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二人でゆったり温泉・露天風呂

露天風呂、温泉、リゾートホテル等、夫婦で気の向くままに楽しんだ記録です。

鹿島神社・出雲大社・足立美術館・鳥取砂丘の旅

2012年03月31日 | Weblog

大山ロイヤルホテルの壺湯 風情ある信楽焼きの壺型の浴槽に、お湯を溢れさせながら入るチョト贅沢な壺湯です。
(写真は大山ロイヤルホテルのパンフレットから)

行程は次の通りです。

1日目:東京駅 →(のぞみ23)→ 広島駅 →(山陽本線)→ 宮島口駅・・・宮島口 →(JR宮島フェリー)→ 宮島桟橋 →【厳島神社拝観・平清盛館・散策】→ 宮島桟橋 →(ホテルまで遊覧)→ 安芸グランドホテル(泊)

2日目:安芸グランドホテル →(観光バス)→ 道の駅サンピアごうつ(休憩)→ (観光バス)→ 出雲大社・古代出雲歴史博物館の見学 →(観光バス)→ 一畑口駅 →(一畑電鉄)→ 松江イングリッシュガーデン駅 →(観光バス) →大山ロイヤルホテル(泊)

3日目:大山ロイヤルホテル →(観光バス)→ 足立美術館見学 →(観光バス)→ 鳥取砂丘散策 →(観光バス)→ 道の駅羽合(休憩)→(観光バス)→ 岡山駅 →(のぞみ50)→ 東京駅

 写真は広島駅の山陽本線乗り場で、14:30発の岩国行に乗車する。


JR宮島口駅(みやじまぐちえき)です。

 JR宮島口駅を出たら、地下歩道を通り桟橋に行きます。
   ※歩道の先の道路は横断できません。 
   ※写真の左側が地下歩道の入り口です。 

地下歩道から道路に出ると目の前に鳥居が見えます。
鳥居の先がJR宮島口桟橋でフェリー乗場です。

  「JR宮島口駅」より「JR宮島口桟橋」まで徒歩6分です。
ここから、フェリーで世界遺産の「安芸の宮島」まで2kmの海上を10分で着きます。

 宮島桟橋です。
宮島桟橋は、宮島アクセスの中心となっている、フェリー乗り場で、建物はJRの駅の機能も備えた大きな駅舎です。
写真のように、とても立派な堂々とした駅舎です。

 フェリーから観た「世界遺産厳島神社」です。
赤い鳥居が見えますが、宮島のシンボル「大鳥居」です。 
宮島では、ところどころに鹿を見ましたが、それほど糞が落ちていず、比較的きれいです。
ただ少し糞の匂いがします。

 宮島のシンボル「大鳥居」です。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社です。
日本全国に約500社ある厳島神社の総本社です。
 平安時代後期、NHKの大河ドラマ「平清盛」によって修築された寝殿造りの厳島神社の社殿と海にそびえ建つ朱塗りの大鳥居が、とても優美で幻想的です。

 丁度干潮の時間で、大鳥居の回りは海水がありましたが、本殿の辺りは潮が引いて沢山の人が歩いていました。

この入口から、社殿の中へ入ります。

 この場所から、社殿と大鳥居を一度に望むことができました。
海水が引いて、まるで社殿の1つ1つが砂浜の上に浮かんでいるようでした。

 厳島神社は、とても朱塗りの柱の廻廊が美しい。
写真の左側の少し高くなっているところが高舞台で、この高舞台では、結婚式があると能が舞われます。

重要文化財の能舞台です。

 潮が引いた「大鳥居」の傍まで行ってみました。
本当に太くて大きいです。
 実はこの大鳥居の根元は海底深く埋められているわけではなく、自分の重みだけで建っています。
それなのに台風や地震がきてもびくともせず、動いたり、倒れたりしないのは、1つには鳥居上部の島木は箱形の造りで、中にこぶし大の玉石が約7トン詰めてあるからです。
 また主柱・袖柱を安定感のある6本足とし、柱と屋根の交差する部分には特殊な造りのクサビがほどこされて、柱と屋根の動きやひずみなどを自然に吸収しています。
海底部分は松材の杭を打って地盤を強化したうえで、その上に布石を並べて基礎の代わりとしています。
大鳥居の高さは約16メートル、主柱の周囲は約10メートルもあり、しかもクスの自然木です。
クスの木は、腐りにくく虫に強いためです。
 次代は宮島産のクスの木を使おうと、地元の人たちによってクスの木が植林されています。

宮島は、杓子(しゃくし)でも有名ですね。

 「道の駅 サンピコごうつ」は、石州瓦を用いた屋根やモニュメントによって、江津らしさをイメージした外観となっています。
 物産販売施設では江津市の特徴である海・山・川の豊かな自然を活かし、地元農家が朝採れた新鮮で安全・安心な野菜と手づくり加工品が並べられています。

 バスから時々風車がみえます。
ここ「道の駅 サンピコごうつ」からも、風車がみえました。風力発電の多い県なのでしょうか。

 そうそう、石州瓦(せきしゅうがわら)とは島根県の石見地方(旧 石見国=石州)で生産されている粘土
瓦のことで、三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つです。
 石州瓦は、凍てに強く、水を通さず、とにかく固くて丈夫な瓦と言われています。
石州瓦は、この特徴だけで日本海沿線の寒くて積雪の多い地域に葺かれてきました。

出雲大社の正面入口です。

 現在の拝殿(はいでん)は、昭和34年5月に竣功しました。
通常は参拝者の御祈祷が行われ、古伝新嘗祭等のお祭の他、さまざまな奉納行事が行われます。
 ※現在は平成の大遷宮中の為、拝殿は御仮殿となっていました。

 島根県立古代出雲歴史博物館です。
島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社の参道東側に隣接した大社の南北軸と平行に伸びる敷地に建てられています。
建物外観はコンパクトで、2つの重層する折屋根と外観のコールテン鋼、そして透明なガラスとの対比が近代的です。

大林組の古代出雲大社の高層神殿復元図

 巨大な本殿の柱です。 
平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。
 これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです。
境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土しました。

 一畑電鉄(いちばたでんてつ)の一畑口駅~松江イングリッシュガーデン駅まで宍道湖ローカル電車に乗る。
 一畑口駅は、2010年5月29日公開の松竹映画「RAILWAYS」(49歳で電車の運転士になった男の物語)の主要な舞台となった駅の一つで、オープニングやラストシーンに登場します。

 一畑電鉄は、都会で使用した古い電車を使用しています。例えば、元京王電鉄の5000系車両とか元南海電鉄の2100系車両とかです。
 それから、一畑口駅は、スイッチバックの駅です。

 足立美術館です。
足立美術館(あだちびじゅつかん)は、島根県安来市にあり、近代日本画を中心とした美術館で、130点におよぶ横山大観の作品と日本庭園で有名です。
 米国の日本庭園専門誌「Sukiya Living(数奇屋リビング)/ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニン
グ」の「2011年日本庭園ランキング(潮騒ランキング)」において、足立美術館の日本庭園が昨年に続き「9年連続庭園日本一」に選ばれました。
 ちなみに、《2011年日本庭園ランキング上位5位》は、1位 足立美術館(島根県)、2位 桂離宮(京都府)、3位 栗林公園(香川県)、4位 養浩館(福井県)、5位 無鄰菴(京都府)、です。


 生の額絵です。
館内の窓がそのまま額縁になっています。
まるで絵を観ているように、大小の木や石がバランスよく配置され芝生が美しい自然の絵画です。

 この地には、コマーシャルで有名な地名「羽合」があります。
道の駅「はわい」で休憩です。

 鳥取砂丘は、低気圧の接近で雨が降り風が強い荒れた日となりました。
少し雨が小降りとなり砂丘に入りましたが、とても馬の背に行ける状態ではありませんでした。
昼食後に雨が上がったので再度挑戦しましたが、今度は強風で砂が吹き付けて目が開けられず引き返しました。

 

 


「ザ・プリンス箱根」に泊まって、箱根駒ヶ岳山頂や箱根関所等へ。

2011年07月13日 | Weblog

「ザ・プリンス箱根」の男子露天風呂

 今回は、小田原城を見学してから「ザ・プリンス箱根」に一泊して、翌日に芦ノ湖の周りの観光スポットを楽しんで来ました。


 行程は次のとおりです。

 往路:浦和→(宇都宮線)→赤羽(湘南新宿ライン10:43特小)→小田原→(昼食、小田原城見学)→(送迎バス)→「ザ・プリンス箱根」泊


 復路:「ザ・プリンス箱根」→(バス)→箱根関所→(徒歩:箱根旧街道石畳)→元箱根港→(定期船)→箱根園港→(駒ヶ岳ロープウェイ)→駒ヶ岳山頂→箱根園ショッピングプラザ(昼食と買物)→(送迎バス)→小田原→(東海道線)→新橋→(京浜東北線)→浦和

明治・大正・昭和のそばと米の値段の変遷

 小田原駅東口の駅前の蕎麦屋で昼食を食べました。店内に「明治・大正・昭和のそばと米の値段の変遷」が飾ってありました。

 小田原は、戦国時代には北条氏の城下町として栄えました。江戸時代には小田原藩の城下町として、東海道小田原宿の宿場町として盛えました。
今は、箱根峠東側の観光拠点都市となっています。
1876年(明治9年)4月17日までは、現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島を範囲とする足柄県の県庁所在地でもありました。

 小田原は、小田原城や小田原ちょうちん、そしてかまぼこの特産地として全国的に有名です。
最近では小田原バーガーや小田原どんといったB級グルメを売り出しています。

小田原城の堀の桜並木

 小田原駅東口から「お堀端通り」の商店街を暫く歩くと、小田原城の桜並木のある堀に着きます。
小田原城(おだわらじょう)は、戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、北条氏の本拠地として有名です。
江戸時代には小田原藩の藩庁がありました。城跡は国の史跡に指定されています。

 最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭で、広大な外郭は八幡山から海側に至るまで、小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んいます。

馬出門(うまだしもん)

 堀の桜並木を歩いていくと、正面入口の案内板があったので、そこから入ると門があります。

馬出門(うまだしもん)です。


馬出門は、小田原城の大手筋に位置し二の丸を守る重要な門です。2009年春に総工費5億円余をかけて復元されました。

馬出門は、馬出門と内冠木門の二つの門と周囲を石垣と土塀で四角に囲んだ「桝形形式」の門です。馬屋曲輪(くるわ)へ通じることからこの名前が付いたと云われています。

 ※曲輪(くるわ)とは、城郭内にある一定区画を分かつ区域です。郭(くるわ)とも書きます。


三の丸小学校

 馬屋曲輪(くるわ)から、とても立派な建物が見えます。

小田原城址公園の南側に隣接して立地する三の丸小学校です。
校名は、現校地が小田原城の三の丸だったことに由来します。
白壁、瓦葺の武家屋敷を思わせる立派な校舎で、小田原城周囲の歴史的景観に合わせて建造されたものです。

銅門(あかがねもん)

 馬屋曲輪から住吉橋を渡って「銅門」(あかがねもん)へ。


銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、馬出門土橋(現在のめがね橋)から城内に入り、銅門を通って二の丸御屋形や本丸、天守閣へと進むようになっていました。

銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由来します。

現在の銅門は、平成9年に復元されたもので、石垣による桝形、内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる形式で、本来の工法で復元されています。


常盤木門(ときわぎもん)


 常盤木門(ときわぎもん)は、本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも大きく堅固に造られていました。
多門櫓(たもんやぐら)と渡櫓(わたりやぐら)から構成される桝形門(ますがたもん)の構造です。 
現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建されたもので、昭和46年(1971)3月に完成しました。

常盤木門の由来ですが、常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには松が植えられており(巨松があります)、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することから、小田原城が永久不変に繁栄することを願って、常盤木門と名付けられたといわれています。

小田原城天守閣

 広い本丸に天守閣がそびえています

現在の天守閣は、昭和35年(1960)5月に、市制20周年の記念事業として復興されたもので、江戸時代に作成された引き図(設計図)や雛形を参考に、鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。


3重4階の天守に付櫓と渡櫓が付いています。内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっています。
訪れた時は、「小田原城甲冑展」(平成23年6月8日~平成23年7月18日)が開催されていました。

標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望できました。

 

ハスの群生

 

 南曲輪の南堀(御感の藤棚前)にはすが群生していました。訪れたのは午後でしたので、花は閉じていました。
開花時期は、7月中旬から8月中旬までとのことでしたので、最盛期の午前中に鑑賞すれば、一斉に花開く姿は壮観ではと想像してしまいました。

城内には、はすの他にも梅、桜、つつじ、花菖蒲、紫陽花、藤があり、四季それぞれに楽しむことが出来ます。

ザ・プリンス箱根

 小田原駅の西口から送迎バスでザ・プリンス箱根へ。

ザ・プリンス箱根は、箱根園エリアの芦ノ湖を望む緑豊かな森の中に佇む円形のホテルです。
部屋は本館の東棟の「ガーデンビューツインルーム」で部屋は広々(38㎡)としていてリゾート気分一杯でした。
部屋によっては芦ノ湖が見えるのですが、残念ながら泊まった部屋からは見えませんでした。

夕食は和食にし、お店は「なだ万」でしたが、食事がとても美味しく、またサービスも行き届いていて大満足でした。

男子の露天風呂

 大浴場は清潔で気持ち良く、露天風呂も大きくゆったりでき、湯に浸りながら芦ノ湖を見渡すことが出来ます。
残念だったのは大浴場(露天風呂)が部屋から少し遠かったことですね。

豪華なロビー

 朝食は洋食にしました。お店は「ル・トリアノン」で、こちらも美味しく大満足でした。
そうそう、テーブルから下の方は雲がかかっていましたが、富士山がはっきり見えました。

担当のベルボーイが埼玉県熊谷市の人で猛暑の話で盛り上がりました。
ホテルのその他のスタッフの方も親切で、また泊まりたいと思いました。

箱根関所

 「ザ・プリンス箱根」からバスで「箱根関所」へ
箱根関所は、昭和58年に新しく発見された古文書から、江戸時代における関所の建物の全容が明らかになりました。
それをもとに平成11(1999)年より復元工事始められ、平成19(2007)年より一般公開されました。

箱根旧街道石畳

 箱根関所から箱根旧街道石畳を散策しながら元箱根港へ
箱根旧街道石畳は、旧東海道の畑宿から湖畔まで続く古道の石畳で、杉並木と石畳が保存されています。
苔むした杉並木の中は、猛暑日にも関わらず歩いても汗をかかない程の涼しさでした。

双胴船の定期船

 元箱根港から定期船で箱根園へ
定期船は、双胴船で湖ということもあり、とても静かでゆったりと遊覧気分を味わえます。

箱根駒ヶ岳ロープウェイ
 
 箱根園から「箱根駒ヶ岳ロープウェイ」で駒ヶ岳山頂へ
「箱根駒ヶ岳ロープウェイ」は、芦ノ湖畔の箱根園から箱根連山の一つである標高1,327mの駒ヶ岳へ登っている。
「箱根駒ヶ岳ロープウェイ」は、当日は20分毎に運行されていて、山頂までの所要時間7分です。
山頂には箱根神社元宮等があり、芦ノ湖や富士山などを見渡せますが、富士山は雲がかかっていて山頂の一部しか見えませんでした。

箱根園

 箱根園の「ショッピングプラザ」で昼食を取りながらお土産を買う。
箱根園の「ショッピングプラザ」は、人気のお土産スポットで、箱根園のオリジナルグッズを中心に、衣類や雑貨、おもちゃなどが豊富に揃っています。
箱根園は、別棟の名産品コーナーや箱根園水族館、フジテレビシアター(フジテレビショップ)等がありますが、プリンスホテルが経営するコテージ・植物園・水族館・ショッピングモールなどの複合リゾート施設です。

 


三浦半島のリゾートホテル「マホロバ・マインズ三浦」に泊まって横浜散策

2011年02月03日 | Weblog
マホロバ・マインズ三浦の露天風呂(HPから画像お借りしました)



行程は次のとりです。
往路:浦和 →(京浜東北)→ 品川 →(京急本線快特・三崎口行)→ 京急久里浜 【久里浜散策】→(京急久里浜線)→ 三浦海岸 →(送迎バス)→ マホロバ・マインズ三浦(泊)
帰路:マホロバ・マインズ三浦 →(送迎バス)→ 三浦海岸 →(京急久里浜線))→ 京急久里浜 →(京急本線快特)→ 横浜 →(みなとみらい線)→ 馬車道駅【横浜散策】 元町・中華街駅 →(みなとみらい線)→ 横浜 →(京浜東北)→ 浦和

京急久里浜駅



 京急久里浜駅(けいきゅうくりはまえき)は、京浜急行電鉄久里浜線の駅です。
当駅の列車接近案内音メロディは、付近にある観光スポット「くりはま花の国」のコスモスを連想させることから、さだまさしが作詞・作曲し、山口百恵が歌った「秋桜(コスモス)」が採用されています。
 京急久里浜駅は、京急ショッピングプラザ ウィング久里浜のビル内にあります。丁度昼時でしたので5Fのレストランプラザでランチ。

ペリー公園



 京急久里浜駅から海岸に向かって20分程歩くとペリー公園があります。
 ペリー公園(ぺりーこうえん)は都市公園(特殊公園)で、1853年(嘉永5年)に黒船で来航したマシュー・ペリー提督の上陸の地であるとゆうことで久里浜に整備されました。園内には上陸記念碑を中心に、ペリー記念館、児童広場があります。

ペリー記念館



 ペリー記念館は、1987年に開館しました。 建物は小さな2階建てで、館内は1階が受付と黒船来航当時の久里浜周辺の地形と黒船を再現したジオラマ模型の展示、 2階がペリーの久里浜上陸図や当時の絵図といった資料の展示室となっています。入館は無料です。

くりはま花の国



 くりはま花の国(くりはまはなのくに)は、市営の公園です。園内には色とりどりの花が咲き誇る庭園やスポーツ施設やレストランがあります。

フラワートレイン



 入園は無料ですが、園内は広いうえに高低差があり徒歩での移動は大変です。そのため機関車の形をした「フラワートレイン」が料金一回200円で走っています。

足湯処(湯足里(ゆったり))



 主な施設としては、コスモス・ポピー園、冒険ランド、ゴジラの滑り台、ハーブ園、つばき園、レストラン、スポーツ施設があります。
そうそう、ハーブ園にハーブ(ハーブは毎日変わるようです。)を使った足湯処(湯足里(ゆったり))がありました。しばし足湯でのんびり過ごす。

マホロバ・マインズ三浦



 三浦海岸駅からホテルまで送迎バスが運行しています。
ホテルは、リゾートマンションを改築しましたので、普通のホテルと違っています。泊まった部屋は13階だったのですが、エレベーターを降りると部屋まで外廊下です。部屋も広く、8帖+8帖+リビングルーム+キッチンで、バスもトイレも広いです。バルコニーが付いていて海が一望出来ました。
 夜食も朝食もバイキングでしたが、刺身・寿司・天ぷらと種類が多く、どれも新鮮で満足できました。
 温泉は男女入れ替えですが、普通にゆっくり出来ました。

横浜赤レンガ倉庫



 横浜赤レンガ倉庫は歴史的建造物に 楽しいショッピングやおいしいレストラン、そして様々なイベントが楽しめる施設です。
 横浜赤レンガ倉庫は、取扱貨物量が激減し倉庫としての役割も終え、しばらく放置されていましたが、平成4年横浜みなとみらい21の整備に伴って、横浜市は赤レンガ倉庫を国から取得し整備を始め、平成14年4月12日、赤レンガ倉庫を中心とした付近一帯を、展示スペース、ホール、広場、店舗からなる商業施設赤レンガパークとしてオープンしました。
 赤レンガ倉庫1号館は主に文化施設として、赤レンガ倉庫2号館は商業施設として運営されています。平成18年1月には通算来場者が2000万人を超えるなど、横浜の人気観光地となっています。

水の女神像



 山下公園(やましたこうえん)は、関東大震災の復興事業として、瓦礫などを使って海を埋め立てて造成し、1930年(昭和5年)3月15日に開園しました。
日の当たるベンチでは、沢山の人が日向ぼっこをしていました。
 山下公園の中央広場に水の女神像があります。この水の女神像は、1960年に姉妹都市のサンディエゴから寄贈されたものです。
ここから街へまっすぐ行くと中華街です。

氷川丸



 この山下公園に氷川丸が博物館船として公開されています。
 氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年に竣工させた日本の12,000t級貨客船で、北太平洋航路で長らく運航されました。船名は埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社に由来しています。氷川丸は、多くの日本商船が喪失した太平洋戦争でも沈没を免れた数少ない大型貨客船で、戦後は輸送力を活かして帰国者の引き揚げや国内航路に活躍しました。

横浜中華街



 2月3日は春節で旧暦のお正月なので、この日から横浜中華街では旧正月のお祭りが17日まで続きます。話によると、爆竹が豪快に鳴り響き、シンバルや太鼓、銅鑼の音とともに春節を祝う中国獅子や龍が舞う華やかな中華街とのことでしたが、それらしい風景はありませんでした。
 期間中は歌や舞踊の舞台、中国古筝の演奏もあるとのことでしたが、どこでしていたのでしょうか。ただ、ものすごい人で、どこのお店も長蛇の列でした。









奈良平城宮・薬師寺と和歌山那智の滝・熊野を巡る旅

2010年10月10日 | Weblog
串本ロイヤルホテルの露天風呂


 串本ロイヤルホテルは、本州最南端の地・串本町にあります。
串本町は、1年間の平均気温が約17度と温暖で、「潮岬灯台」・「串本節」・「橋杭岩」で有名です。
 串本ロイヤルホテルのお風呂は、平成4年に湧出した串本温泉浴場の源泉から引湯しています。串本ロイヤルホテルは高台にありますので、その露天の岩風呂からのロケーションはとても素晴らしく、沖合いを北上する「黒潮」を望むことができます。
 泉質: ナトリウム、カルシウム、カリウム
 効能: 疲労回復/筋肉痛/神経痛/冷え症/慢性婦人病

 今回の旅行は、「奈良平城宮・薬師寺と和歌山那智の滝・熊野を巡る旅(10月7日~9日)」で、次のような行程で行って来ました。
1日目
 東京駅(7:26)⇒<新幹線こだま号グリーン車>⇒名古屋駅⇒平城宮跡⇒薬師寺⇒白浜泊
2日目
 白浜(7:40)⇒<ウォータージェット船で志古~瀞峡~小川口>⇒世界遺産那智の滝⇒世 界遺産熊野那智大社⇒世界遺産青岸渡寺⇒世界遺産熊野古道・大門坂⇒橋抗岩(車窓)⇒ 潮岬⇒串本泊
3日目
 串本(7:40)⇒<紀勢線ローカル列車で串本駅~太地駅>⇒熊野本宮大社⇒谷瀬の吊り橋 ⇒飛鳥の石舞台古墳⇒名古屋駅(20:20)<新幹線ひかり号自由席>⇒東京駅(22:10)

平城宮跡 第一次大極殿


 今、我が国初の本格的な首都「平城京」が誕生してから今年で1300年になり、これを記念して奈良市を中心に平城遷都1300年祭が開催されています。
期間は、1月1日から12月31日までです。
 訪れた7日は、気温が27℃を超え半袖でも汗をかく陽気でした。それに入場時間が、催しがあるということで14:00までとなっていました。
ニュースで分かったことですが、「天皇、皇后両陛下は7日、奈良県入りし、奈良市の平城宮跡に今年4月に復元された大極殿(だいごくでん)を見学された。」とのことで、その為だったのでしょう。
そういえば、薬師寺へ向かう幹線道路の各交差点には警察官が立っていました。

平城宮跡 朱雀門


 平城宮の正門・朱雀門では、その前で外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりしたそうで、お正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもあったそうです。
 それから、近くには復原された遣唐使船が展示されていました。
全長約30m、マスト高約15mで、進取の精神で渡航した先人たちの気概に触れることができます。

薬師寺 金堂


 写真は、金堂の裏から撮影したものです。中央が金堂、左の塔が東塔で右が西塔になります。
 「金堂」は昭和51年再建されました。正面の長さは26.6m、奥行の長さは15.5m、高さは20.4mという20世紀最大の建造物です。
一見四重の建物のように見えますが、二重の建物で、上・下層とも「裳階(もこし)」
が設けられており二重二閣入母屋造です。「東・西塔」、「大講堂」の三棟も裳階付きです。
 金堂の中央部分は鉄筋コンクリート造、防火シャッタ―構造、周辺部は木造建築です。
創建当初の木造建築での再建を要望する寺側と人類全体の遺産と言うべき「本尊薬師如来像」を守ることを主眼とした国側との妥協の建物です。

薬師寺 金堂日光菩薩


 2008年に上野の東京国立博物館平成館で開催された「国宝 薬師寺展」を観ましたが、実際に、金堂の中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、そして左に月光菩薩が配置されているのを観ますと、全く違った印象を受けました。

薬師寺 東塔


 東塔は、今年11月より約100年振りに本格的な解体修理に入ります。その為に約10年間観ることが出来ません。
 東塔は、創建当初から残る唯一の建築物で、アメリカの美術研究家フェノロサが「凍れる音楽」と絶賛したことでも有名です。塔の上にある水煙は、雷や火災から守る水をイメージしたもので、飛天が透かし彫りされています。

薬師寺 東院堂


 東院堂には、白鳳仏を代表する国宝の聖観世音菩薩が安置され、その四方を鎌倉時代の四天王像が守護しています。
この東院堂に、水煙のレプリカがあります。(右奥にありますので、気を付けて探さないと見つかりません。)

薬師寺 大講堂


 大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物です。本当に立派で大きく雄大な建物です。大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則だそうで、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためだそうです。
大講堂の本尊には彌勒三尊像【重要文化財】、後堂には仏足岩・仏足跡歌碑【国宝】が安置されています。

玄奘三蔵院伽藍


 玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶で、薬師寺と深い縁があった事から、全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を受け、平成3年(1991)に玄奘三蔵院伽藍が建立されました。
平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿で観ることが出来ます。

瀞峡めぐりのウォータージェット船乗り場


 ウォータージェット船は国道168号沿いの志古から出ています。船は両面ガラス張りになっていて上部が開閉式になっていましたので景色がよく見えました。
 当日は、まだ雨が降らず瀞峡への川は川幅も狭く、沢山の人が鮎釣りをしていましたが、午後から降った雨で翌日は白く濁り川幅も広くなっていました。もちろん観光船は欠航となっていました。

瀞峡


 瀞峡は奈良県・三重県・和歌山県の3県に接する県境にあり、滝壺の後退により形成され、奥瀞・上瀞・下瀞に分かれています。特に下瀞は巨岩・奇石が並び荘厳で美しく、親しみをこめて「瀞八丁(どろはっちょう)」と呼ばれています。ウォータージェット船は上瀞・下瀞を運行(約90分)しています。

那智の滝と青岸渡寺三重塔


 那智の滝を観る辺から、時々横殴りのドシャブリの雨となった。
那智滝(なちのたき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝です。那智滝は、華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられ、国の名勝に指定されています。
那智山には多くの滝がありますが、瀧篭修行の行場として扱われた48滝(那智四十八滝)の一の滝を那智滝と云っています。落差は、133mで、滝幅は、13mです。

熊野那智大社


 那智大社(くまのなちたいしゃ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社で、熊野三山の一つです。熊野夫須美大神を主祭神とします。2004年7月1日、ユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
 熊野那智大社から歩いて直ぐ傍に青岸渡寺があります。
青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院です。西国三十三箇所第一番札所で、山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩です。2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録されました。
 そして、ここから観る那智の滝と青岸渡寺三重塔の風景は素晴らしいです。天候が良ければ最高の景色だったと思う。

熊野古道の大門坂


 熊野那智大社・那智山青岸渡寺の参拝後、「神社お寺前駐車場」から世界遺産熊野古道「大門坂」を降りました。
大門坂は、高低差約100mで樹齢800年を超す杉並木と苔むした石畳みが約600m続き、熊野古道の面影をもっとも色濃く今に残している場所です。
熊野古道(くまのこどう)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称です。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産として登録されました。

潮岬訪問証明書


 潮岬(しおのみさき)は、和歌山県東牟婁郡串本町に属し、本州最南端の太平洋に面する岬で、北緯33度25分59秒東経135度45分45秒にあります。
日本でも有数の台風通り道で、台風の位置を表す指標にされることが多くよく知られています。
 訪れた時は、雨も風も強く台風接近を想像させるような状況でした。観光客目当てのお店屋さんも、私達がバスに乗ると、きっと最後の客だったのでしょうか、店を閉めてしまいました。

本州最南端を走る紀勢線ローカル列車


 本州最南端を走る紀勢線ローカル列車で、串本駅から太地駅までの約33分を乗りました。
串本駅で時刻表を見ると、約1時間に1本の割合で運行しているようです。
時間帯によっては、全く発着のない時間もある。乗った車両は2両編成でワンマンカー、乗車した区間はは単線でした。

熊野本宮大社での巫女の舞


 熊野本宮大社で、偶然にも巫女の舞を観ることが出来ました。
巫女の舞とは巫女によって舞われる神楽(神事において神に奉納するために奏される歌舞)の舞とのことですが、これほど優雅な巫女の舞を観たのは始めてでした。

谷瀬の吊り橋


 十津川村は、奈良県の最南部にある日本一大きな村で、なんと、東京23区より広い村です。
そうそう十津川警部のテレビや映画でも有名です。
中央部に幅約80cmの板が敷いてあり、その上を歩くと板がしなります。橋の揺れよりも板が折れそうで、それが怖かったです。
 谷瀬の吊り橋(たにせのつりばし)は、奈良県吉野郡十津川村上野地にある日本最長の鉄線の吊り橋で、橋の銘板には「たにせばし(谷瀬橋)」と刻まれています。
国道168号の上野地(うえのじ)と対岸の谷瀬(たにせ)を結ぶ、高さ54m、長さ297mの吊り橋で、1954年に架橋されました。
 終日無料で通行できますが、「危険につき20名以上は同時に橋に乗らないように」の旨の注意書きがあり、混雑期には一方通行規制が行われることもあります(この場合、対岸からバスで戻ることになります)。
 この橋は、地元の住民が1軒当たり20万円~30万円を出し合って建設した生活道路橋です。そのため、地元の人や郵便配達員などはスーパーカブで渡るそうです。

石舞台古墳


 石舞台古墳を観るころには、雨も小降りになってきました。
「石舞台」の名前の由来については、昔、狐が女性に化けて石の上で踊っところからとか、この地にやって来た旅芸人が舞台がなかったので仕方なくこの大石を舞台に演じたことからといわれています。
 石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳で、1952年(昭和27年)3月29日、国特別史跡に指定されました。規模は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、で、築造年代は7世紀初頭です。

最後にハプニング
 名古屋までの高速道路が、鈴鹿サーキットの開催日とあって大渋滞。名古屋発19:28こだのグリーン車に乗れませんでした。乗ったのは約1時間遅れの20:20ひかり自由席でした。
しかし、ひかりのほうが東京駅には早く着くというハプニングでした。



長崎ランタンフェスティバルとハウステンボス

2010年02月28日 | Weblog
長崎ホテル清風の展望露天風呂(満天の湯)


 2010年2月25日~27日、長崎ランタンフェスティバルとハウステンボスに行って来ました。
25日朝の羽田空港は、濃霧が発生し出発が遅れましたが、長崎空港には10分遅れで無事に着きました。
ニュースでは、「25日朝、羽田空港の上空に濃い霧が発生し、午前中はおよそ4時間にわたって旅客機の着陸がまったくできない状態となり、173便が欠航しました。」とあり、ビックリしました。
 写真は、[長崎ホテル清風の展望露天風呂(満天の湯)]です。
雨が降っていて長崎の美しい夜景は見れませんでしたが、このホテルは、長崎市内を一望できる稲佐山の中腹に建っていて、全客室より港・夜景・日の出を見ることが出来ます。
なお、風呂は温泉ではなく、温泉の成分を含んだ天然水使用の湯です。

長崎平和公園の「平和の泉」


 長崎平和公園には、多くの被爆建造物と記念碑があります。
平和祈念像は、1955年8月8日(昭和30年)に5年の歳月と浄財で完成しました。北村西望氏が作成した青銅製の像で、高さ9.7m、台座3.9m、重量約30トン、です。
天を指す右手は「原爆の脅威(長崎の過去)」を、水平にのばした左手は「平和(長崎の未来)」を示し、軽く閉じた瞼は戦争犠牲者の冥福を祈っています。
その他、「長崎刑務所浦上刑務支所」、「動員学徒の碑・長崎の鐘」、「戦災復興記念」、世界各国から贈られた平和と人類を象徴する多数の「モニュメント」が立ち並んでいます。
 そして、改めて原爆の恐ろしさと悲惨さを思い知らされたのは、「平和の泉」の石碑に書かれていた「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくてとうとう油の浮いたまま飲みました。」の文字を読んだ時でした。

大浦天主堂


 大浦天主堂は、鎖国が終わった後、フランス人によって建てられた礼拝堂で、日本最古の木造ゴシック建築で、国宝です。
西洋建築の国宝はこれが日本唯一だそうです。
この御堂は日本二十六聖殉教者に捧げられたもので、正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」と言われています。

旧三菱第2ドックハウス


 写真は、グラバー園にある旧三菱第2ドックハウスです。
ドッグハウスとは、修理の為に船が造船所に入っている間、乗組員たちが宿泊した施設のことです。
この旧三菱第2ドックハウスは明示29年に作られた典型的な西洋建築で、ベランダを八本の柱で支えており、このベランダから素晴らしい長崎の景観が楽しめます。
 グラバー園(グラバーえん)は、長崎県長崎市南山手町の斜面上にあり、旧グラバー邸・旧三菱第2ドックハウス・旧リンガー住宅・旧オルト住宅などの西洋館がある公園です。
高台の斜面にあるために長崎湾や市街中心地を一望することができ、長崎の情緒を感じることができます。
 公園の中に、世界三大オペラにも数えられる長崎を舞台にした歌劇蝶々夫人を演じて世界的に有名な三浦環の像がたてられていました。又、旧グラバー住宅には、廊下の天井に窓のない隠し部屋があり、ビックリしました。グラバーは、倒幕派に肩入れをしていましたので、密談に使用していたのでしょうか。現在、NHKで坂本竜馬のドラマが放映されていますので、しばし幕末の歴史を感じてしまいました。

沢山のランタンが飾られた眼鏡橋


 眼鏡橋は、中島川に架かっています。この橋は、長崎興福寺の唐僧黙子如定(もくすにゅじょう)が寛永11年(1634年)に架けたもので、日本初のアーチ構造石橋です。川面に写るその姿が眼鏡のようだというところから「眼鏡橋」と呼ばれています。
1960年に国の重要文化財の指定を受けています。また、長崎には石橋が多いように思えますが、本物の石橋は、眼鏡橋、桃渓橋、袋橋だけだそうです。
眼鏡橋の長さは、22m。幅は3.65m。高さは5.46mとなっています。
現在の眼鏡橋は、昭和57年の長崎大水害で半壊しましたが、流れた石材を拾い集めて元の姿に完全復旧したものです。
かなり探すのに苦労しましたが、眼鏡橋の横の石垣の中に、ハートストーンを見つけました。

ランタンフェステバルで賑わう長崎新地中華街


 長崎新地中華街にはランタンが飾られ、雨の日にも関わらず沢山の人で賑わっていました。
このお祭りは、長崎在住の華僑の人々が、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたもので、もともと「春節祭」として長崎新地中華街で行われていましたが、平成6年から「長崎ランタンフェスティバル」として規模を拡大し、長崎の冬を彩る一大風物詩となりました。
 「2010長崎ランタンフェスティバル」は、平成22年2月14日(春節)から2月28日(元宵節)の15日間にわたり開催されています。
期間中は、中国の「元宵節」にあわせてランタン(中国提灯)が飾られ、その数は、市内中心部で約1万5千個にもおよんでいます。また、中国色豊かなイベントも繰りひろげられています。
イベントを見たり、新地中華街をゆっくり散策したかったのですが、当夜は雨で、見れたイベントは中国獅子舞だけで、残りは中止になってしまったりして、楽しむことが出来ませんでした。

クルージングの船[海王]


 九十九島のクルージングは、大小200以上もの島々が連なり、島の密度が日本一といわれる西海国立公園九十九島のクルージングです。
日本本土の最西端にあり、島々特有の自然の造形が素晴らしい。東北の宮城県松島の海と違って、海が綺麗なのが印象的でした。
九十九とは、数が沢山あるという意味で使われおり、実際の島の数は208あります。

チューリップが美しいハウステンボス


 ハウステンボスの自由散策は、時折、雨と風が強くなりましたが、写真のように異国情緒たっぷりでした。
天候が悪いせいもあって、[アミューズメントで、ホライゾンアドベンチャー]を体験してみました。
実際にオランダで発生した大洪水の猛威を体験することができる大迫力の体感シアターです。
特殊装置を駆使して霧や稲妻、波、豪雨、竜巻が発生し、800トンもの本物の水がものすごい迫力です。
高さ18m 、幅52m にもおよぶ巨大ホリゾント(舞台装置)をバックに、オランダの人々が経験してきた自然の脅威を、オランダの風景をリアルに再現したものです。

平戸城


平戸城は、平戸市街地の丘の上に建つ城で、天守閣から眺めると、晴れた日には、平戸瀬戸の急潮や黒子島の原生林が、そして遠くには壱岐の島が見えて素晴らしいそうです。
城内には平戸藩時代の遺品等が多く展示されていました。
その中に、素晴らしい雛人形が展示してありました。説明には「松浦家最後の藩主詮(あきら)が明治時代に寄贈した雛人形で、息女の結婚を機に平戸小学校に寄贈したが、東京日本橋の老舗人形店久月本店の人形」とあり、今では値段のつけようがない高級品だそうです。

オランダ橋


 車中より、「オランダ橋」が見えました。当初ここに架けられていた橋は木橋でしたが、三十代平戸藩主の命により1702年(元禄15)に石橋に架け替えられました。
オランダ商館建造に携わった日本人石工が、地元の石工たちに伝授した架橋技術で建設されたと伝えられるため、オランダ橋ともよばれています。もともとは平戸城に入る門前橋ですが、現在では平戸のシンボル的存在となっており、重要文化財でもあります。

寺院に囲まれた平戸カトリック教会


 海岸通りから続く石畳を上ると、寺院に取り囲まれた薄緑の尖塔の平戸カトリック教会(聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂)が見えてきます。
カトリック教会の尖鋭な屋根と十字架、そして寺院の屋根瓦がひとつの風景となり、日本と西洋の文化を感じさせる平戸を代表する景観のひとつですが、おもて向きは仏教徒を装う隠れキリシタンとして信仰を続ける為だったようです。

9種類の天然温泉を楽しむことが出来る万座温泉日進舘(旧万座温泉ホテル)

2009年10月14日 | Weblog
万座温泉日進舘の『長寿の湯』露天風呂


 万座温泉日進舘(旧万座温泉ホテル)は、五つ星の宿で温泉が素晴らしいということなので、泊ってみることにしました。この宿では、9種類の天然温泉風呂を楽しむことが出来ます。
もちろん、源泉掛け流しで、ボーリングではなく自然湧出の天然温泉です。
大浴場『長寿の湯』に7種類(姥湯、姥苦湯、さゝ湯、苦湯、滝湯、真湯)、 貸切風呂『円満の湯』、大浴場『万天の湯』、展望露天風呂『極楽湯』があります。
大浴場『長寿の湯』は、広い浴場の中に、四つの風呂があり、それぞれ異なる泉質を楽しむことが出来ます。
浴場の外には、泉質の異なる2種類の露天風呂がありますので、大浴場『長寿の湯』だけでも、温泉は充分です。
展望露天風呂『極楽湯』は、宿の外にありますので、少し歩く必要があります。
風呂好きな人は『極楽湯』に入りにいっていましたが、そこまでしなくてもと私は入りませんでした。
 宿は、本館、別館 、ゆけむり館、新館湯房からなっています。
今回泊った部屋は、新館湯房の洋室(34,7㎡、ツイン+ソファーベッド)でした。
2007年12月にOPENしたばかりで未だ新しく、モダンな作りで快適でした。
部屋と温泉は良かったのですが、従業員の接待は良い印象が感じられなく、食事はバイキング方式で美味しいとは言えませんでした。
そうそう、NHK教育TV「ゆかいなコンサート」の歌のお姉さんを務めた「森祐理」のフロアショーがありました。

 今回の旅の行程は、次の通りです。
所沢IC ⇒ 渋川伊香保IC ⇒ 榛名湖・榛名山 ⇒ 吾妻渓谷・八ッ場ダム広報センター「やんば館」 ⇒ 草津温泉(湯畑・西の河原露天風呂・片岡鶴太郎美術館) ⇒ 白根山・湯釜 ⇒ 渋峠 ⇒ 万座温泉日進館(泊) ⇒ 嬬恋牧場 ⇒ 鬼押出し園 ⇒ 真田城 ⇒ 懐古園 ⇒ 小諸IC ⇒ 所沢IC

榛名湖


 渋川伊香保ICを降りて伊香保温泉を通って榛名湖へ。伊香保温泉を過ぎてくねくねした上り坂を上ると、榛名湖に着く手前の平坦な直線道路にメロディロードがあった。
突然、「静かな 湖畔の 森の陰から...♪」とタイヤ音がメロディに変わったのでビックりしました。
榛名山は、赤城山、妙義山とともに上毛三山のひとつですが、その山頂にある周囲6kmのカルデラ湖が榛名湖です。

吾妻渓谷(あがつまけいこく)


 榛名湖からJR吾妻線に沿って草津方面へ進むと、全長約4km に渡る吾妻渓谷がある。
吾妻渓谷(あがつまけいこく)は、群馬県吾妻郡を流れる吾妻川の渓谷であり、切り立った断崖と下を縫って流れる川の渓谷美は素晴らしい。
ただ、遊歩道等は完備していないようで、断崖からロープ越しに下を覗いたが、ゾットするほどの高さと絶壁だった。

八ッ場ダムで建設中の高さ80メートルの橋


 この吾妻渓谷の中途に、今話題の八ッ場ダムが建設されている。
八ッ場ダムが完成すると吾妻渓谷の上流4分の1程度がダムに沈むことになるそうです。
途中の八ッ場ダム広報センター「やんば館」付近になると、建設中の高さ80メートルの橋が見えてくる。
「やんば館」の駐車場に車を止めて、このまま工事を中止したら、この異様な建造物はどうなるのだろうと、複雑な思いで眺めていました。

草津の湯畑


 草津温泉に上ってくる途中、ここにもメロディロードがありました。
流れたメロディーは草津節で、「草津よいとこ 一度はおいで~♪」と鳴りましたので、ついつい、一緒に歌ってしまいました。
日本三名泉(岐阜県の下呂温泉/兵庫県の有馬温泉/草津温泉)の1つである草津温泉は、温泉の自然湧出量は日本一てす。
なんと、自然湧出量は毎分32,300リットル以上で、1日にドラム缶23万本分が湧き出しています。
この豊富な湧出量のため、草津の旅館や温泉施設で「源泉かけ流し」ができるのだそうです。
また、泉質が日本有数の酸性度で、pH値はなんと湯畑源泉でナント2.1です。
ちなみに、PH2というのは、食用酢・レモン汁・クエン酸等と同じ酸性レベルです。
そのため、浄化・殺菌作用があり、神経痛・関節痛・慢性消化器病・冷え性等の他に、切り傷・火傷にも効能があり、昔から人々の体を癒し続けてきた名湯です。
 「湯畑」は、温泉街の中心に位置し、草津温泉のシンボルとなっています。
その湯畑の近くの駐車場(代金550)に車を停めて、湯畑から草津温泉の散策を始めました。
湯畑は、毎分4000リットルの温泉が湧き出ていて、硫黄の匂いがする湯けむりが上がっています。
湯畑の周りの歩道は瓦が敷きつめられており、石柵、白根山をかたどった「白根山ベンチ」や足湯等もあって公園らしく、一回りすると、さまざまな角度から湯畑を見ることが出来て楽しめます。
また、湯畑では湯の花の採取が行われています。
源泉が7本の木樋を流れながら、熱い源泉が外の空気に触れて冷やされることで、硫黄成分が木樋の底に沈殿します。その白い沈殿物が湯の花となります。

西の河原


 湯畑から10分程歩くと、西の河原公園へ、そして写真の左側の道路を数分上ると西の河原露天風呂に着きます。
西の河原露天風呂は、雑木林に囲まれた500平方メートルの巨大な岩風呂です。
 湯畑から西の河原への道の両側には、沢山のお店が並んでいて、温泉饅頭や漬物の試食を勧めます。
人通りも多く、結構楽しめます。そうそう温泉卵も、店先で作って売っていました。
西の河原には湯川にそって無数の源泉があり、あちこちに小さな湯釜を作っていて、それぞれに琥珀の池とか瑠璃の池とかの名前がついています。
緑色のきれいな湯釜があり興味をそそられました。

片岡鶴太郎美術館


 片岡鶴太郎美術館は、西の河原公園と湯畑との間にあります。
浴衣と下駄でぶらっと入って楽しめるような雰囲気で、美術館という堅い感じはない。
書画、陶器、漆器等、が展示されていて、絵はがきなどのグッズを販売するコーナーと、お茶を飲みながらくつろげるスペースがあります。
私もぶらりと入り、手頃な値段のお土産を購入しました。

白根山の湯釜


 草津温泉から志賀高原への国道292号線を上って行くと、やがて岩肌が真っ白になった山が見えてきます。
白根山です。白根山は、標高2161mの活火山で、山頂に湯釜、水釜、涸(から)釜の3つの火口湖があります。
山麗のレストハウスに車を止めて、徒歩で結構急な坂道を20分程登ると、湯釜の見える場所に着きます。
訪れた日は、良く晴れていましたので、神秘的な湯釜をはっきり見ることが出来て感激でした。
湯釜(直径300m、水深30m、世界一の酸性湖でPH1.2)の色は白濁(パンフレット等では、エメラルドグリーンとなっています)に見えました。

「日本国道最高地点」の駐車場より「芳ケ平」を望む


 白根山から、さらに志賀高原への国道292号線を上って行くと、日本全国の国道で最も標高が高い地点(標高2172m)に辿り着きます。
駐車する場所があったので、車を止めて展望すると、眼下に「芳ケ平」が美しく広がっていました。
付近には「標高2,172m」の看板や、「日本国道最高地点」の石碑が建てられていました。

嬬恋牧場のレストハウス


 嬬恋牧場は、万座温泉からの万座ハイウエーの途中にあり、広々とした牧歌的雰囲気が魅力の高原の牧場です。
気軽に立ち寄れるレストハウス(休憩所)では、牧場を眺めながら食事ができますし、農産物や山野菜などの地元の名産品も販売しています。
キャベツやトウモロコシがみずみずしく新鮮なので、思わず買ってしまいました。
トウモロコシは生のままでそのまま食べられるそうですが、自宅で茹でて食べましたが、本当に美味しかったです。
また、嬬恋高原ではジョッキ牛乳が人気ですが、今回は、濃厚な高原のソフトクリームを味わってみました。

鬼押出し園


 万座ハイウエーから鬼押ハイウエーに入り「鬼押出し園」へ。
鬼押出し園は、天明3年(1783年)の浅間山噴火によって生まれた溶岩が異様な形で重なり合い、芸術的な風景を作っています。
鬼押出し園の名前の由来は、火口で鬼があばれ岩を押し出した、という当時の人々の噴火の様子の話しからとのことです。
惣門をくぐり、表参道~浅間山観音堂~裏参道をめぐる標準コースで、徒歩約40分です。
コースはきれいに舗装されていますので、安心して歩くことが出来ます。
裏参道の終り近くに、苔が光に反射して緑色に発光する「光苔」というものがありました。

真田城


 真田城は、真田の里のほぼ中央にある小高い山にあり、本郭から北方へ二の郭、三の郭と段差を設けながら延び出し、馬蹄形状をなしています。
北側は急崖となっていて、山の尾根の自然の地形を巧みに利用した山城です。
城までの車道は、一台が通れる程の幅で、車が来ないことを祈りながら車を走らせました。
駐車場は狭く、6台ぐらいのスペースです。先客が2台止まっていました。

小諸城址懐古園の三の門入口


 小諸城址懐古園は、山本勘助が築き、仙石秀久によって完成された小諸城跡です。
小諸城は、城下町より低く造られている全国的にも珍しい穴城で、城は浅間山の火山灰で出来ている谷と丘を利用して造られ、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっています。
 また、文豪島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」でも知られる名園で、深い空堀や苔むした石垣が昔を偲ばせます。
三の門~黒門橋~本丸跡~懐古神社~馬場~高浜虚子句碑~水の手展望台~藤村詩碑~藤村記念館~大ケヤキ~黒門橋~三の門と見て回りましたが、途中の水の手展望台からは千曲川が見下ろせました。


「5つ星の宿」で「日本の宿を守る会」の谷川温泉「旅館たにがわ」

2009年09月09日 | Weblog
 今回の宿は、観光経済新聞社が主催する名誉ある称号を授与した「5つ星の宿」で「日本の宿を守る会」の谷川温泉「旅館たにがわ」です。
「旅館たにがわ」は、評判どおり、おもてなしが良く、食事も美味しく、清潔な宿でした。又「旅館たにがわ」は、「走れメロス」「斜陽」「人間失格」で知られる太宰治が、昭和11年にパビナール中毒の転地療養で1カ月ちかく滞在したところでもあります。
 着いたら、駐車場から係りの人が、荷物を持ってくれて、館内へ。
そして、『梅ジュース』と『アロエ餅』のおもてなしを受けながら、チェックインを手続きをします。そのあとは、部屋に案内してもらいましたが、途中の縁側に近年完成した足湯があり、後で、足湯に浸ろうと思ったのですが、すっかり忘れてしまいました。
 お風呂は、貸切展望露天風呂、男女の檜風呂、男女露天風呂があります。
早速、お風呂へ。お風呂の温度は熱めで、露天風呂は深めです。熱めの風呂に首まで浸っていると、やっぱり気持ちが良いですね。
 夕食は、本当に美味しく、品数も多く大満足でした。
どれも素晴らしかったのですが、上州肉の陶板焼きは柔らかく、イワナの唐揚げも最高でした。担当の人は、新人さんで、結構わからないことがまだ多いようでしたが、一生懸命対応してくれて、とても感じが良かった。
 朝食も凄いです。
朝から、イカ等の刺身、アジの一夜干し、蕎麦の実とろろ、とうがんの挽き肉あんかけ等・・・。
夕食も朝食も、食事処でしたが、個室の様に仕切られていて、ゆっくりと落ち着いて食事が取れました。

旅館たにがわの露天風呂



 今回は、車で出掛けましたので、少し寄り道をして、谷川温泉「旅館たにがわ」に行きました。関越自動車道の「月夜野IC」で、一旦、高速道路を下りました。
 月夜野って、とてもロマンチックな地名ですが、平安時代の歌人源順(みなもとのしたこう)が三峰山に昇る月を見て「おお、よい月よのう」と和歌を詠んだことから名付けられたそうです。
水と緑とロマンの里として知られており、ホタルの里もあり、毎年6月中旬から7月上旬頃には、ゲンジボタルやヘイケボタルが乱舞する光景が見られます。
 月夜野には、大変有名な上越クリスタル硝子の「月夜野びーどろパーク」があります。ここには、国内最大級のガラス工場があり、ガラス職人の熟練の技が見られます。

月夜野ガラス工場



 その他、古代ローマのローマンガラスやアールヌーヴォーのガラス、現代の著名作家の作品などを集めたグラスアート美術館(假屋崎省吾の花器展が開催されていました)、グラス作りにチャレンジできる体験工房、展示即売ギャラリーがあります。アウトレットの販売があったので、お土産に少々購入しました。

下の写真の左が大相撲優勝杯です



 谷川温泉「旅館たにがわ」に行くには、未だ早かったので、湯沢に行くことにしました。水上ICから関越自動車道に入り、新潟方面へ。谷川岳PAを過ぎると「関越トンネル」がある。
「関越トンネル」は、全長は上り線が11,055m、下り線は10,926mで、道路のトンネルでは日本最長です。本当に長いトンネルで車で10数分かかる。さらに驚いたのは、入る時は、晴れていて気温が27度でしたが、トンネルを出ると、なんと雨で気温が21度でした。思わず、川端康成の「雪国」の「長いトンネルをぬけると雪国であった」を思い出してしまいました。もっとも、小説のトンネルは、清水トンネルですが。
 湯沢が雨だったので、歴史民俗資料館「雪国館」を見学しました。
館内は、1階が川端康成の小説「雪国」の資料が展示してあり、日本画14点のほかに、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という小説「雪国」で、あまりに有名な冒頭の一文を書いた川端康成直筆の書や、川端康成が生前愛用した貴重な品々が展示されており、また、ヒロイン駒子のモデルと言われる「松栄」が住んでいた部屋を移築したコーナーもありました。
 2階は、雪国の住生活コーナーで、移築された民家のイロリのある茶の間がありました。
 最後に、3階には、湯沢町の歴史民俗資料が展示してあります。
「雪国館」を出ると、隣に無料の「足湯」があったので、浸りましたが、少し熱めでした。そういえば、車を走らせながら、湯沢の街中を見ると、あちこちに無料の「足湯」がありました。

雪国館



 今日は、晴れていますが谷川岳の山頂には雲がかかっています。もしかすると、谷川岳の山頂の雲が晴れるかもと期待して、谷川岳ロープウェイ乗り場へ。
谷川岳ロープウェイは土合口駅(標高746m)と(標高1,319m)の山腹にある天神平駅まで2300mを結んでいます。往復料金は大人2,000円。片道は1,200円。天神平駅から、今度は、リフトに乗って天神峠駅(標高1,502m)へ。片道大人400円、往復700円。

天神峠から天神平を見下ろす



 天神峠駅の展望台から谷川岳を見ると、残念ながら山頂には雲がかかっていました。望遠鏡を覗いて、天神尾根を見ると、沢山の人が頂上を目指して歩いているのが見えました。

天神峠から谷川岳を望む



 昼はお蕎麦がいいねと話をしていたら、丁度、お店があったので入って食べると、大変美味しいお蕎麦でした。お店の名前は「坪の庵」といいます。
入口は小さいのですが、中は広々とした座敷で、座卓がゆったりと配置されていて、天井も高くて座卓も立派でした。

坪の庵の入口



 麺は、硬く・太く・黒いです。
以前に、宮城県の七ヶ宿の蕎麦屋で食べた時と同じく、かたく歯応えがあり、よく噛んでそばの香りを楽しみたいおそばです。

坪の庵の天ざる



 今日は、湯沢も天気予報で晴れとのことでしたので、再度湯沢へ。湯沢では、「湯沢高原アルプの里」に行きました。
「湯沢高原アルプの里」へは、世界最大級166人乗りの大型ロープウェイで、一気に標高1000メートルの高原まで昇ります。
 1000種類以上の高山植物が咲くとパンフレットに書いてありましたが、花も盛りを過ぎていて、「ロークガーデン」では、それほど咲いていませんでした。
帰りのロープウェイ乗り場の近くに「雲の上の足湯」がありましたので、ここでも、足湯に浸ってしまいました。

湯沢高原アルプの里の入口






源泉掛け流し乳白色の色の湯「高湯温泉ひげの家」

2009年08月01日 | Weblog
 福島飯坂インターからフルーツラインを通り、モービルガソリンスタンドのある交差点から高湯温泉への曲がりくねった山道を上る。
やがて車中に硫黄のにおいが立ち込めてくると、高湯温泉の入口にある温泉宿「玉子湯」がある。そして、今宵の宿「ひげの家」は、そこから200m程上ったところにある。



 「ひげの家」の門に、「日本秘湯を守る会」の大きな提灯がぶら下がっていた。
高湯温泉の宿をインターネットで調べたら、口コミ情報等で、「ひげの家」の評判が良かったので、申込をしたのですが、実は、到着するまで、「ひげの家」が「日本秘湯を守る会」の旅館だとは知りませんでした。
 泊ってみて、秘湯とは言えない程館内は清潔で、あちこちに季節の花(やはり紫陽花が多かった)が飾られていて、その素朴さに心が穏やかになります。
又、温泉がとても素晴らしく、どのお風呂も清潔感があって、とても気持ちよく入れ、なおかつ料理も美味しかった。



 風呂は、内風呂が男女あり、露天風呂は三つあります。
写真は、露天風呂の「星見風呂」で、「星見風呂」は貸し切り風呂で、空いていれば内鍵を掛けて自由に入れます。
 まず、入口の看板を裏返しにして、入浴中にします。かなり急な鉄梯子を降りると、右手に「星見風呂」があります。扉を開けると、そこが脱衣所になっているので、入って内鍵を掛けます。
 風呂は小さめの風呂ですが、家族で入るには十分の広さです。白い木の浴槽に乳白色の湯がとてもきれいです。湯の華が底に沈殿しているので、足を滑らせないように静かに湯に浸ります。
私は乳白色の湯が大好きですが、ここの湯は濃厚で肌触りが滑らかで、とても良い気持ちでした。足でかき回すと湯の華が浮かび乳白色の濁りがさらに増します。



 秘湯ということなので、食事はあまり期待しなかったのですが、一品一品に工夫があって美味しかったです。
女将さんの手書きのお品書きがあり、繊細な盛り付けの前菜に始まり、福島牛のステーキ、造りは福島原釜漁港直送の旬の魚盛り合わせ等、季節を感じさせる会席料理です。味付けは、素材やだしを生かし、あっさりしていて、年配の私にはピッタリでした。



 内湯は工事をしていたのですが、7月16日に完成したそうです。
完成したばかりの内湯「仙気の湯」に入ることが出来て、ラッキーでした。
とても明るく、清潔感があり、檜の匂いがして、気持ち良く入れました。
内湯も露天風呂も、湯船は小さめですか゛、ほとんど1人でゆったりと入れました。連休等で満室(客室14)の場合も、お風呂が混み合うことはないそうです。



 内湯も露天風呂も、いづれも源泉掛け流しの温泉です。
露天風呂「滝の湯」から側を流れる渓流を眺めると、あちこちで硫黄泉が自噴しています。
「ひげの家」では、これをそのまま湯船に引湯しています。温度は、ちょっとぬるめ(41度くらい?)なのですが、源泉掛け流しなので、お湯の濃厚さと新鮮さを感じます。
湯の量、質ともに良く、ぬるめのお湯に渓流のせせらぎを聞きながらゆっくり入れます。


長野の善光寺と松代散策

2008年12月11日 | Weblog
 信州松代ロイヤルホテルに泊まって、長野の善光寺にお参りして松代の町を散策して来ました。
行程は次の通りです。
12月10日 武蔵浦和(8:20)⇒[送迎バス]⇒信州松代ロイヤルホテル着13:40)
     ⇒[自由散策:松代市内]⇒信州松代ロイヤルホテル泊
12月11日 [午前中自由散策:ホテル発(8:50)~長野駅東口~善光寺~
     長野駅東口~ホテル着12:55]
     信州松代ロイヤルホテル発(13:55)⇒武蔵浦和着(17:00

 写真の風呂は、信州松代ロイヤルホテルの大浴場です。
ホテルの風呂は、大浴場と露天温泉岩風呂(夕姫の湯)があります。
大浴場は沸かし湯ですが、露天温泉岩風呂(夕姫の湯)は温泉で、泉質は、ナトリウム・塩化物温泉で、効能は、リュウマチ性疾患・運動器障害・創傷・慢性湿疹および角化症・婦人病・更年期障害等となっていました。
ただし、露天温泉岩風呂(夕姫の湯)は、かなりぬるめなので、大浴場でしっかり体を温めて入らないと風邪を引くかも知れません。

 信州松代ロイヤルホテルは、上信越自動車道長野ICを下りて約2分のところにあります。
北信濃の山々を望む絶好の場所にあり、又、歴史と文化の町である長野市松代町に立地しています。
ホテルは、シティ&リゾートの両面を兼ね備えており、とても快適に過ごすことが出来ます。
部屋は、和室、洋室、スイートルームなど、さまざまなタイプがありますが、私達夫婦が泊まった洋室は、定員4名(セミダブル×2、ソファベッド、エキストラベッド)の部屋でしたので、部屋は広くゆったりしており、セミダブルのベットでゆうゆう眠ることができました。
食事も、気軽な洋食メニューの「レストラン四季」、フランス料理の「フレンチレストランアジュール」、伝統的な日本料理と素朴な郷土料理の「日本料理信濃」、本格的中国料理の「中国料理天竜」と多彩です。
今回は、「レストラン四季」を選びましたが、とても美味しく満足しました。又、従業員の応対や心遣いが行き届いていて気持ちよく過ごすことが出来ました。

 信州松代ロイヤルホテルに、午後2時頃着きましたので松代(長野市松代町松代)散策をしました。信州松代ロイヤルホテルから徒歩で10分程に名城100選の松代城があり、そこから歩いて10数分で、美しい日本の歴史風土100選に選ばれた城下町の落ち着いた町並みに入れます。
松代の町は、歴史ある建築物や、真田幸村・佐久間象山・松井須磨子・山本勘介など、郷土が生んだ英雄等の足跡もあり見所いっぱいです。
今回は、松代城・真田邸・文武学校・旧白井家表門・旧横田家住宅を見てまわりました。

松代城松代城内の散策
 松代城は甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との川中島の合戦のときに前線基地として1560年(永禄3年)頃に信玄によって築かれた「海津城」が始まりと言われています。
城の城主は、次々と代りましたが、1600年(慶応5年)森忠政が城主の時に「待城」と改名され、その後「松城」と呼ばれれましたが、真田三代目藩主幸道のときに「松代城」と改名されました。
1622年に真田信之が城主となって以来、明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家十万石の居城となりました。
松代城は1717年(享保2年)に火災により消失しましたが、その後再建され、平成の大普請で再現されました。

真田邸
 真田邸は、松代城の大手口に位置しています。
江戸末期の庭園を有する御殿建築として全国にも類例が少なく、昭和56年に、松代城の「附」(つけたり)として国の史跡指定を受けました。
真田邸は、32才の若さで隠居した9代藩主幸教の隠居所として使われ、明治維新以降は、真田家の私邸として使われていました。
庭園は四季折々の美しい姿が見られるとの事でしたが、訪れた時は、真田邸も庭も普請中で、中に入ることは出来たのですが、残念ながらその素晴らしさを体験出来ませんでした。

松代藩文武学校
 松代藩文武学校は、松代藩が設けた文武併習の学校として1855年(安政2年)に開講しました。
敷地3089平方メートル、建坪1505平方メートルの建物は、文学所・御役所・教室2棟(東序・西序)・剣術所・柔道所・弓術所・槍術所・文庫蔵・番所・門に分かれていて、藩校を完全な形で現在に伝えている全国的にも稀な施設です。
剣術所・弓術所・槍術所などで実際に武術の稽古や試合を行う事が出来ます。
またギャラリーとして、陶芸・絵画・アート作品の展示なども行えます。
教室の2棟では、お茶席や生け花の展示などにも利用されています。
そして、その隣に竹林に囲まれた松代小学校があります。

旧白井家表門
 文武学校の側に、間口20メートルの旧白井家表門があります。
1843年・弘化3年に表紫町に建てられたものを現在の場所に移築したそうです。
門には、様々な門の形があるそうで、白井家の門は長屋門といい、中間部屋などが付いている門を云うそうです。
長屋門は、山寺常山邸の門や横田家の門などがあります。
その他の門としては、文武学校や真田邸の冠木門、医師の家の門としてつくられた薬医門、両腕を伸ばして支えているような形の一番多い腕木門、腕木門を横開きにした沼田門があります。
ここでは、松代の魅力や町歩き、そして色々な情報等を案内するボランティアの人々にお会いし、親切にして頂きました。

旧横田家住宅
 趣のある茅葺きの屋根がある旧横田家住宅は、国の重要文化財です。
主屋、表門、隠居屋と二つの土蔵からなっていて、松代藩で郡奉行等を務めた中級藩士の暮らし振りが窺えます。
その特徴は、庭園は泉水を配しており、庭は塀で仕切られています。
又、菜園の広さ・建物の間取り・土間が狭く座敷きが整っている点等にも中級藩士の住宅の特徴が良く現れています。
この家からは、横田秀雄は大審院長に、その子横田正俊は最高裁判所長官になり、ニ代続いて裁判官の最高の地位につきました。
その他秀雄の弟謙次郎は鉄道大臣になり、「富岡日記」の著者として有名な姉の和田英等、多くの秀才を生んだ家です。
なお、入場料が大人1人200円です。

 次の日は、午前中に「牛に引かれて善光寺参り」で有名な長野の善光寺に、今までの人生を過ごせたことに感謝のお参りしました。
善光寺は、古くから宗派の別なく庶民に親しまれ、又、一生に一度お参りをすれば極楽浄土に行けると伝えられています。私は、今回始めてのお参りです。


たらば蟹とずわい蟹が食べ放題の「ホテルシャトウ猿ヶ京」

2008年09月11日 | Weblog
 たらば蟹とずわい蟹が食べ放題でバスの送迎があるということで、群馬県の「ホテルシャトウ猿ヶ京」へ、一泊二日のバス旅行をしてきました。

 写真の露天風呂は男性用の露天風呂で、写真ではわかりませんが、全く目隠しがありません。男性用の大浴場(内湯)も目隠しがありません。
露天風呂と大浴場は三階にありますので、広々とした田園風景と谷川連峰の美しい緑を展望することができて、大変開放的です。もちろん、外からも丸見えです。
ただし、女性用の露天風呂と大浴場には目隠しがされているそうです。
 温泉については、大浴場×2(男女)と露天風呂×2(男女)があり、源泉温度:53.7℃、温泉泉質:硫酸塩泉、水質区分:温泉・加温・循環ろ過で、大浴場は加水となっていました。

 夕食はバイキング方式で、真に広告どおりで、たらば蟹とずわい蟹を大皿に山盛りにして豪快に食べました。蟹でお腹を一杯にしたのは生まれて初めてです。大満足でした。
夕食バイキングでは、毎日デモストレーションがあるそうで、この日はフルーツポンチでした。料理長が、パイン・スイカ・メロン・バナナ等の果物を、手際の良い包丁さばきであっというまに作ってくれました。

 日程は次の通りです。
1日目が、さいたま新都心AM10:15⇒月夜野IC⇒PM1:00ホテルシャトウ猿ヶ京PM2:00⇒たくみの里⇒PM4:30ホテルシャトウ猿ヶ京
2日目が、ホテルシャトウ猿ヶ京AM9:00⇒オプション(ぶとう狩・きのこ狩・酒蔵㈲土田本店・昼食など)⇒PM1:40ホテルシャトウ猿ヶ京PM2:00⇒PM4:30さいたま新都心