人生ブンダバー

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年末年始 そして慶應ワグネル男声合唱団第136回定期演奏会--畑中先生ラストステージ

2012-01-09 14:55:00 | 音楽

定期演奏会前日
1月7日(土) 明日はワグネル男声定期演奏会だ。この演奏会をもって畑中良輔
先生(89歳)がワグネルの専任指揮者を退任される。畑中先生のステージはブラ
ームスの『運命の歌』。そして、そのアンコールは現役、OB合同の「タンホイザー
大行進曲--歌の殿堂をたたえよう」である。今日、8日午後は、五反田のゆうポ
ートホールでその練習が予定されている。 

午後1時前にゆうポートホール楽屋口に行くと既に現役の諸君が集まっていた。
1時ちょうどに楽屋口から会場入り。OBの発声練習は2時からの予定。それまで
現役のステージ練習を見学。

今回のブル先生のステージは、『運命の歌』にせよ『タンホイザー』にせよ、くしくも
私が現役4年生(関西風にいえば4回生)の時に振っていただいた曲と同一であ
る。私が現役の時は毎年ドイツ語の曲を歌っていたので、ドイツ語(の発音)につ
いては多少慣れていたが、今のワグネルではどうなのかしらん。

発声練習--さすが現役!(フォルテでは)よく声が出るのではないかしらん。私
は、年末から腹式呼吸のトレーニングを若干行ったが、(私の)現役時代の声を10
とすれば今(の私の声)は3だろう。

ブル先生の練習
発声練習後、ブル先生がステージに来られるまで10分ほど学生指揮者による『運
命の歌』のおさらいがあった。こんなものかしらん?と心配になる。1時40分ごろか
らブル先生の練習(ピアノは久邇さんと谷池さん。ブル先生はイスに座っての指揮。)
が始まったが、定演前日にしては次々とかなり細かい注意が出される。明日の定
演は大丈夫か?と現役時代を思い出した。私は、現役時代、必死にやったが、
100%満足のいく練習、演奏は数えるほどだった。あの、昭和49年の99回定演
(--私の現役最後の定演)でさえ直前まで「大丈夫だろうか」、「こんなことでい
いのだろうか」、「練習に全力を尽くしただろうか」という思いでいっぱいだった。

OB発声練習
2時からOBはロビーで発声練習。私は、いつものことだが、いきなり全力疾走せ
ず、少しずつ慣らし運転をした。2時20分に客席に戻ると、ブル先生と現役の追
い込み練習(格闘)は続いていた。時間をかけるごとによくなっていく。ただドイツ
語にしてはあまりかぶせない、多少イタリア語的な発声・音色ではないかしらん。
他の方の意見も聞いてみたい。

ブル先生の練習『運命の歌』
3時5分からブル先生は『運命の歌』の通し練習を2回繰り返した。2回目の練習
が本番であればいいのだが。(練習を本番と思えば本番は練習のごとし、という
言葉を思い出した。)

「タンホイザー大行進曲」の練習
3時45分、OBもステージに乗り、「タンホイザー大行進曲」の練習に入った。ブル
先生から、「この曲はOBも合同で何回もやったので暗譜で歌えると思うけれど、
自己流に陥っているといけないので、もう一度ドイツ語の復習をしたい。『タンホイ
ザー』はきっちりした舞台発音で歌いたい。いま、日本に本格的なドイツ語の歌え
る合唱団はほとんどいない。ワグネルだけは恥ずかしい演奏はしないでほしい」
というお話があり、(ウムラウトが表示できないので便宜的にすべてカタカナで書
くが)フロイディッヒ、ベグリューセン、クンスト、フリーデン等々一語一語を実際に
できるまで全員で素読みで繰り返した。

その後、まずはステージ上で現役(前列)+OB+志木高ワグネル(当日はOBメ
ンバーは250人を超えるのだろうか)の通し練習。
「よし、現役は座って!次はOBだけっ。OBは少し前へ。もっと早く(前へ)!もた
もたすんなっ」
ブル先生の大声の叱責、気合が入ってきた。ホールが静寂に包まれ、OB全員一
人残らずブル先生に集中する。極度のコンセントレーション!

前奏後、ブレスの支えも十分に fis から「Freidig~」を歌い上げ、ブル先生と目が
合った瞬間、
「あ~、これで(ブル先生の厳しい練習も)最後か」
という想いとともに涙があふれてきた。(この種の感情はいつも突然やってくる。)
「チクショー、自分に、そして感傷に負けないぞ」
と思ってもどうすることもできない。

卒業後も歌い続けておられる、尊敬すべき下田元会長(Top)が私のすぐそばで
歌っておられたが、「尊敬すべき先輩方(私など小僧っ子かしらん。先輩は永遠
に先輩だ。)のこと」も浮かんできた。気が付いたら、「OBはすぐ2階へ移動っ」と
いう指示が飛び、我に返った。そう、当日、OBは2階席で歌うことになっている。



現役の発声練習


ゆうポートロビーでのOB発声練習 たくさんのOBが集まった


客席で休憩中


ブル先生(中央) 現役のステージ練習


ブル先生 OB、志木高ワグネルも含め「タンホイザー」の最終指示



「タンホイザー」本番のフォーメーションで OB2階席より


引き続き午後6時からワグネル(男声)恒例の新年会。吉川新会長の挨拶。西浦
先輩(S24)による乾杯。塩澤部長(経済学部教授)、増山歌子先生--木下保
先生没後30年(30年祭)のご挨拶が続いた。


定期演奏会当日
1月8日(日) 定期演奏会当日。午後1時20分、会場の新宿文化センター入り。
ステージでは佐藤正浩先生による第3ステージのステ練中だ。ピアノは前田さん。
緊張感があって、なかなかいい。鍛えられた声が出ている。先生からは、言葉に
メッセージを!アンサンブルが壊れるほどにもっともっと気持ちを!という指示が
出ていた。現役からは「ハイ」、「ハイ」という返事が出る。その間、プログラムをも
らって一読。ブル先生の「演奏会に寄せて」に感涙を禁じえず。

2時からOBは狭いロビーでちょっとした発声練習。2時20分から2階席で「タンホ
イザー」の通し練習。その後、開演まで2時間近く、休憩となった。プログラムを隅
から隅まで読む。ステージではピアノの谷池さんが『運命の歌』のおさらいを入念
に行っていた。

3時過ぎから当日券のお客様が並び始めた。開場は3時45分、開演4時30分の
予定だ。4時過ぎにチケットを差し上げた、会社の元上司にお会いできた。今年
73歳になられるのかしらん。今も働いておられるとのこと。全然お変わりなく、お元
気そう。お会いするのは何年振りかしらん。久しぶりにお話しできてうれしかった。

この定期演奏会で畑中先生が専任指揮者を退任されるせいか、開場後はOBの
珍しい顔が続々と詰めかけた。49年卒も普段は2人くらいだが、当日は、私も含
めて11人が集まった。こんなにも集まったのは卒業以来ではないだろうか。

4時25分、2階席に着席、開演を待った。1,800席の客席はほぼ満員、95%以上
の入場率ではないかしらん。


<当日のプログラム>
慶應義塾塾歌
1.多田武彦作曲『中勘助の詩から』(指揮;佐藤正浩、独唱;小貫岩夫)
2.高見順作詩、木下牧子作曲『いつからか野に立って』
  (指揮;高(*)村祐太-学生)   (*正式にははしごの「高」。以下同じ)
3.作詩和合亮一・中原中也、作曲;新実徳英「つぶてソング」と「祈り」
  ~大震災と原発事故の犠牲者のために~
  (指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
4.ヘルダーリン作詩、ブラームス作曲『運命の歌』
  (指揮;畑中良輔、ピアノ;久邇之宜、谷池重紬子)

慶應義塾塾歌
 4時35分、緞帳が上がる。ステージ上は整列した現役諸君。ステージ紹介アナ
ウンス後、学生指揮者の高村くんが前へ進み出て塾歌の演奏となる。なかなか
声が出ていた。昨日、今日の追い込み練習~本番で、のべ何時間歌うのかしら
ん。枯れない声に驚きを覚えるが、私たちの頃は本番が2回だったのだから、当
時のことを考えれば不思議ではないのかもしれない。いずれにせよ、(本人は意
識しないかもしれないが)若さってすばらしい。緞帳が下がり終わるまで温かい
拍手が続いた。

1.多田武彦作曲『中勘助の詩から』(指揮;佐藤正浩、独唱;小貫岩夫)
 東西四連で大いに感激した演奏。(→こちら)。Topテノールの前にイスが用意
された。緞帳アップとともに佐藤先生と小貫さんが登場。小貫さんがイスに座る。
オンステメンバーは34人カナ。ピッチパイプによる音とりの後、1曲目「絵日傘」
の演奏に入った。
佐藤先生は長めの指揮棒で大きく振っていく。「絵日傘かってきた」まで来ると、
小貫さんがすっくと立って「みいちゃんよっちゃんいらっしゃい」と美しいソロに移
った。(四連の時と違って小貫さんも暗譜。)会場のせいか、2階席上段のせいか、
声がいささか遠くに感じる。1階中央で聴いている人の方がいいのではないかし
らん。

演奏は7曲をアタッカでつなぐ。きれいな盆栽型ではない、この曲としては造型の
大きな演奏。6曲目「ふり売り」ではセカンドの長身さんがふり売りよろしく、声を掛
けながらゆっくり上手までを往復した。何小節目から動くか厳密に設計されている。
7曲目「追羽根」で小貫さんが立ち上がった。4分半の長い曲。難しい。やや大き
めの、響かせるハミングの後、長いソロが始まる。二期会のプロだけに安心して聴
ける。ハミングも造型が大きい。「上出来だ~~」。「まるいむくろじ白い羽根」からは、
ソロ、合唱一体となって歌い上げた。以前書いたかしらん、中勘助は思ったより複
雑な人だったようだ。そんな勘助にふさわしい、気持ちの発露ある音楽だった。

2.高見順作詩、木下牧子作曲『いつからか野に立って』(指揮;高村祐太-学生)
 昨年、『高見順日記』を読んだ。高見順は作家にして詩人。彼もなかなか複雑な
人だ。(複雑な人が詩人になる?)『高見順日記』は、戦時中の貴重な記録でおも
しろい。それを題材にしたドナルド・キーンの『日本人の戦争--作家の日記を読
む』(文春文庫12月新刊)も読み終えたばかりで、私にとってはこのステージとの
因縁を感じる。

オンステメンバーは44人かな。私にとって「木下音楽」とは木下保先生の音楽を
意味していた。しかし、いまや木下音楽といえば木下牧子さん作曲の音楽だと思
えるほど一種の流行である。この『いつからか野に立って』は、学生指揮者のステ
ージとしては、高望みしない選曲がいいのではないかしらん。幻想的な曲、軽快
な曲、柔らかな音楽、激しい曲等さまざまな曲想をアタッカできっちりつないだ、好
ましい演奏だった。終曲は変拍子が出てくるのかな?高村くんはよく振っていた。

--休憩--
49年卒に「休憩時間にロビー集合」とメールで呼びかけたら、みんな集まってきた。
(--一般的には会場に来ていてもロビーに出てこない人もいるので。)還暦前後
の元気な、10人の顔が見られただけでうれしかった。


3.作詩和合亮一・中原中也、作曲;新実徳英「つぶてソング」と「祈り」
  ~大震災と原発事故の犠牲者のために~
  (指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
 5時39分、ステージ紹介のアナウンス。「つぶてソング」はまったく知らなかった。
福島県で被災した、高校の国語教諭にして詩人の和合亮一さんが震災直後に
Twitterで発表した詩編に新実徳英さんが作曲したのだという。緞帳が上がる。

佐藤先生(福島県出身)も含め現役は黒の上下、上はTシャツである。うずくまった
姿からゆっくりと立ち上がる。「あなたはどこに居ますか」--シンプルなメロディー
のユニゾン演奏にひきつけられる。ステージからははりつめた緊張感と歌詩=言
葉が伝わってくる。なんといえばいいのだろう、単なる癒し系でもなければ頑張ろ
うでもない。後半の「祈り」は、新実さんによれば新実さんの曲で一番の難曲だと
いう。Offertoire(捧献唱)、中也の「羊の歌」、「我が祈り」の抜粋から作曲されて
いる。ちょっとした飛び出しがあったが、定期演奏会らしい、大きなステージに大き
な拍手が起きた。

4.ヘルダーリン作詩、ブラームス作曲『運命の歌』
  (指揮;畑中良輔、ピアノ;久邇之宣、谷池重紬子)
 緞帳が下りたまま、下手にイスが用意された。6時、畑中先生がゆっくり登場にも
のすごい拍手。マイク片手に原稿を持たないお話。
  え~、あけましておめでとうございます。いま足の具合が悪くて、ごめんなさい、
 座らせていただきます。今年の2月で卒寿を迎えました(すごい拍手)。「卒寿」を
 機に、ワグネルを「卒業」しようかと(笑)。

  今年はホントはマーラー(『さすらう若人の歌』)にしようかと考えていたんです。
 ところが3・11の大震災が起きてしまいました。天災というのか人災というのか、
 生きるという根源的な生命のあり方が問われ、ホントに罪もない人間が大変な目
 に遭いました。やがて人類が住む場所もなくなってしまうのではないか?--私
 の頭には「ヒューペリオンの運命の歌」がこびりついていたのです。そうした、不条
 理にプロテストしたい想いもあり、急遽曲を変えました。『運命の歌』では人類終
 末の思想を予言していますが、ブラームスは後奏で再び人間に対する愛--調
 和の世界--人間は生きよう!というメッセージを描いていますので、今日はそ
 こをハミング付きでお送りします。

この曲は、私たちが4年生の時、畑中先生に6連(ピアノ久邇さん)、定演(ピアノ三
浦洋一さん)と指揮していただいた。ワグネルのおける畑中先生の『運命の歌』は
たしかそれ以来である。久邇さんがワグネルに来られたのもその時が初めてだった
かしらん。38年以上前のことである。(→こちら

畑中先生が介添え I さんの補助でゆっくり中央指揮台のイスに座ると緞帳が上が
る。下手寄りに谷池さんの、上手寄りに久邇さんのピアノ。畑中先生は座って、暗譜
による指揮。譜面台はない。第2部に入るところでは久邇さんの両ひじによるガンガ
ンがすごい。
昨日のことを思うと多少ハラハラしながら聴いていたが、集中力のある、インスピレ
ーションに満ちた、いい演奏だった。後奏では指揮棒を持たずに両手の大きな指揮
だった。

演奏が終わると盛大な拍手が一斉に沸き起こった。畑中先生がマイク片手に立
ち上がる。
  え~、有難うございました。私は52回の定期演奏会を1回も休まずに振りました
 が、今日は250名のOBが全国から来てくれていますので、最後は現役、OBそし
 て志木高ワグネルも一緒に300人で『タンホイザー』の大行進曲をお送りしたいと
 思います。(大きな拍手)

<アンコール>
先生のお話中に2階席の、私たちOBは立ち上がってスタンバイ。先生の指揮とと
もに数小節の前奏が始まり、大合唱に突入した。大きな声を出しつつもフォームを
崩さないことに心掛けて歌っていたら、最後の「Heil!」とともに、あっという間に
5分ほどの演奏が終わり--厳密にはピアノによる後奏に入ると、それが終わりき
らないうちに、ものすごい拍手となった。私も自ら大きな声でブラボーを叫んだ。時
計を見たら6時30分だった。

 (注)ワグネルの歌う「タンホイザー」は亡き母が大好きだった。いい「供養」にも
    なったかもしれない。(→こちらもご参照)

畑中先生が中央指揮台から下手寄りのイスにゆっくり移動される間も拍手が続く。
佐藤先生、前田さんが下手から登場した。佐藤先生がマイクを握る。「先生に心を
込めてお送りします」。畑中先生が耳を傾ける中、シューマンの「献呈」がやや明る
めの音色で歌われた。(拍手。畑中先生がマイクを求め)
「何をやるんだか、誰も教えてくれなかったの」(畑中先生)。
「先生には長年ご指導いただいていますが、この曲にもありますように、『あなたは、
私の心であり、魂であり、そしてシュメルツ苦しみ』でありました(笑)」(佐藤先生)。
「この~」(というポーズ、畑中先生)

6時37分、大きな拍手の中、畑中先生がゆっくり退場。佐藤先生と高村クンが握手
・・・高村クン指揮、ピアノも現役学生によりにより武満徹「青空見たら・・・」が歌わ
れ、緞帳が下がり始めると温かな拍手が続いた。

緞帳が下がっても、2、3分手拍子が続き、再び緞帳アップ。ステージ上は手前4年
生から10人、8人、17人、(最上段)15人と整列、「若き血」、「我ぞ覇者」、「丘の
上」が歌われた。

「丘の上」のソロは恒例により最前列の4年生が肩を組んで歌った。4年間、お疲
れさま!!本年度はワグネル110周年記念演奏会もあった。4年生と3年生の1
年違いは3年生と2年生のそれ以上のものがあったことでしょう。


○畑中良輔先生は定演ステージを勇退されるが、今後はワグネル男声合唱団の
 「桂冠指揮者」に就任されるとのこと。私も当日知った。



新宿文化センター


第3ステージ ステージ練習


OBの発声練習


畑中先生のステージ練習


「タンホイザー」の直前練習 2階席にて


開場間近の人だかり


会場入り口


2階から見た1階席(開場後)


2階席(同上)









《年末年始のこと》
<TV>
人志松本のすべらない話 クリスマススペシャル(12/23)
  視聴しての予想どおり小籔さんだった。
ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート(1/1)
東京-箱根間往復大学駅伝(1/2、3)
  昭和41(1966)年、澤木啓祐の時代から聴いている。
NHKニューイヤーオペラコンサート(1/3)

<CD>
B.ブリテン「戦争レクイエム」小澤征爾/サイトウキネンO

平成12(2010)年12月17、18日カーネギー・ホールでのライヴ録音
レクイエム+反戦詩の大曲。畑中良輔先生推薦。

チャイコフスキー交響曲第5番 西本智実/ロシア国立交響楽団

平成13(2011)年2月7~11日 於モスクワ放送局第5スタジオ

IL DIVO「BREAK MY HEART」

IL DIVOはクラシック発声でポピュラーを歌う。2004年11月デビュー。
2曲目“MAMA”  Mama thank you for who I am に涙。
いい声ですね~。ぜひ一聴を!


<本>
本(蔵書)は増えてはならじとその「衝動買い」はしないように心掛けているが、年
末年始に暇にまかせ、書店をうろうろしていたら、これはやはりどうしても買って、
繰り返し読みたいと思う本をいくつか見つけた。それらを購入すると、あっという間
に10冊が手元に集まった。

ブログ一行を単純に入力するには私の場合1分弱かかるが、実際に一行の内容
を<正確に>文章化するには5分~10分以上かかる場合もある。ブログ作成も
ほどほどにして、まずは毎日--通勤時、昼休みなどに、これらをどんどん読まな
ければならない。

○年末年始、お汁粉とお餅等々いささか食べ過ぎたために、遺憾ながら2kgほど
太ってしまった。主治医からは絶対に太らないようにいわれている。肝臓には、ア
ルコールもさることながら、肥満が危険因子であることが近年の研究で明らかにな
っているラシイ。専門的には脂肪組織から分泌されるアディポサイトカインといわ
れる物質が影響しているようだ。


<ウォーキング>
昔、相模国は、いまの神奈川県のほとんどをカバーしていた。一方、私の住んでい
る所は同じ神奈川県でも昔は武蔵国(--詳しくは武蔵国都筑郡)だった。このあ
たり、大山街道にしても田園都市線にしても北東から南西に走っているが、戦前
(--厳密には明治22年から昭和14年まで)都筑郡のこの付近には北東から順
に山内村、中里村、田奈村と並んでいたらしい。昔の地名を調べるのもおもしろい。
(郷土史かな?)

1月2日(月) 御嶽神社。旧中里村字黒須田の氏神様である。昭和50年の記念
碑によれば「黒須田町(筆者注;すすき野ができる以前、昔の広い黒須田町)は
田畑山林が調和した純農村で十八戸の氏子は平和な日日を楽しく過ごしていた」
とある。












1月3日(火) 驚(おどろき)神社。驚き様。旧山内村の神社である。このあたり一
帯は広くまぐさ(秣)を刈り取る草地、すなわち秣場(まぐさば)であったようだ。馬を
大切にする土地柄から、馬を敬う=驚き神社と称せられたようだ。










1月4日(水) たまプラーザ、保木方面--旧山内村~旧中里村をかなり(--
具体的には14,355歩)歩いた。


SMAPのメンバーの家(ラシイ) 表札はない


<平津三差路>交差点


歩道が分かれていた


<保木入口>


住宅地の反対側は畑である


<保木>





パン屋さんPrologue





<保木公園前>


<蓬谷戸(よもぎやと>


<荏子田2丁目>





竣工記念 剣山第一土地区画整理組合 昭和49年12月


すすき野交番 特別手配犯も一人捕まった


<時事放談>
1月8日(日) 藤井さんvs片山さん。藤井さんが消費税品目別減免に対する反対
論を述べる。分かりやすかった。片山さんは穏やかな話し方ながら、リーズナブル
に、民主党にも自民党にも厳しかった。


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6 コメント

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Unknown (AK)
2012-01-10 20:44:50
本当に畑中先生と巡り合えたことは人生の宝ですね。

先生がいつまでもご健勝でいてくださることを心からお祈りします。
返信する
お疲れ様でした ()
2012-01-10 20:47:02
お疲れ様でした。

打ち上げでも、期せずして畑中先生のおそばでお話を伺えたのが何よりの幸せでした。
返信する
感動 ()
2012-01-10 20:49:36
久しぶりに感動・感激の一日でしたね。

やはりブル先生は偉大です。

そしてワグネルはすばらしい!
返信する
Re;Unknown (katsura1125)
2012-01-10 20:56:03
AKさん、有難うございます。

畑中先生の厳しさは、私たちを高めようとする愛情いっぱいの厳しさでした。
返信する
Re;お疲れ様でした (katsura1125)
2012-01-10 21:00:17
Yさん、コメント有難うございます。

私なら疲労困憊で失礼するところですが、ああして打ち上げにも出席される、強靭な精神力には「脱帽」します。
返信する
Re;感動 (katsura1125)
2012-01-10 21:03:34
Mさん、有難うございます。

久々に完全燃焼でしたね~。ワグネルは私たちにとって心のふるさと(ハイマート)でしょう。
返信する

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