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 言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

学校のトイレ

2016年12月06日 | 教育
 (学校のトイレ)・・・いまとむかしのことです。先日、(これまた、テレビからのことですが)学校のトイレは和式が多くて⇒子どもが入れない、というのがあっていました。
 いまの家庭のトイレはほとんどといっていいくらい洋式化されているようです。地震によって学校が避難所になった時に、このことが話題になりました。山江でも運動会などのときにお年寄りの方から要求がありました。確かに膝が痛い人には無理なる姿勢です。そこで、一度にとはいかないので徐々に洋式化にしていくということで進んでいるはずです。
 テレビのコメンテーターの人たちも世の流れと理解してのトークでした。和式から洋式への改築の問題は(お金)です。そうしたいのはヤマヤマでも、先立つものがなければです。洋式だとスペースも必要です。5つあったものが4つに減るだろうと思います。

 むかーしの話です。私が小学校低学年の頃です。東間小です。6年生の人が肥え樽を2人で担いで運動場南側の畑に運んでいました。運動場を突っ切ってです。自分たちも6年生になったらしなければならないこと、臭いだろうなと思って見ていました。むろんその頃はポットン便所です。しかし、私が6年生になる前に、汲み取りに変わって肥え樽を担ぐことはありませんでした。昭和30年代中ごろのことです。
 いまだとペアレントさん方の猛反対にあいそうなことですが、むかしは当たり前のことのように行われていて、そのうちに自分たちがという、気持ちが宿っていたのかもしれません。

 洋式化になると、いわゆる便所座りができなくなります。足腰が弱くなるという指摘もありました。これまた難しいことですね。

 今日の天気()

(続) 我慢について 

2016年11月30日 | 教育
 昨日の続きです。県の教育行動指標は(認め・ほめ・励まし・伸ばす)です。私は東間のときにそれに「叱る」をいれて(認め、叱り、ほめ、励まし、伸ばす東間教育)と先生たちや保護者に訴えたことがあります。(とくに親さんが)叱れない時代に、子どもたちと関わりあう大人たちで(叱ろう)という意味合いでした。むろん、子どもが何もしないのに叱りつけるということではなく、(いま)叱らなければというときにはヤカマしく指導しようということです。「本気で誉めよう、本気で叱ろう」と言いながら、いちばんヤカマシかったのは私だったかもしれません。
 教育の目標は(人格の形成)にあります。ヒトが人になるためには最低限これだけの心構えは持ってほしいと思うことがあります。勉強以前の問題かもしれません。人をいじめるとか馬鹿にするとかいうことは最低限なることです。このような行為は絶対に許してはならないことです。教師として、いや人間として許してはならないことです。そこはシコタマ叱らなければならないという思います。体罰ではないのです。
 そんなことを東間では許すまいとお願いして実行したつもりです。むろん、西小でも同じようにお願いしました。
 昨日、述べたように(我慢)ができなくなっている子どもたちが多くなっているようです。周りにいる大人たちが一緒になって(叱る)ことが必要だと思われます。

 今日の天気()

我慢について

2016年11月29日 | 教育
 昨夜、テレビ:NHK・プロフェッショナルという番組を見ての感想です。(最近は話題がなくてテレビからのものが多くなっているという自覚症状あり)
 
 18才の高校生を見習い体験させる番組でした。2人の高校生は天ぷら屋さん修行でした。そこのオヤジさん曰く「我慢」という言葉で励まされました。「我慢」という言葉を聞いたときに一冊の本を思いおこしました。中野孝次さんの「我慢の思想」という本です。別に”我慢“について論じてある本ではなくて、エッセイ集で(現代日本の目にあまる不作法を叱る)という氏が訴えられたい心構えを論じられたものです。1997年発行なのでちょっと古いものですが今でも十分に通じる内容です。その中で
 ~人は放っておけば安楽へ安楽へと傾く存在である。・・・苦しい訓練よりも楽な無為、・・・鍛錬よりは楽な遊び・・・へと自然に傾くに決まっている。~
 昨夜のテレビを見ながら、中野さんの本を本棚から取り出しました。このようなことを天ぷら屋のオヤジさんは言おうとしたはずです。2人の高校生は数日間のお店での修行でそのことを十分に理解できなかったと思いますが、何らかの形で(我慢)ということが伝わったのではと思いました。
 番組の出演者からも、いまの学校では(怒られることがない)という発言があっていました。そういう経験もなしに実社会(天ぷら屋さんのオヤジさん)にはスーッと入れない・ギャップが大きいと私も感じました。学校ではキャリア教育は進められてはいますが(かたち)だけに終わっているのかもしれません。
 そんなことを感じてテレビを見ていました。

 今日の天気()

ICT教育の行方

2016年11月14日 | 教育
 11日に行われた山江でのICT教育研究発表会で感じたとことを、羅列してみます。

 ◯授業で見た遠隔授業の(ス〇〇〇)の限界性と有用性と将来性を見ることができました。限界性とはシステム上のこと。有用性・将来性とは、中川先生が(テレビ会議における配慮点)で述べられたことです。まだ現在進行形の研究項目です、システム構築を金さえかければいまでも十分でしょうが、誰でも何処でも実践できるという面では今回使われたシステムの向上UPが望まれると思います。また、山江村で考えれば、万江小1年生のデメリット解消ならば、小学校卒業までのスパーンでの遠隔授業という長-い視点をもって実践を積み重ねることが大切だと感じました。
 ◯今回はアクティブラーニングとの絡みで議論がなされました。これからの教育課題という意味からもICT活用を考えていくことは大切なことです。電子黒板を含めた(普段使い)のICT活用がなお一層望まれていく気がしました。
 ◯点から線・面へといおう意味で、少なくとも、人吉球磨での連携が今後、求められていくようです。共同研究・実践が各市町村毎はもとより人吉球磨全体での取り組みが必要となってきているようです。(テレビ電話を活用した遠隔授業)等は、とくに連携して取り組めるシステムのように思えました。

 今後、教育の情報化がもっともっと進んでいくものと思われます。環境整備では市町村当局(首長さん)の理解なしでは進まないです。大きな課題ですが理解を求める努力もしていかなくてはならないと思います。

 今夜はスーパームーンでしたが、残念でした。

 今日の天気()

給食のこと

2016年11月04日 | 教育
 いま、学校給食のことが話題になっています。
 
 札幌の調理場アスベスト問題で(簡易給食)に!
 鈴鹿で物価高騰(野菜高騰)による2日間の給食中止!

 こういうことは、某大臣の不適切発言のように連続性(また、どこかで、起こるということです)があるのでご用心です。マスコミ的にも(いま)学校給食は美味しい材なはずです。(マスコミさん)
 
 アスベスト問題は後手後手です。残念です。コメントしようがないです。

 しかし、野菜高騰は想定内にしておかなければならないと思われます。いつでも、何処でもあり得ることだからです。いい例えではないですが、家庭では野菜高騰でメシ抜きというのは考えられないことです。あまりにも栄養教諭さんがカロリーを気にするからです。家庭ではメニューは財布にご相談での実施なはずです。
 学校給食は市町村や学校によって給食回数は違うとは思いますが、年間180から190回程度だと思います。今日は1食単価250円だったとしたら、明日は220円で抑えることを考えるべきです。デザートの1個くらい我慢せよ!です。そしてちょっと余裕できたら300円にしていい訳です。許容範囲内を広げてだと思います。
 鈴鹿では2日間・中止。弁当持参か午前中授業か、は学校判断!・・・巫山戯るな!です。ちなみに(巫山戯る)は(ふざける)と読みます。
 教育現場は、私もそうであったように臨機応変ができないのです。野菜が高いときにカロリーなど計算するからです。弁当持参や午前中授業の方がもっと影響が出ます。
 子どもたちが一番の被害者です。学校給食も(ある・なし)も含めて、みんなで考えるときがきているのかもしれません。
 
 今日は県内では、緊急地震速報のシェイクアウト訓練が為されました。どれだけの学校が即応したのでしょうか❓期日が合わなかったかもしれませんが、このような訓練は(即応)(繋がり)が必要だと思います。どこかの機関では実施して学校は不参加では・・・6ヶ月前のことが教訓になっていないです。万難を排しての気構えが求められている気がしてならなかったのですが。

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運動会に

2016年10月02日 | 教育
 今日は孫ムスコの運動会に。開会式の途中から最後まで参観してきました。10月というのに暑一日でした。テントの中には入れなかったので、日焼けしました。
 (体質改善)のことです。現役のときに(なぜ、運動会をしなければならないの❓)と問うたことがありました。みんな、反応がなかったのであんまり突っ込みませんでした。こんな問いは愚問だと無視されたのだろうと思います。
 私が言っている体質改善とは、こんな愚問をも考えてみるということなのです。何で、せんばんと!です。(去年もあったから、昔からやってきた行事だから)では、豊洲の答えといっしょで(愚問愚答)になってしまいますよ!

        

 今日の運動会で気付いたこと。(すべて、個人的見解です)
〇なぜ、「秋季大運動会」なのか❓この名称は、むかし「春の小運動会」があった頃の対照語です。(秋季大)は省いていいのでは。
〇マイテントを張っている人を見かけました。絶対許すべきではない。町内ごとにテントを立てている意味がない。
→むかし、昼にバーベキューをしていた学校があって問題になったこともありました。親のわがまま許すべからず!
〇今年から、保護者の町内対抗リレーがなくなったようです。ちょっと残念。万江小学校ですら(こういうと万江小には失礼)実施されているのに。でも、世の流れ~仕方ないのかな!
〇講評は不必要。
〇先生たちには拍手!ご苦労さまでした。

 もう一度、愚問を。「何で、運動会ば、せんばんと!」

 今日の運動会は楽しんでみることが出来ました。相変わらずのギンギンギラギラには懐かしさを感じました。

 台風18号が九州に向いています。スライスしそこなっています。孫ムスメ①は火曜日から芦北に集団宿泊教室です❓❓

 今日の天気()

昨日の続きを

2016年10月01日 | 教育
 昨日の続きのような話しを。
 学校教育における恐怖は、モンスターペアレントよりも(少子化)だと思っています。“学校をつぶすのに刃物は要らぬ、人が減ればよい”です。
 実際に人吉球磨でも一家族が転校したため、学校が急きょ、なくなったことがありました。いくら地域に学校を残そうといっても、就学する子供がいなければ学校は不必要なのです。このような現状は、いまは田舎の大いなる問題です。しかし、そのうちに東京ですら、そのような問題が出てくるはずです。
 このことに一番敏感だったのは、私立学校です。逆にまだ疎いのは公立学校です。豊洲といっしょで(親方日の丸意識)です。
 10年か20年先を見据えて、いまを動かすべきです。2つ、念いがあります。
①いま、学校が抱えているデメリットをメリット化することです。自らの体質を(変える)という努力がかなり必要です。体質を変えるという例は、明日述べさせてもらいます。(明日がタイミングがいいのです)
②小中一貫教育です。これは私立学校に学ぶと言っていいかもしれません。むろん、先生たちには①で述べた体質改善が求められます。
 今日や明日のことも考えながら過ごさなければなりませんが、ずっと先のことも視野に入れながら教育していくことも大切だろうと思っています。

 今日は退職校長会の配布物を7名の退職校長さん宅に届けに行きました。ココも体質改善が必要なのですが。

 今日の天気()

谷間の学校

2016年09月30日 | 教育
 全国学力テストの結果発表がありましたが、熊本は不参加に近かったので、あんまり関心もありませんでした。
 ところで、このブログにはカテゴリーがあります。あんまり気にもしてなかったので(日記)ばかりになっていました。これからは(旅行)(歴史探偵)(教育)も気にしながら書いてみようと思っています。基本的には(日記)なのでほとんどになるでしょうが。その日のカテゴリーのことばかりの話題ではなく、そのカテゴリーが中心にというスタンスでいきます。
 
 さっそく今日は(教育)です。片付けしている中から本をコピーしたものが出てきました。昭和31年発行の『谷間の学校』という小説です。作者は三上慶子さん。何処にあった本をコピーしたのかよく覚えていません。たぶん、相良の学校だと思います。
 小説の舞台が、上村小中学校の八ヶ峰分校なのです。戦後の混乱している山中の分校のことがほぼノンフィクションのように書かれている小説❓です。三上さんとお父さんの二人しかいない分校。上村の学校なのに宮崎・飯野から行き来しておられたようです。私が知っているのは、むろん上村から白髪岳を越えていけるということです。
 この小説でへき地教育の課題なことが後書きに述べられています。
『しかし、へき地の学校の持つ、交通不便という最大の欠点のために、そのほんとうの姿は・・・一般に理解されることはほとんどない。私がこの本で追求したかったのは、その点であった。』また、私もそうであったように、へき地校には3年ほどしか勤務しないということです、そのことを『いま、八ヶ峰の山の人々は、(今度はどんな先生が・・・)という、不安と希望のないあわさった気分を、毎年、人並みに味わっているのである』

 今やへき地校と呼ばれる学校は少なくなりました。交通不便さも減少しました。ただ少人数化、統合の問題は引き続きなようです。万江小学校ではできうる限りそのことを払拭するかのように教育活動が為されています。子供や親さんや先生たちの頑張りです。地域もとても共働的です。へき地校や小さな学校だからこその教育の原点があるように思われるのですが。

 今日の天気()