さらに,続きのような。
うえのドイツ文化村は島民による座礁ドイツ船乗組員の
救助と無事帰国(1873年)が緒となる。
この出来事を聞いたドイツ皇帝ウイルヘルムⅠは島に
記念碑建立を申し出た(1875年,建立は翌年)。
この石碑(ドイツ皇帝博愛記念碑)が市中にある。
ちなみに,昨日の「独逸商船遭難之地」碑は記念碑建立
60周年(1936年)にあたって建立されたもの。
今日,石碑を初めて訪れた。
平良港の近く,一本路地に入って民家に囲まれるように,
落ち着いた風情とも言えるし,一方窮屈とも言えそうな
感じで鎮座。
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碑文は独文と漢文で記されていて,かなり風化している
という予備知識を得ていたが,実際ドイツ語は読めず,
漢文も読み下せない。
石碑 前面(上段:独文,下段:漢文) 後面(漢文)
別に研究者でもないのでどうするわけでもないが,
せっかくだから碑文について調べてみた。
漢文の方は手持ち本『宮古史伝』で知ることができたが,
独文は不明。
しかしwebで検索してみると,さすが文化国家。
日本外交文書デジタルアーカイブ(第8巻 22)で知ることが
できた。
参:http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/8.html
この話は,”修身”教科書にも載ったようだ。
今日の平良港