牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

10月23日(水) 「渡辺善太全集6<聖書神学論⑤> 渡辺善太著

2013-10-23 06:30:58 | 日記
 
 前回は旧約聖書における「預言と成就」であったが、今回は新約聖書における「預言と成就」である。

 本からの引用。「初代教会の信仰者たちは、一つのかたい信仰に立っていた。それはナザレのイエスこそ旧約聖書において預言されているメシヤである、という確信であった。この意味における「預言と成就」を示す旧約聖書の言葉の引照は、新約聖書中に満ちている。」

 新約聖書の中で特に、旧約聖書を信じメシヤを待ち望んでいるユダヤ人たちに、イエスがメシヤ(救い主)であることを、旧約聖書から論証することを主題としていたのがマタイの福音書であった。それはマタイの福音書冒頭に書かれている「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」という表現にその意図があらわれている。なぜならメシヤの代名詞は「ダビデの子孫」であるからだ。

 
 「マタイ伝のユダヤ人に対する弁証点は、くどくど述べてきたように、「旧約聖書に預言せられているメシヤは、ナザレのイエスなり」という点であった。そしてこれを現わす最もユダヤ的な肩書きが、「ダビデの子」であり、本書(マタイ伝)はこの肩書きをまっこうにかざして、ユダヤ人に対し、彼はこの主張を論証せんとした。」

 マタイの福音書には、旧約聖書を引用して、「この出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった」という表現が何度もでてくる。マタイは「あなたがたが待ち望んでいた約束のメシヤは来られました。旧約聖書の預言は成就したのです。それを実現させたのがイエスです」とマタイの福音書を通して教会内外の人々に伝えようとしました。そして現代の私たちにも伝えています。