5月18日(水)、市ヶ尾のふれあい青葉にて、青葉区の老人誌
『あおば』(7月15日号)の編集会議。出席者5人。
今後の「To Do」--表紙の写真撮影(あざみ野駅東口方面)な
どについて議論。
帰路、F井さんの車であざみ野駅東口山内地区センターあたりを
下見する。
9:36 あざみ野
9:44 市が尾
9:45
9:46
9:46
9:48 国道246
9:49
9:50 ふれあい青葉
9:51
10:16
10:49
10:50
10:58 山内地区センター
11:06
11:07
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○今年の全日本合唱コンクール全国大会(大学職場一般の部)は、
11/19-20三重県津市の文化会館大ホールで開催される予定。
9人の審査員の中には、ワグネルがお世話になっている先生方が
--佐藤正浩(指揮者)、樋本英一(指揮者)、藤井宏樹(合唱
指揮者)、宮本益光(声楽家)(敬称略)。
○昨日は534人の方に閲覧いただきました。有難うございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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最近、『絶対!うまくなる 合唱 100のコツ』という本を読んでいます。
コンクールについては、「いろいろな」意見があるかとは思いますが、本書には、
「・・・・・・しかし、私はむしろ、コンクールによる弊害の方を感じます。・・・・・・コンクールの結果は、たまたま参加したいくつかの団体の範囲で、そのときの審査員が順位をつけただけのものです。しかし、よい結果を得られれば『自分たちはうまい!」とおもってしまうかもしれない。それによる弊害は、計り知れません。『私たちはほかよりうまい』と思っている合唱団は、決してそれ以上、上達しないからです(関学はそんなことはないでしょうが)。・・・(中略)・・・『コンクール』というものの性質と、出場の意味を、もう一度よく考えてみましょう」
とありました。著者は田中信昭先生。
以上、「事実」だけですが、私もよく考えてみたいと(笑)。
「西洋音楽って、非常にたくさんの規則がある。・・・・・・その通りにやるっていうのは大変。技術的にもね。・・・・・・ところが音楽を聴きに来るお客さんにとって大事なのは、その人が弾いている曲を、書いた作曲家を、どう解釈して弾いているのか。・・・・・・ところがまずいことには、コンクールなんかは減点式ですから、間違いがなくて、どれくらい正確に弾き、終わりまでどれくらい完ぺきだったか、ということで点数をつける。僕はそれは間違いだと思うんだけれども。上手な人がいるとね、やっぱり、間違えた人を落としちゃうわけですよね。で、その大事なところが、あまり問題にならなくなる場合があるらしい。それで、コンクールで一等になったりするわけ、その人が。そうすると、新聞にパーッと書かれて有名になって、それで何となく売れてお客さんが来るようになる。だけどそういう人って、絶対に長続きはしない。(以下略。小澤征爾)」
やはりコンクールを所与のものだとすれば、それに入選しようとすると一種の「要領」が求められるのかもしれないし、それと音楽性、芸術性とは別物であって、追求すべきは後者だと言えるのかしらん。
(とはいえ、意見は人それぞれ??)
長文のコメントとなってしまいますが(笑)、
昭和20年代後半、関学グリーは松浦周吉氏(--大和銀行合唱団の指揮者になられた)、北村協一氏により全国コンクール優勝を果たします。
昭和30年代前半も、福永陽一郎氏は、四連を聴き、「四大学の中では関学がずばぬけてすばらしい演奏を聞かせ・・・・・・」という評論を残されました。
当時、関学グリーが「一つのタイプ」の音楽を完成していましたが、ワグネルの発声は「本格的」なものとはいえず、ワグネルの目指す音楽の完成はなされていませんでした。
そこで、本格的なヴォイストレーナーを迎えようという機運が高まり、畑中良輔先生をヴォイストレーナーとして迎えることになりました。
昭和35年、ワグネルは畑中先生の指揮により「六連」で「日本民謡集」を指揮しました。福永氏は『合唱界』に、「ワグネル・ソサィエティー男声合唱団のこの春の演奏は私の目を見張らせ、私に真の音楽的感動を与え、私の胸を日本の学生合唱団の将来に対する希望と期待で一杯にふくらませてくれた。・・・とにかく学生の合唱が声楽の一部門に成りとげた」という名文を残しました。
『ワグネル65年史』には、「合唱コンクールに不参加の方針を採っているのは、定期演奏会を重視し、そのため練習スケジュールの都合がつかないのと、順位をつけるという合唱コンクール自体に対する疑問によるものである」とあります。
私の経験からいっても、私の現役当時は週4回の練習でしたが、その中に合唱コンクールの課題曲と自由曲の練習を入れるのは、「現実的に」ムリだったでしょう。
「すかし漫才」ですんまへん(笑)。