goo blog サービス終了のお知らせ 

 言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

被災文化財 ⑦ 小松さん

2020年09月21日 | 歴史探偵

 今朝はうんと冷えて12℃くらいだったようです、一気に冷えたので寒くすら感じました。しかし、昼間は28℃くらいまで上がったのではないでしょうか、過ごしやすくはなりましたが寒暖の差が激しく、体調崩さないように気をつけたいものです。

   

 中神町大柿の人たちが(こまつさん)と読んでいる石像です。何時ごろ造られたのかは分かりませんが、そんなに古いものではないようです。(こまつさん)とは、平重盛のことです。平安末期の平清盛の長男です。京都の小松第に屋敷があったので(小松内府)(小松内大臣)とか称されたようです。また、人吉地方は平家の所領として知られ、そのことからも(平重盛の墓)と伝えられている五輪塔があるのではないかと思われます。大きな五輪塔があり、その墓を(小松さん)と呼び、後世に小さな石像を作って石像も(小松さん)と呼ばれたのではないでしょうか。地域に伝わる言い伝えなので、どこまでが真実なのかは分かりませんが、平家一門とは何らかの関りがあったのは間違いないような感じがします。

 また、「人吉繁昌記」には、「山田毘沙門、深田毘沙門、中神毘沙門と大村不動を“三毘沙門一不動”は共に小松内大臣平重盛の建立する所なり」と記されています。古文書等によって裏付けるものはいまだ見つかっていませんが、伝承とは何らかのことがあって伝えられているものです。

  

 そんな“中神毘沙門”と‘平重盛の墓’が今回の水害で被災しました。石像‘小松さん’と毘沙門天像はいまは山江歴史資料館に避難中、重盛の墓とその周りの五輪塔群はばらばら散在してます。10月11日 9時30分から、復元作業をします。興味のあられる方はお手伝いに参加されませんか。

 今日の天気(


被災文化財 ⑥ 湯の元観音堂2

2020年09月20日 | 歴史探偵

 10月4日から「被災した人吉球磨の神仏像展」をすることにしました。預かってはいますが、所有者の方の了解を得るために大柿と温泉町に出かけました。そして町内会長さんたちにお願いをしてきました。(復興支援という形で被災した神仏像を多くの方に見てもらい、文化財の大切さを知ってもらいたい)というような趣旨を理解してもらいました。久しぶりに大柿に行きました。ボランティアの方も入っておられて作業が行われていました。町内会長さんとyamagamiさんにも了解してもらいました。

 それから、温泉町の湯の元観音堂に行きました、お堂の隣の町内会館をボランティアの人が3人で床下の泥出し作業をしておられました。しばらくしたら町内会長さんも来られました。温泉町の会長さんとは初対面でした。神仏像展への協力依頼をしました。そして、水害後のご苦労の様子を聞かせてもらいました。会館の復旧もお金がかかるしたいへんだということでした。まだまだご苦労は続かれるようです。

 ご本尊さんのことはちょっと前に紹介しました。今日はこのお堂におられた(女神像)と(毘沙門さん)のことを紹介します。会長さんに確認したところ、このお堂に安置してあったということでした。なぜ、ここにあったのかは不明ということでした。

 

 きちんと彫ってある女神像さんです。手を組んでおられるのが印象的です。何か座禅をしているときの手のように思われるのです。

 

      

 

 毘沙門像は左手に(位牌?)を持っています。初めて見る持物でしたので、これまた印象的でした。何かしら意味合いを感じる位牌の持物でした。小さい毘沙門さんですがきちんと彫られています。右手は欠損しているので持物はわかりません。

 二つの神仏像が、なぜ観音堂に安置されているのがよくわかりませんが、(湯楽寺)という寺があったはずなのでその寺に関連する神仏像なのかもしれません。

 りっぱなご本尊(聖観音)と一緒に鎮座されている2体の神仏像です、小さいですがよく見ると見ごたえのある神仏さんです。10月4日からの{神仏像展}ではじっくりとご覧ください。

 今日の天気(


被災文化財紹介 ⑤ 湯の元観音堂

2020年09月10日 | 歴史探偵

 今日の人吉新聞に「秋の一斉開帳 全札所で接待自粛」の記事がありました。19日から25日までの三十三観音巡り秋の一斉開帳は(接待自粛)で行われるようです。しかし、豪雨による被災を受けたお堂・6か所は開帳も中止だそうです。

   

     

 

 8番札所の「湯の元観音堂」も被災したため、お堂は(半全壊)の状態、仏さまたちは、町内会長さんがしばらく自分の車で保管され⇒人吉城歴史館を経て、いまは資料館に避難しておられます。本尊は(木造聖観音菩薩立像)です、金属製の聖観音様もおられます。日ごろは本尊・観音さんの代役だったのでしょうか、本尊の木像は写真のとおりバラバラに壊れた状態で資料館にやってきました。三十三観音巡りのパンフレットの写真と比較されてみてください。高さは50㎝ほどのりっぱな仏さまです。

 (林温泉)といわれ“人吉温泉発祥の地”にあるお堂です。室町の頃に(明応元:1492年)12代相良為続が井口八幡の帰りに立ち寄って入った温泉として知られています。そのときにはこの聖観音さんはおられたのでしょうか。何時ごろの造作像かわかりませんが興味あることです。すぐ近くの温泉神社も被災しました、はじめはこの神社とお堂を間違えていました。そのくらいどちらも滅茶苦茶でした。

 秋の開帳は中止でしたが来春には多くの方が拝観できるようになってほしいものです。

 今夜は校区公民館の役員会議でした。これからの今年度の行事等は中止せざる得ないだろうという話になりました。コロナと水害、致し方ないことだと思います。

 今日の天気(のち一時


被災文化財紹介 ④ 八田薬師堂

2020年09月08日 | 歴史探偵

    

 

   被災した直後のようすです、上の写真では水没線がはっきりと。

 資料館にいち早く運び込まれた仏像です。このお堂は数年前から何度も訪れていました。今回の水害では人吉と球磨村だけに目が向いていて、まったく被災したことに気づきませんでした。しばらくたってから気づいたくらいで、出かけたときは、所有者(敷地内)の方が母屋を片付けに来ておられました。母屋の方は以前から住んでおられずに、時おり親戚の方が見守っておられるとのこと、その方も一緒に片付け作業をしておられました。

 主尊の薬師如来さんは立っておられたそうですが、あとの像はすべて床上と外に投げ出され、泥まみれだったのを拾い集められて、台の上に並べておられました。遠くまで流されずにその場におられたので助かった仏さまたちです。母屋の古文書(加藤清正の墨手形など)は流されて無くなってしまいました。

 主尊 木造薬師如来立像 高さ92㎝の立派な像です。室町時代ではという私の見立て?です。

 日光、月光菩薩像と十二神将像・・・薬師像の3点セット(15躰)が全部そろっています。十二神将像は手や台座が欠損しています。しかし、素人作の補作がなされています。そこが専門的でもなく、ほのぼのとした地域の方の信仰心を感じさせられるのです。記録によると、像の裏に「かち木岩屋寺住作者宝寿坊」と墨書があるとありますが、まだ未確認です。「かち木」とは鹿児島の加治木なのでしょうか、興味あるところです。

 他に毘沙門天像と思われる朽仏が2体と記録には残されていない頂相(ちんそう/ちょうぞう)があります。このお堂は“実相庵跡”といわれていて禅寺の末寺であったと伝えられています。そうだとするとお坊さんの肖像があってもおかしくないはずです。

 また、先日、お堂の泥出し作業をしたとき、基壇の下から朽仏1体が出てきました。ずっと前から基壇の下に置かれてあったのかもしれません。これは新発見?でした。

 いちおう、堂内は片づけましたが、かなり古くなっていたので今度の災害で(半全壊)なようです。建て替えるにしてもお金が問題です。今後の課題として考えていこうとは思っています。(といいながら、こんなところばかりなのですが)困ったことです。

 今日は西瀬橋の工事をしておられる方から、橋げたに仏像が引っかっていた!と連絡がありました、近代的な仏像のようでしたが、いちおう預かってきて持ち主さんを探そうと思っています。それまでは資料館で一時預かりです。

 今日の天気(

 


台風10号と被災文化財(大柿)

2020年09月07日 | 歴史探偵

 昨夜から今朝にかけての“台風10号”・・気象庁さんから脅されたようにはならなかったのは“もっけの幸い”だったかもしれません。しかし、夜10時過ぎからは風音がひどくなって、起き上がって見に行くのは二次災害の心配で、じっと布団に潜っていましたが、ほぼ眠れませんでした。久しぶりの風台風でした。

    

 朝遅めに起きて(城山観音堂)を見に行きました。100%近く壊れていると思いました。お堂の近くに行くにつれ、栗もそんなに落ちていないなと思いました。おかげでお堂は今回の台風にも持ちこたえていました。ホッとしました。しかし、もうどうにかしなければバチかぶるなと思いました。とりあえずよかったです。

 

   

 大柿のyamagamiさんから電話があっていた(流失仏像)を拝見しに昼から出かけました。近所の方が球磨川べりから拾ってきたと云われた観音像(真ん中の仏像)でした、(どこのものかもわからない、しのびがたいので)という話をされたので、あった場所を探すことと取りあえず山江の資料館で保管することを話して運んできました。話している中で(じつは、これも)と云われたのが(女神像)でした。たぶん、これまた、古い神像さん(左の像)でした。上流の幾つかの神社・社も被災しているので、そこのものでだろうと思いました。すぐ家の前の“ゴソ”のなかにあって泥まみれだった・・何か違うなと、泥を落としたら像が出てきた!と言われました。奇跡に近い見つかり方でよかったです。男神像もあるのでしょうが?今のところ不明。

 また、大柿地区の平重盛の墓の“こまつさん”が気がかりだと話されました。平重盛は清盛の長男:別名(小松内府)(小松殿)とも呼ばれた方です。むろんこの人の墓があるのではなく、たぶんに供養塔・・・ここは平氏の荘園?の関りもあって・・そのような伝説もあるのか?です。地域の人が(こまつさん)と読んでいる石像も(右の石像、この石像はそんなに古くはないのでは?)盗難の恐れもあったので預かってきました。

 また、いろいろと調べて報告します。やはり、大柿は歴史的に古いものが多くあって面白いです。大柿の人も台風10号は心配しておられましたが大きな被害等もなく、ちょっと安心しておられました。久しぶりに大柿に出かけてきました。

 今日の天気(一時


被災文化財紹介 ③

2020年09月05日 | 歴史探偵

 昨日紹介した‘人吉伊勢神宮’の仏神像です。

 まずは、青面金剛像(しょうめんこんごう、と読みます)・・右に随身がおられたのでしょうが(たぶん)欠損しています。いちばん手前の三猿は(見ざる言わざる聞かざる)で愛らしいです。庚申信仰と関りがあって、この場所に‘庚申堂’があったことが記録されていて、そこに安置されていた仏像と思われます。人吉球磨ではあんまり見かけない仏像です、庚申塔はめちゃくちゃある土地柄ですが仏像は珍しいと思います。どのくらい青面金剛像があるのかも調べてみたいものです。

 

 小さな像です。台座に「大円自作」とあります。ここにも大円さん登場です。恵比寿堂に安置されていました。よくわかりませんし、地元の人がその訳等を知っておられたらいいのですが、という期待です。今度尋ねてみます。

 あとは石造のえびす像と陶器の近世像が祀られていました。人吉市内でも町の夏祭りとして賑わうところです。今年は中止になりましたが、近いうちに社、お堂等も整備されてこのお像も帰って行かれることを願っています。それまでの間、山江資料館でお預かり中です。

 台風10号の襲来準備で大わらわです、ガムテープ(養生テープ)を買いに行きましたが、とっくに手遅れでした。困ったことです。

 今日の天気(


被災文化財復旧へ 3 人吉伊勢神宮

2020年09月04日 | 歴史探偵

   

 午前中に紺屋町の“人吉伊勢神宮”の掃除をしてきました。この社の横には、小さな祠があって‘恵比寿堂’と‘稲荷堂’があります。昭和5年の棟札がありました。恵比寿堂(手前の堂)の中に、大円作の仏像が安置されていました。記録ではこの場所に‘庚申堂’があったとあります。近くの方に聞いたら、すぐ横に建っていたらしい、庚申さんもすぐ近くに動いている、とのことでした。近くに建立年代が不明な庚申塔が建っています。たぶん、すぐ横の山田川の堤防のことで動かされたものと思われます。伊勢神宮の祠の横に神輿と青面金剛像が避難していました。1週間ほど前に大円作像と青面金剛像は山江の資料館に再避難中です。(この仏像のことは後日に紹介します)

 午前中かかって伊勢神宮を掃除しました。箒ではいて雑巾がけしました。写真の社本体の半分近く浸水したようです。小さな砂(よりも土です)は薄っすらと積もっていました。雑巾がけしても乾いたら、また土ぼこりが浮き出ているように思えました。一度では無理なのかもしれませんが、いちおう雑巾がけをしてお詣りはできるようにしてきました。

 すぐ裏では被災した泥等の片付けをシルバーさんがしておられました。休憩時間中に話をしましたが、下林町で自分も被災した、天井裏に板を敷いて食料も運んでそこに逃げていた、いざとなれば屋根を破って屋根上に逃げるつもりだった、と話されました。自宅は住める状態ではないので、鶴田町に仮家を借りている。もう歳だし、先は長くないし、建てなおすつもりはない、ちょっとだけリフォームして住むつもり、と語られました。(まだまだ、これからが面白かばい)と励ましたつもりの話しをしました。被災されたのにたくましさを感じました。

 台風10号は心配です、孫たち3人とも月曜日は休みだそうです。資料館も日曜日は休館にしました。

 今日の天気( ちょっと


被災文化財紹介 ②

2020年09月03日 | 歴史探偵

 ちょっと前に(豊光院跡仏堂→これから豊光院跡釈迦堂と呼びます)に被災した文化財を紹介しましたが資料館に避難している神仏像を今日も紹介してみます。②にしました。

 

 台座と光背があって本体の仏像がないのです。大柿観音堂の聖観音立像です。高さは像高56cmの記録があります。私も被災前の2,3年前に写真を撮ったのですが、そのSDカードが壊れてしまって、画像が残っていないのです。お堂の前のおばさんが仏像が泥まみれになっていたので洗ってお堂の中の賽銭箱の上に乗せておいたと話をしてくれました。そのあくる日には無くなっていたのです。たぶん、“盗難”にあったと思われます。警察には盗難届が出されています。この台座と(舟形)光背はおばさんちの水道のところに置かれたままだあったので残ったのです。

 この光背には「奉彩色観音菩薩立体 文政七歳 大柿伝治 大仏師肥後熊本住木野喜三治 藤原通時」と墨書書きされています。文政7年は1824年、彩色(後補色塗り)が文政7年なので、これより前に造られた仏像だと思います。“火事場泥棒”といわれる輩がいて持ち去ったと思うのですが、“罰当たり”なヤツがいたものです。いまは、台座と光背だけが資料館の中に置かれていてご主人様が帰ってこられるのを待っています。また、木造観音坐像も小厨子の中にあると記録されています。この仏像は全く見当たりません、この仏像は被災して流されたのではないかと思われます。

 資料館では企画展示室が神仏像の避難先としていっぱいになっています。このあと、所有者の方の同意をもらって、復興支援企画展~人吉球磨の被災した神仏像展~を行うように計画中です。水害によって泥にまみれ、水に浸かった神仏像を見ていただいて元気をもらって、復旧復興が一日でも早く成りますようにという願いも込めて実施してみます。また、ご案内をしますので、その節はお出かけを!

 台風10号のニュースでひと騒ぎです。大きな台風なようです。困ったことです。

 今日の天気( のち 一時

 


被災文化財 ⑫

2020年08月28日 | 歴史探偵

    

      手前がわが豊光院、草むらの先がしらさぎ荘

 今日は、台座と光背が見つかった‘しらさぎ荘’の間の田んぼと荒地にいって、豊光院跡仏堂の(釈迦如来さん)を探してみました。直線距離で300mほどです、間に福川という小川が流れていました。田んぼの稲は水害後にそのまま、辺りも草ぼうぼうの状態になっていました。歩き回りましたが見つけること能わずでした、草丈が高くなっているのでひょっとしてその中に、とは思いましたが、そこまでは入り込めませんでした。福川を通って球磨川まで流れていったのかもしれません。

 

   

 写真は、大柿に流れ着いていた(台座)です。上部分の本体は行方不明です。

 今回の被災文化財(仏神像)を調べて見てわかったことです。市町村の指定文化財はきちんと資料もあって管理されていると思います。例えば、仏像だったら寸法、形状などと写真も添えて、です。今回、人吉のを見たらその資料すら被災していました。水濡れしていたのです。まだ、見ることはできましたが濡れていたので完全ではありませんでした。反省材料として、資料はペーパーだけでは✕、1つだけでも✕です。資料が被災することも想定しての整備が必要なようです。

 したがって、この台座はどこのもので、この上に在る像は何なのかもわからないのです。???

 今日は突然のニュースで安倍総理が辞任でした。ビックリしました。

 今日の天気( → 一時


被災文化財 ⑪ 

2020年08月27日 | 歴史探偵

   

 今回の水害で被災した文化財を少しずつ紹介していきます。(豊光院跡仏堂)と呼んでいいのかわかりませんが、下薩摩瀬公民館の横にあるお堂の本尊です。私もこのお堂の存在を知らなくて仏様(釈迦如来像)を拝んだこともありませんでした。この仏像も被災して、写真の台座と光背だけがしらさぎ荘で見つかって→人吉城歴史館→昨日、山江資料館にやってきました。仏さま本体はまだ行方知れずなのです。

    

 今日、お堂に行ってきました。隣の白い建物が公民館、窓の真ん中上くらいに浸水痕が見られました。お堂は屋根下くらいまで浸水したようです。台座等が見つかったしらさぎ荘までは直線距離2,300mくらいです。間は田んぼです。今日行ったのは夕方だったので近いうちに見つけに行こうと思っています。

     

 台座には銘があって「薩摩瀬豊光院 寛政六年六月再興之者也 仏師安利常忠 当役渡辺健介 恒松安之勝」と書かれてありました。寛政6年は1794年です。記録によると豊光院は、もともと原田にあって、後に相良町に移り、大正年間にこの地に移されたとあります。どういういきさつで動いたのかはわかりませんが、これまで地域の方に大切にされてきたお堂と仏さまだったようです。その本体がないというのは残念なことです。さみしそうに台座と光背がポツンとご主人(本体)をまっているように思えました。

 今日の天気()