二人でゆったり温泉・露天風呂

露天風呂、温泉、リゾートホテル等、夫婦で気の向くままに楽しんだ記録です。

長野の善光寺と松代散策

2008年12月11日 | Weblog
 信州松代ロイヤルホテルに泊まって、長野の善光寺にお参りして松代の町を散策して来ました。
行程は次の通りです。
12月10日 武蔵浦和(8:20)⇒[送迎バス]⇒信州松代ロイヤルホテル着13:40)
     ⇒[自由散策:松代市内]⇒信州松代ロイヤルホテル泊
12月11日 [午前中自由散策:ホテル発(8:50)~長野駅東口~善光寺~
     長野駅東口~ホテル着12:55]
     信州松代ロイヤルホテル発(13:55)⇒武蔵浦和着(17:00

 写真の風呂は、信州松代ロイヤルホテルの大浴場です。
ホテルの風呂は、大浴場と露天温泉岩風呂(夕姫の湯)があります。
大浴場は沸かし湯ですが、露天温泉岩風呂(夕姫の湯)は温泉で、泉質は、ナトリウム・塩化物温泉で、効能は、リュウマチ性疾患・運動器障害・創傷・慢性湿疹および角化症・婦人病・更年期障害等となっていました。
ただし、露天温泉岩風呂(夕姫の湯)は、かなりぬるめなので、大浴場でしっかり体を温めて入らないと風邪を引くかも知れません。

 信州松代ロイヤルホテルは、上信越自動車道長野ICを下りて約2分のところにあります。
北信濃の山々を望む絶好の場所にあり、又、歴史と文化の町である長野市松代町に立地しています。
ホテルは、シティ&リゾートの両面を兼ね備えており、とても快適に過ごすことが出来ます。
部屋は、和室、洋室、スイートルームなど、さまざまなタイプがありますが、私達夫婦が泊まった洋室は、定員4名(セミダブル×2、ソファベッド、エキストラベッド)の部屋でしたので、部屋は広くゆったりしており、セミダブルのベットでゆうゆう眠ることができました。
食事も、気軽な洋食メニューの「レストラン四季」、フランス料理の「フレンチレストランアジュール」、伝統的な日本料理と素朴な郷土料理の「日本料理信濃」、本格的中国料理の「中国料理天竜」と多彩です。
今回は、「レストラン四季」を選びましたが、とても美味しく満足しました。又、従業員の応対や心遣いが行き届いていて気持ちよく過ごすことが出来ました。

 信州松代ロイヤルホテルに、午後2時頃着きましたので松代(長野市松代町松代)散策をしました。信州松代ロイヤルホテルから徒歩で10分程に名城100選の松代城があり、そこから歩いて10数分で、美しい日本の歴史風土100選に選ばれた城下町の落ち着いた町並みに入れます。
松代の町は、歴史ある建築物や、真田幸村・佐久間象山・松井須磨子・山本勘介など、郷土が生んだ英雄等の足跡もあり見所いっぱいです。
今回は、松代城・真田邸・文武学校・旧白井家表門・旧横田家住宅を見てまわりました。

松代城松代城内の散策
 松代城は甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との川中島の合戦のときに前線基地として1560年(永禄3年)頃に信玄によって築かれた「海津城」が始まりと言われています。
城の城主は、次々と代りましたが、1600年(慶応5年)森忠政が城主の時に「待城」と改名され、その後「松城」と呼ばれれましたが、真田三代目藩主幸道のときに「松代城」と改名されました。
1622年に真田信之が城主となって以来、明治の廃城までの約250年間、松代藩真田家十万石の居城となりました。
松代城は1717年(享保2年)に火災により消失しましたが、その後再建され、平成の大普請で再現されました。

真田邸
 真田邸は、松代城の大手口に位置しています。
江戸末期の庭園を有する御殿建築として全国にも類例が少なく、昭和56年に、松代城の「附」(つけたり)として国の史跡指定を受けました。
真田邸は、32才の若さで隠居した9代藩主幸教の隠居所として使われ、明治維新以降は、真田家の私邸として使われていました。
庭園は四季折々の美しい姿が見られるとの事でしたが、訪れた時は、真田邸も庭も普請中で、中に入ることは出来たのですが、残念ながらその素晴らしさを体験出来ませんでした。

松代藩文武学校
 松代藩文武学校は、松代藩が設けた文武併習の学校として1855年(安政2年)に開講しました。
敷地3089平方メートル、建坪1505平方メートルの建物は、文学所・御役所・教室2棟(東序・西序)・剣術所・柔道所・弓術所・槍術所・文庫蔵・番所・門に分かれていて、藩校を完全な形で現在に伝えている全国的にも稀な施設です。
剣術所・弓術所・槍術所などで実際に武術の稽古や試合を行う事が出来ます。
またギャラリーとして、陶芸・絵画・アート作品の展示なども行えます。
教室の2棟では、お茶席や生け花の展示などにも利用されています。
そして、その隣に竹林に囲まれた松代小学校があります。

旧白井家表門
 文武学校の側に、間口20メートルの旧白井家表門があります。
1843年・弘化3年に表紫町に建てられたものを現在の場所に移築したそうです。
門には、様々な門の形があるそうで、白井家の門は長屋門といい、中間部屋などが付いている門を云うそうです。
長屋門は、山寺常山邸の門や横田家の門などがあります。
その他の門としては、文武学校や真田邸の冠木門、医師の家の門としてつくられた薬医門、両腕を伸ばして支えているような形の一番多い腕木門、腕木門を横開きにした沼田門があります。
ここでは、松代の魅力や町歩き、そして色々な情報等を案内するボランティアの人々にお会いし、親切にして頂きました。

旧横田家住宅
 趣のある茅葺きの屋根がある旧横田家住宅は、国の重要文化財です。
主屋、表門、隠居屋と二つの土蔵からなっていて、松代藩で郡奉行等を務めた中級藩士の暮らし振りが窺えます。
その特徴は、庭園は泉水を配しており、庭は塀で仕切られています。
又、菜園の広さ・建物の間取り・土間が狭く座敷きが整っている点等にも中級藩士の住宅の特徴が良く現れています。
この家からは、横田秀雄は大審院長に、その子横田正俊は最高裁判所長官になり、ニ代続いて裁判官の最高の地位につきました。
その他秀雄の弟謙次郎は鉄道大臣になり、「富岡日記」の著者として有名な姉の和田英等、多くの秀才を生んだ家です。
なお、入場料が大人1人200円です。

 次の日は、午前中に「牛に引かれて善光寺参り」で有名な長野の善光寺に、今までの人生を過ごせたことに感謝のお参りしました。
善光寺は、古くから宗派の別なく庶民に親しまれ、又、一生に一度お参りをすれば極楽浄土に行けると伝えられています。私は、今回始めてのお参りです。