(1/5 より)
‘兎角、この世は無責任’ という事か。
自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。
[世界観] 非現実 (考え) の内容は、英語では時制 (tense) のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観 (world) と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態であるが、人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行くことになる。
‘あるべき姿’ (things as they should be) は非現実の内容であり、’今ある姿’ (things as they are) は現実の内容である。非現実の内容は、過去の世界から見た未来の内容として表現される。現実は、実況放送・現状報告の内容である。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。
日本語には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。政治家もマスコミもただ現実を垂れ流す。子供の作文のようなものである。現実の内容には個性がない。だから、選挙の時の候補者選びもただの肉体の選出になる。本人にも相手にも何を考えているのかわからないから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。
[意思と自由] 自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。だから自由にも意味がない。そして、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となる。だから、我々は昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままでいる。
[階称] 日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断無くしては日本語の会話も話せない。かくして、’ものの上下’ の考えは人間序列 (派閥) へと発展する。
‘上と見るか・下と見るか’ の判断には、勝負の成績が用いられる。敗者は敗者の態度を示して礼を尽さなくてはならない。だから、下位の者は恥をかくことになる。これは ‘恥の文化’ の始まりである。昔は身分、今日では偏差値なども都合の良い序列判断の資料となっている。
日本人の礼儀作法は、序列感に基づいている。だから、序列のない外国においては、日本人は礼儀なしである。
礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表れに過ぎない。個人的精神的な意味がない。だから、日本人の尊敬も形式的にならざるをえない。
[義理] 序列関係には義理という相互の義務が生じる。上位の者は下位の者を保護 (恩) し、下位の者は上位の者に尽くす(忠義) のが義務となっている。皇軍兵士は‘天皇陛下の御為に’ と言って玉砕戦法に出かけることになる。
序列社会において義理を果たすことは、序列人間にとってやりがいのある仕事である。その行為を見ていた周りの者の評価が良ければ序列昇進を認めることになるからである。契約社員は借りてきた猫のようなもので、日本人にとって働き甲斐がない。日本人にとって大切なものは帰属意識である。
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>■3.積極的な洗脳プロパガンダ
> この方針に基づいて、民間情報教育局によって日本人に戦争有罪性を植えつけるための「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が推進された。 > たとえば、満州事変以降の15年戦争を裁き、「南京虐殺」の犯罪性を強調した「太平洋戦争史」を、民間情報教育局のブラッドフォード・スミス企画作戦課長が執筆し、日本全国の新聞に昭和20年12月8日から連載するように強制した。 >この「太平洋戦争史」を、占領軍による言論統制を暴いた江藤淳[a]は、こう評している。
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> 実際には日本と連合国、とくに米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。[2,p98]
そうですね。それは彼らの誤解ですね。存在したのは付和雷同する軍国主義者と付和雷同する国民の存在でしたね。
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> さらに「太平洋戦争史」は文部省から、学校の教材として使うように指示が出された。 >もちろん、その陰には占領軍から文部省への命令があった。 > 当時の日本人は「大東亜戦争」という呼称を使っていたが、それが禁じられ、現在のように「太平洋戦争」と呼ばれるようになったのは、ここからである。 (3/5につづく)
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