カンボジアを訪ねて アンコール・トム①

2019-01-29 10:21:31 | 
アンコール遺跡群から今日はアンコール・トム

アンコール・トムは ワットの30年後に建設された都である。
帰国後読んだ本によれば、
クメール人の王朝は その昔は世襲制ではなく
王に名乗りを上げた有力者が闘い、勝利したものが継承するものであったそうだ。
乱暴に言えば、
そのために、新たに王位に就いた者は
自身の王都を築き、寺院を建て、そして自信を神格化することで国を治めていったそうだ。


従って、アンコール・ワットはジャヤーバルマン七世が建設したが、
トムの建設は18代目の王、スールヤヴァルマン二世である。
今では王宮が失われ、石造りの寺院だけが残っている。

南大門に至る橋の入り口にに立つコブラの像は都城を守る神
片側はアシュラ、もう片側は神々の像があったそうだが盗まれて、売られたりしたそうでレプリカがあった。


寺院の正面を見ると尖塔が幾つもつながった寺院であることがよくわかる。
寺院の名はバイヨン。大乗仏教の寺院だ。
意味は仏像又は王の寝台を置く場所の意だそうだ。

緑色の幕は 修復途中の工事現場ある。日本が受け持っているとの事。
壮大な伽藍であることが分かった。

第一回廊の一部。一面彫刻が施されている。

下の写真は、闘犬、その下は闘鶏が行われていたことを示しているそうだ。



アンコール・トムもワット様式と言われるように
幅200mの大きな堀が回らされている。
この堀では、近所の漁師が投げ網でナマズなどを獲っていた。


寺院は中央棟を巡る三重の大回廊、
天空を見上げるような急な(斜度60度とも70度とも)大階段、
空に聳える大きな尖塔。

どれもが迫力を持っている。
また、塔の一番上の四面には仏像の顔が彫られ、下二枚目の写真は一番鼻が高い像だそうである。


さらに 幾体もの女神像が施されていた。



長年の雨や樹木の生育などにより多くのか所で崩れ落ちた石が詰まれていた。
修復は困難なようであるが、それでも各国の支援を受けて少しずつ進んでいるとガイドのホーさんが説明してくれた。

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1 コメント

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加筆 (福田かづこ)
2019-01-31 19:13:50
寺院の名前など加筆しました。
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