清瀬小児病院の存続を求め署名を提出してきました

2010-02-15 15:38:58 | 清瀬小児病院守りたい
先週の日曜日、14日の日曜日と3週続けて東村山市内の各駅で、
清瀬小児病院を残してほしいという署名に取り組みました。
各駅では毎回100人を超す署名が寄せられ、
昨日は212筆もの署名がよせられました。

今日15日午前中、集められた署名を持って病院経営本部に届けに行ってきました。
写真は、清瀬小児病院を守る会の小野会長が署名を手渡している様子です。
手渡した署名数は、7495筆。


石原知事が清瀬小児病院などの廃止計画を打ち出した2001年以来、
この9年間に、清瀬小児病院を守ってほしいという署名は、
知事や都議会に、合わせて20万人分を超えました。
署名を手渡した後、20人を超える参加者から口々に清瀬小児病院を残すことの大切さが訴えられました。
私も、住人の多くは納得していない、だから今でも署名の訴えをすれば次々に署名に応じる。子育てをしている身近な所に清瀬小児は残すべきと、席の一番前に陣取ってお願いをしました。(写真下)


2月15日に、書いた記事中、紹介状を持ってくるようにという件は間違っていたという指摘を受けました。以下のようにその経緯を紹介し、訂正します。(3月20日 福田かづこ)
●1月29日夜、子どもが熱を出した。清瀬小児病院で腎臓の手術をしているので清瀬に電話をしたら、多摩北部医療センターにいくよう言われた。
多摩北は電話をしたがなかなかつながらず、やっとつながった時に、診てもいいけど・・・100人ぐらい待っている。いつ診療できるかわからないと言われ、朝まで待った。

翌30日近所の診療所へ。抗生物質を貰って帰宅。その夜から40度の熱。多摩北に電話。救急がいっぱいなので、東村山市の休日診療所へと言われた。

31日 多摩北で診てもらい熱下がった。

2月1日 登校するも発熱。清瀬小児に電話、多摩北に行くよう言われたが38.5度蔵ならかかりつけ医にと言われた。夜40度に。

2月2日 診療所に行く。医師が触診し多摩北へ紹介状を書く。血液検査をし、菌が入っていると言われ、気管支炎で3~4日入院。

以上です。清瀬小児が救急で受け付けていたら入院は必要なかったかも。多摩北部医療センターはキャパが少ないのではないかなど、小児救急医療に関する幾つもの深刻な実態が浮かび上がります。
清瀬小児は完全に診療を終わりました。子どもたちが決して犠牲になることのないよう、引き続き頑張らなければなりません。(以上3月20日追記)

●3か月の孫が、引付を起こし、医療機関を受診
風邪と言われて帰宅、再び引付を起こしたので救急車を呼んで清瀬小児病院に運んでもらった。入院して手術を受け、今も通院している。
こうした病院が近くにあったから孫の命は助かったんだと実感している。
なくさないでほしい。

●妹の二番目の息子が生まれ、どうも様子がおかしいと清瀬小児病院を受診した。
ダウン症と心臓が悪いことが分かり、清瀬小児に近い東久留米に越してきた。車で10分~15分でいきつくことができる距離。この時間ですら遠いと感じるのが子どもの容態の急変。その子は3歳で亡くなったが、こうした子どもたちのためにも、子育てしている身近な所に清瀬小児のような医療機関が必要。

など、自分の、また署名の際寄せられた切実な声を私も含め参加者がしっかりと伝えました。

署名を受け取った都の病院経営本部の職員は
皆さんの話されたことは上司に伝える
と言ってくださったものの、
やっぱり私たちの声を、真剣に受け止めてはくれていないのだろうな~と思わされました。」

それでもあきらめるわけにはいかないので
2月21日、午後一時半 池袋の旧豊島公会堂(みらい座いけぶくろ)で
都立3病院存続を求める都民の集い
が開かれます。
清瀬小児病院を残したい人 大いに参加しましょう。