時に焼け焦げたフクギの木のモニュメント広場(2012年8月)に行ってみました。
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辺野古に基地はいらない ‼

2015-04-22 18:25:58 | Peace


沖縄県には数回訪れているのですが、初めての「辺野古」です。

米軍基地との境となるフェンスには、「辺野古基地建設反対」を訴えるたくさんのメッセージがくくり付けられていました。
そして、この時も東京にある大学の付属高校の生徒に皆さん200名余、観光バス4台で来ていました。
基地建設反対の運動をしている方から説明を受けていました。

私が行った2日後、「米兵らしき普段着の外国人と日本人20名余が来て、フェンスにくくり付けたメッセージを剥がして行った」というニュースを聞きました。



辺野古の抗議の座り込みテント。

ここでは、先ほどの高校の生徒の皆さんと違って、大人の方々が40名ほど、説明を聞いていました。

写真の右、立て看板ににある赤色の数字「3726」は、座り込みを初めての日数。
10年を超え、当然のことながら昨年に訪れた時の写真なので4000日を超えています。
粘り強いたたかいです。

「勝つ方法は、あきらめないこと」、この看板もありました。
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沖縄美ら海水族館と伊江島

2015-04-07 07:54:46 | Peace


おなじみの「沖縄美ら海水族館」

2回目になりますが、1日居ても飽きない水族館です。
「沖縄美ら海水族館」の隣にあるホテルに宿泊したので、開園と同時に午後3頃まで居たような気がします。



「沖縄美ら海水族館」
にあるオキちゃん劇場のイルカショー。

20分程のイルカショーに観客の皆さんも釘づけ、歓声をあげていました。

が、私が注目していたのは海の向こうに見える伊江島。
島の3分の1ほどを米軍の基地が占め、我が物顔に飛行訓練が行われているこの島。
この時も、4~5機ほどのオスプレイが頻繁に離着陸訓練を繰り返していました。

4人の飼育員の右から2人目の上。
写真を拡大してみました。

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沖縄・東村のパイン

2015-04-03 12:11:50 | Peace


沖縄県国頭郡東村に数年前から美味しいパインをお世話になっている金城さん(この地には金城さんはいっぱいいますが)という方がおいでます。

この機会にと思い、初めてでしたがおじゃましてパイン畑にも連れて行っていただきました。




写真は路地パインなので収穫はもう少し先のようですが、右手にハウスがあって食べごろのパインがいっぱい。

生産者のお宅に行くと採りたての果物がいただけるのでえいでね。

この後間もなく、写真右手(高江方面)から戦闘用のヘリコプターが1機、上空を通過していきました。
後で調べてみると、普天間基地に配備されている「AH-1J 軽攻撃ヘリ シーコブラに似ていました。
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やんばる東村(沖縄県)

2015-04-02 13:42:24 | Peace


2014年7月、沖縄県国頭郡東村高江。
那覇市から車で約3時間。
何度か訪れた沖縄ですが、名護市以北へは初めて、自然いっぱいの地域でした。

2014年6月に須崎市と高知市かもだ地区で「標的の村」の自主上映会を開催。
2ヶ所で預かったカンパを持って、「ヘリパットいらない住民の会」へ届けるため。





緑豊かな高江にある米軍北部訓練場(ジャングル戦闘訓練センター)。
ここにある22ヶ所のヘリパット(ヘリコプター離着陸帯)に加え、住民が住んでいる高江地域を囲むように6ヶ所のヘリパットの増設計画。
今でさえ爆音や墜落の危険にさらされているのに、さらにオスプレイの配備で住民の不安が増大しています。

ヘリパットいらない住民の会」の皆さんは何ヶ所かで24時間体制で座り込みをしているのですが、訪れたのは「N-1ゲート」。
住民の方にいろいろなお話をうかがいました。





この「N-1ゲート」での座り込み小屋には、私の職場の寄せ書きが掲示されていました。
6月下旬、「辺野古支援」活動で職場の青年職員を派遣するにあたって、寄せ書きを書いたものでした。
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地域の「九条の会」がつどい

2012-01-28 21:17:18 | Peace


地域の「九条の会」が主催して、「新春!うたごえのつどい」を開催。

予想を超えて100名以上の参加で、うれしい悲鳴。
ハプニングが続きながらも、老若男女が歌うは唄う2時間。

午後2時から始めたこの「つどい」
チョッピリのお酒も入って、2次会に行った年配の人たちも。



「九条守れ」の思いと、人を結びつける歌とがひとつになっていました。
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新春!うたごえのつどい

2012-01-15 09:28:57 | Peace


地域の「九条を守る会」
毎月の街頭宣伝と、毎年1回の行事を開催して、地域の人たちに呼び掛けている。
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松代象山地下壕その2

2008-09-08 22:17:10 | Peace


長野・松代町は歴史ある町とのこと。

趣のある家と町並みがあり、象山地下壕のすぐ側も。



今から20数年前、長野俊英高校 の生徒が沖縄への修学旅行で壕へ入り「松代にも壕がある」との話になった。

このことがきっかけになって当時の高校生が調査するにつれ、地域で埋もれていた歴史が、高校生の調査・研究と、地域の人たちがいっしょになって明らかになってきたとのことでした。



象山地下壕の近くに 信州・松代 れきみちの家 というのがある。

この俊英高校・郷土研究班の拠点になっているとのこと。

この間、皇室と大本営の入る予定だった「舞鶴山地下壕」周辺の130世帯余りでは強制立ち退きが行なわれ、「男性が徴兵でいなくなり残された老人や女性や子どもでわずか数日で引越しをさせられたことなど」、聞き取り調査を行なっているとの話しであった。

この建物、俊英高校・郷土研究班の顧問の先生が私費で建設したとのことでした。

他にもいろいろなHPがあります。

平和資料館・きぼうの家

もうひとつの歴史館・松代
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松代象山地下壕

2008-09-07 10:59:31 | Peace


9月5日(金)この機会に以前に聞いていた「長野市松代町」の「松代大本営」移転地下壕を訪れた。

汗ばむ日でしたが、壕の入口から冷たい風が吹き出ていました。

幅1m高さ2m少々の入口、20mくらい進むと直角に右に折れ、数10m。

すると幅4m高さ3m程の広さになる。



この壕は、総延長5800m余、23000㎡になるが、公開され見学できるのは500m余り。

終戦の前の年(1944年)の11月11日11時11分から、戦況が危うくなった政府が、政府機関や皇族、そして大本営の移転のために作業が始まったとのこと。

終戦を迎える8月までの9ヶ月余りで総延長10kmの壕を、6000人に及ぶ朝鮮人が強制労働で動員され働かされたそうです。



壕の一番奥には、韓国語で書かれたメッセージボードやたくさんの折鶴が掲げられていました。

従事していた朝鮮の殆どの人たちは名前もわからず、多くの犠牲者が出ているようですが明らかになっているのは3名だけとか。

この壕は政府機関、放送局・電話局の施設の計画。

南に数kmの「舞鶴山」にも壕が掘られており、皇室や大本営の施設の計画だったとか、今は気象庁の地震観測施設になっており、一部を除いて立入禁止になっているとのこと。
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2007.8.6

2007-08-08 22:18:34 | Peace


8月6日、62回目となる平和への誓いをあらたにすます。

様々なニュースが通過する中で、立ち止まりもう一度。


秋葉広島市長の「平和宣言」もありますが、二人の子ども達の「平和への誓い」に注目しました。



   写真は中国新聞の写真を拝借しました。

「あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。これが原子爆弾です。これが戦争です」

「しかし、原子爆弾によっても失われなかったものがあります」

「それは生きる希望です」

「焼け野原になった街をつくり直してきました。そして、広島は、自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました」

そして

「嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります」「でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません」

「同じことがいつまでも続くだけです」

「平和な世界をつくるためには、『憎しみ』や『悲しみ』の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です」

「そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを『知ること』が大切です」

「途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます」

「1人でも多くの人たちに『伝えること』は、私たちの使命です」

と。


全文は..
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2007080601000073_Detail.html


就任後初めての出席となったという安倍総理は「今後とも、憲法の規定を順守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していく」と誓ったそうですが。
「原爆投下について『しょうがない』と言った久間前防衛相をかばい続け、その後辞任したことや、そもそも「憲法を改正する」動きを強行に進めることなど。
言っていることと、この間に行なってきたことと「違うでしょ」と。

こうした「子ども達の真直ぐな思いを大切にする」大人の存在も、いまとっても大切な時代になっているということを。




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