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 言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

復旧、復興へ 3

2020年10月27日 | 歴史探偵

    

       球磨村 一王子神社の神像

 被災した文化財のことで、今後のことを、先日の続きです。

 まず、仏像のことから。住民の方は、仏像が流されてしまったら心配ですが、流されずに現存しておられたら一安心なようです。流されたり水に浸っておられるのでダメージは受けておられます。ところが壊れていても居られるので安心なのです。問題は坐しておられる堂宇のことです。神さま仏さまもわが家が必要です。

 その棲み家はぜったいに必要です。ところが棲み家を再建するゆとりがいま地方にはないのです。湯の元観音堂はクラウドファンティングで資金を募られるようです。ぜんぶの堂や祠が、クラウドファンティングに手を挙げたら共倒れになるはずです。返礼品は無しでしょうからなおのことです。

 たぶん、いくつかのお堂や祠は無くなってしまうのではないかと思っています。歴史的にもそんな風にして無くなって(合祀)というようになっているのだと思います。湯の元観音堂には(女神像さん)もおられるようにです。致し方ない、世の流れかな、です。しかし、一つでもそのようなことがないように頑張るべきです。まずは地元の人、そして私ども周りの者、それから多くの方に協力してもらうことだと思います。

 新聞、テレビで被災した仏様たちのことを知ったと(寄付金)を資料館まで郵送してもらった方がおられます、ありがたいことです、そんな人たちの善意の気持ちで一つでも多くの仏さんたちの居場所を再建したいものです。ぜひにご協力を。資料館に来てもらって募金箱に協力してもらうのがいちばんですが、遠くの方は

 〒868-8502 熊本県球磨郡山江村大字山田甲1360 山江村歴史民俗資料館宛 でもOKです。よろしくご協力をお願いします。

 今日の天気(

 


復旧、復興へ 2

2020年10月24日 | 歴史探偵

           

         人吉城隅櫓周辺と球磨川

 金曜日の夜のNHKニュースの特番で(NHK+人吉新聞)コラボがあっています。昨夜で4週め、higashi記者の出番でした。所在地不明の神仏像のことを取り上げてもらいました。どこのかわからない神仏像の住み家を見つけることも復旧のひとつです。早く見つかることを願っています。流された、無くなってしまった!と完全に諦めておられるのだろうと思うのですが、私どもから探し出すことの方が難しいので、何かの手がかりがでてくると嬉しいのですが。

 今日も10時から4時前まで資料館に出かけました。午後から温泉町の町内会長さんが来られました。湯の元観音堂の神仏さんがお世話になっているというので、わざわざお礼も兼ねて見に来てもらいました。ご本尊・聖観音さんは修理に出ていましたが、あとの仏神像をみてホッとしておられました。湯の元はお堂の隣に、33観音巡りの接待所(公民館兼用)も被災しています。修復に300万ほどかかるようです。その経費捻出に頭を痛めておられました。指定文化財ではないので補助はなし、公民館に50万円の見舞金だけだそうです。

 そのはなしを聞いて何かがおかしい、GoTo・・にあれだけ金を投資するのであれば、未指定の文化財復興にも金を出してもよかろうにと思いました。

 復興に向けて何らかの行動を起こすべきだと痛感しました。湯の元観音はクラウドファンディングを考え中だそうです。私も仲間と話し合って何らかの形で被災文化財の復興に参画しようと思いました。

 私たちが受け継いだ先人からの遺産は次の世代にきちんと手渡す重い責任があります。何とかして、どうにかして、です。

 今日の天気(


復旧、復興へ(提案)

2020年10月23日 | 歴史探偵

 昨日の続きのような話です。提案と夢のような話です。

    

      湯の元観音堂 本尊 聖観音像です、いま修理中です!

 まだまだ失われた文化財(仏神像)の救出のことは(続く)です。先日も述べたあちこちに積み上げられた流木群の撤去作業には関心を持っていく必要があります。作業される方に面倒でも協力してもらう必要があります。気になっている所には自ら出かける必要もあります。そのことはしばらくはIngです。

 それと並行しながら復興のことを考えなければなりません。昨日述べたように壊れてしまったお堂等の再建です。いちばんの問題でお金もかかる話です。ずっと前も紹介した人吉藩の歴史書(嗣誠獨集覧)の中にちょっとしたヒントがありました。延宝5年のことです。1677年・・・いまから340年ほど前のことです。この記事を抜粋しながら(私ふうの現代訳にしながら)紹介、

「延宝5年2月、願成寺金堂脇に‘諸尊堂’が建立された。これは郡中のあちこちの堂の仏像を安置するため、本尊は十一面観音、脇侍に不動像と毘沙門像である。3月16日に義辰導師によって入仏供養が行われた。郡中にある破壊破損された仏堂の仏像が安置されたのである、このお堂を‘諸尊堂’と呼ばれた」  です。

 340年ほど前の人吉球磨に無住になったせいか荒れはてたお堂の仏さまがあったのでしょうか、それをまとめて尊堂を作っておさめ祀ったようなのです。残念ながらこの諸尊堂は25年後の元禄15年に火災によって焼失してしまいました。

 いま人吉球磨は少子高齢&過疎化で集落のお堂を維持しにくくなりました。それに今回の災害です。「令和の諸尊堂建立」が必要なのかもしれません。そんな動きも考えるときなのかもしれません。

 どこかのお金持ちさん、大きな会社の方・・救いの手を人吉球磨の仏神像に!よろしくお願いします。「令和の諸尊堂建立」にご寄付を。

 今日の天気(一時

 


まだまだ 2

2020年10月21日 | 歴史探偵

 今日のことです、人吉新聞のH記者から電話で(球磨村)渡の流失物整理の現場で‘狛犬’が出た!とあったので、床屋さんに行こうとしていたときでしたが出かけてみました。

  

 

          

 渡をちょっと過ぎた球磨川沿いで流木群が積まれていて、その整理作業中でした。その中に埋もれていたということでした。古いものではなく、木製の比較的新しいものでした。現場の人も困っておられたので預かってきて資料館に運び込みました。wadaくんと泥を洗い落としながら(シーサーに似ているよね)でした。ネットで(シーサーと狛犬の違い)を調べました。置いてあるところの違いなようで(神社仏閣は狛犬、家庭はシーサー)・・流失しているモノなので不明ということにしておきます。

            

 

 前から気になっていた薩摩瀬神宮に行ってみました。初めて行ってみました。球磨川そばなので浸水して神社内は被災していました。大まかな片付けが済んだくらいで、拝殿内はまだそのまま放置されていました。

 流木等の片付けがようやくはじまったところです、今日のように流された文化財等が出てくることを期待しています。今日の現場の方にもそんなお願いをしてきました。今日の狛犬さんは何所のものか分かりませんが元場所が見つかることを願っています。

 今日の天気(


まだまだ

2020年10月19日 | 歴史探偵

 昨日電話があって(球磨村渡の一王子神社)のご神像を資料館に預かってほしいという連絡がありました。資料館としては今回の被災に役立てることがあれば何でもというスタンスだったので、OKの返事をしました。

 今日、午後から球磨村の文化財保護委員さん方が持ち込まれました。神像10体、狛犬1対、棟札2枚、それと相良家の家紋が刻んである〇〇・・・(なんて言っていいのか分かりません、後日調べて報告)を運んでこられました。

   

 被災した2週間後くらいあとの写真です。この屋根を撤去されたときに神像10体等は見つかったのだそうです、ところがまだ壊れた屋根はそのままになっていて近いうちにもう一度片づけをされるそうです。まだ神像はあったと云われたので、まだ見つかるのかもしれません。とても、りっぱな造りの神社だったので残念ですが、造り替えられることを願っています。それまではきちんと預かっておこうと思いました。

 

      

         今日、持ち込まれた神像さんです

 ひょっとすると、まだまだ救助を待っておられる神像、仏像がおられるのかと思うと心傷みます。どうにかっしたいと思うのですが・・闇雲に歩き回るわけにもいかず困ったことです、

 復興復旧が少しずつ為されてきて心に余裕が少しでも出来たら地域の鎮守(神仏さん)にも目が向けられるのかもしれません。みんなで守り抜こう地域の宝!です。

 企画展に募金箱を備えています。見に来られた方から少しずつチャリン!という音が聞こえてきます。賛同いただいて有難いことです。

 今日の天気(


被災した文化財の修復のこと

2020年10月17日 | 歴史探偵

 被災した文化財の修復のことについて。

 熊本地震による被災文化財の復元修復もまだまだです。4年半経ったいまでもまだなようです。熊本城や阿蘇神社は有名ですが、小さな祠、仏堂はまだまだこれからのところが多いようです。

 今回の水害で被災した文化財もしかりです。多くはたぶんまだ話すら出ていないかもしれません。

1 自分の住むところの復旧がいちばんで集落の祠やお堂、仏像等の修復のことは考えてもいない。

2 お堂等の修復復旧では

  ア 戸などが壊れていて一部損壊のところは自分たちの力でどうにかなる。

  イ 全壊のところは、建て直すというのは自分たちの力では不可能。

  アは時間の問題、修理をする大工さん確保の問題が解決すれば大丈夫だと思います。問題はイです。私が見た範囲では大柿毘沙門堂、朝日権現社、八ツ田薬師堂、深水寺は全壊です、建て直す必要があります。深水寺は住職、檀家さん方で今後話がなされると思いますが、問題はお堂3つです。ひょっとすると再建は無理かな、です。集落や個人では到底不可能です。公的な財源支援がなければなくなると思われます。

3 堂内等の仏像等の修復

  お堂等と同じで一部分修復か大掛かり修復化で費用がずいぶんと違います。少し壊れた状態でそのまま鎮座されるケースが多くなると思われます。なかには壊れたまま、仏像を立てることもできずに寝かして安置することもあるのでは。

 その多くが未指定の文化財です、修復費用の出どころがないのです。何らかの支援が必要と思います。

  

    にかわで接着されていたので取れてしまった聖観音像

           

             聖観音像を梱包して修理のために持って帰えられました。

 そんな中、今日は(湯元観音堂)の主尊:聖観音さんを修理するというでUraさんが取りに来られました。復興のボランティア、これまで何もできなかったので(無償で修復)と云ってもらいました。ありがたいことです。甘えついでに幾つかの仏像も修復してもらおうと思っています。

 難しい問題をまだまだ解決しなければなりません。また新たなる問題が出てくることも想像されます。かなりの時間がかかるとも思われます。気長にボチボチとやっていくしかないです。

 しかしお金はかかります。資料館企画展では募金もしています。みんなで少しずつお金を出し合って復旧していきたいものです。ぜひご協力を。お願いします。

 今日の天気(


平重盛の墓&五輪塔群 復元作業

2020年10月11日 | 歴史探偵

      

        被災した後の重盛の墓と五輪塔群

 今日はボランティアを募っての(平重盛の墓&五輪塔群)の復旧復元作業を行いました。新聞、テレビで報道してもらったおかげで37名の人に集まってもらいました。感謝です。遠い人は山都町から・・一番乗りされていて朝6時10分にわが家を出てきた、とのことでした。熊本市から3名、水俣市から2名の方にも参加してもらいました。9時30分開始の予定が、集合された方から順次作業に入られました。みんなで知恵と力を合わせての作業でした。土木経験のある方はユニック車などを使って大きな石を動かしたり、多くの方はスコップで土砂をどかして小さな五輪を積み変えたりの作業になりました。

 

         

 大きな平重盛の墓と伝わる五輪塔は梵字も彫られていて積む順序もわかっていましたが、小さな五輪塔はどれがどれだかわからない状態になっていました。大きさに似合うものを積み重ねる作業になりました。40年ほど前に整備しなおされた時も同じようなやり方のようでした。

 思ったより多くの方に手伝ってもらったので午前中で終えることができました。このような作業は(人)がいると可能だということがわかりました。高寺院の若い後継ぎ住職も参加されて、終わった後に五輪塔一つ一つに線香をあげられていました。供養のことは考えもしていなかったので(しまった!)と思いながらの感謝しました。

 多くの方の協力で五輪塔を並べなおすことができました。ありがとうございました。感謝します。

 今日の天気(


被災文化財 ⑩ 大柿毘沙門像

2020年09月26日 | 歴史探偵

         

 何度もこのブログに登場している‘毘沙門像’です。1週間ほど前に寝せてあったものを立てました。とても立派な仏さまです。踏みつぶされている邪鬼もいい顔しています。

 “伝”とはいえ気になっているのは“平重盛”の存在です。この毘沙門堂のすぐ横に‘平重盛の墓(供養塔)’があって、この毘沙門さんと深田荒茂の毘沙門と山田(高寺院)の毘沙門は平重盛の建立と伝えられているのです。深田荒茂と高寺院の毘沙門は平安時代のもの、この大柿の黒焦げになっている毘沙門さまもそれと同じような古いものではなかったのでしょうか。

 じつはこのお堂は7月の水害で被災を受け水圧で傾いています。お堂の中を片付けたいのですが倒壊の危険もあって立ち入るのを控えています。地域の方も建て直すことをまだ考慮中です。むろん、この像もお堂から押し流されて堂の外に倒れていました。この毘沙門さんの基壇の下に置いてあった先代の毘沙門さん(黒こげ)を初めて私どもは目にすることができました。写真の毘沙門さんの下に黒く横たわっておられます。毘沙門像のすぐ右にあった童子形立像は行方不明です。

 また、写真左に板書があって「毘沙門焼失ニ付 像立并堂宇建立 文政六未年八月十三日」と書かれています。また、毘沙門像の後ろに「文政七甲四月二日 ▢▢ 奉▢▢ 東肥熊本住 木野喜三治 藤原道▢」と墨書銘が見えました。黒焦げの仏さまと板書、そして墨書とが一致したことが初めてわかりました。

 被災したことで初めて私どもが知りえたこともあった毘沙門堂なのです。160㎝ほどのりっぱな毘沙門さんです。この仏像も一見の価値あり、です。

  

  今日の天気(


被災文化財紹介 ⑨ 平重盛の墓と五輪塔群

2020年09月25日 | 歴史探偵

 めっきりと秋らしくなった人吉盆地になりました。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものです。

    

   

 被災文化財のこと、どこまで紹介したのか分からなくなってきました。少しダブってのことになるかもしれませんがあしからず。 中神町大柿の毘沙門堂横の五輪塔群を元に戻すボランティア活動をしようと思っています。平重盛の墓もバラバラになっています。お墓のことなら(阿吽の会)だと思って、masudaくんに発起人になってもらいました。

 期日は10月11日(日)9時30分から。毘沙門堂集合(紅取橋を渡って、すぐ左側です)、何時までかかるかわかりません、たぶん一日では終わらないのでは、昼食、飲料水は持参、スコップなどを持って来てもらえればOKです。泥だし作業と五輪塔を小さいものは人力で積みなおす作業の予定です。

 昭和54年に球磨川護岸工事のために五輪塔群は移設されています。83基の五輪塔を移設したと報告書にはあります。そのほとんどが今度の水害で滅茶苦茶になっています。どれだけ元のように復元できるかはわかりませんができうる限りのことはしたいと思っています。今日は土木専門屋の(阿吽の会)iwaiくんに現地を見てもらいました。機材等の手配はお願いしました。あとは人手です。半日でも、見学だけでも構いませんのでお手伝いをよろしくお願いします。みんなで協力しながらすることに意義があると思っています。そんなことが復興への一助になるはずです。

       

 今日の天気(


被災文化財紹介 ⑧ 新町地蔵

2020年09月24日 | 歴史探偵

 今日は資料館勤務でした。非常勤なので、基本的に火曜、木曜日に資料館に行っています。今週の火曜日は祝日だったので、今週は今日だけになってしまいました。週2日なので、やることはたくさんあってハケキレズに困っています。まだ写真整理が終わっていないのです。データ化をして、いまネガの整理をしています。もう少し時間がかかりそうです。

  

 今日は(新町地藏堂)の紹介を。お堂の場所は新町ですが、すぐ南は(寺町)です。たぶん、元は“宗慶寺すうけいじ”があった仏さまです。宗慶寺は鎌倉以前に建立されたといわれ、十三坊があったとされています。寺馬場と呼ばれている、今の寺町のはずです。

 記録によると、明応7年(1498)宗慶寺の地蔵堂再興、永禄3年(1560)宗慶寺の僧が謀叛の企てに参画されたとして処刑、それから無住になった、貞享4年(1687)宗慶寺地藏堂を新町の現在地に移すなどとあります。

 そして、この地蔵像は仏師定朝の作と伝えられています。確かにりっぱな整った仏像です。また、厨子は(後から作られたもののようですが)地蔵さんに似合うような立派な造りです。厨子の中に光背があって、人吉球磨ではあまり見られない造りになっています。

 このお堂も浸水被災してしまって、この地蔵さんも泥水に浸されていました。しばらくは町内会館に避難しておられましたが、2週間ほど前に山江の資料館に預かってきました。宗慶寺とともに謎に包まれている仏さまです。一見の価値がある仏さまです。

 今日の天気()一日中、秋のちょっと冷たい雨が降りました。