二人でゆったり温泉・露天風呂

露天風呂、温泉、リゾートホテル等、夫婦で気の向くままに楽しんだ記録です。

奈良平城宮・薬師寺と和歌山那智の滝・熊野を巡る旅

2010年10月10日 | Weblog
串本ロイヤルホテルの露天風呂


 串本ロイヤルホテルは、本州最南端の地・串本町にあります。
串本町は、1年間の平均気温が約17度と温暖で、「潮岬灯台」・「串本節」・「橋杭岩」で有名です。
 串本ロイヤルホテルのお風呂は、平成4年に湧出した串本温泉浴場の源泉から引湯しています。串本ロイヤルホテルは高台にありますので、その露天の岩風呂からのロケーションはとても素晴らしく、沖合いを北上する「黒潮」を望むことができます。
 泉質: ナトリウム、カルシウム、カリウム
 効能: 疲労回復/筋肉痛/神経痛/冷え症/慢性婦人病

 今回の旅行は、「奈良平城宮・薬師寺と和歌山那智の滝・熊野を巡る旅(10月7日~9日)」で、次のような行程で行って来ました。
1日目
 東京駅(7:26)⇒<新幹線こだま号グリーン車>⇒名古屋駅⇒平城宮跡⇒薬師寺⇒白浜泊
2日目
 白浜(7:40)⇒<ウォータージェット船で志古~瀞峡~小川口>⇒世界遺産那智の滝⇒世 界遺産熊野那智大社⇒世界遺産青岸渡寺⇒世界遺産熊野古道・大門坂⇒橋抗岩(車窓)⇒ 潮岬⇒串本泊
3日目
 串本(7:40)⇒<紀勢線ローカル列車で串本駅~太地駅>⇒熊野本宮大社⇒谷瀬の吊り橋 ⇒飛鳥の石舞台古墳⇒名古屋駅(20:20)<新幹線ひかり号自由席>⇒東京駅(22:10)

平城宮跡 第一次大極殿


 今、我が国初の本格的な首都「平城京」が誕生してから今年で1300年になり、これを記念して奈良市を中心に平城遷都1300年祭が開催されています。
期間は、1月1日から12月31日までです。
 訪れた7日は、気温が27℃を超え半袖でも汗をかく陽気でした。それに入場時間が、催しがあるということで14:00までとなっていました。
ニュースで分かったことですが、「天皇、皇后両陛下は7日、奈良県入りし、奈良市の平城宮跡に今年4月に復元された大極殿(だいごくでん)を見学された。」とのことで、その為だったのでしょう。
そういえば、薬師寺へ向かう幹線道路の各交差点には警察官が立っていました。

平城宮跡 朱雀門


 平城宮の正門・朱雀門では、その前で外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりしたそうで、お正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもあったそうです。
 それから、近くには復原された遣唐使船が展示されていました。
全長約30m、マスト高約15mで、進取の精神で渡航した先人たちの気概に触れることができます。

薬師寺 金堂


 写真は、金堂の裏から撮影したものです。中央が金堂、左の塔が東塔で右が西塔になります。
 「金堂」は昭和51年再建されました。正面の長さは26.6m、奥行の長さは15.5m、高さは20.4mという20世紀最大の建造物です。
一見四重の建物のように見えますが、二重の建物で、上・下層とも「裳階(もこし)」
が設けられており二重二閣入母屋造です。「東・西塔」、「大講堂」の三棟も裳階付きです。
 金堂の中央部分は鉄筋コンクリート造、防火シャッタ―構造、周辺部は木造建築です。
創建当初の木造建築での再建を要望する寺側と人類全体の遺産と言うべき「本尊薬師如来像」を守ることを主眼とした国側との妥協の建物です。

薬師寺 金堂日光菩薩


 2008年に上野の東京国立博物館平成館で開催された「国宝 薬師寺展」を観ましたが、実際に、金堂の中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、そして左に月光菩薩が配置されているのを観ますと、全く違った印象を受けました。

薬師寺 東塔


 東塔は、今年11月より約100年振りに本格的な解体修理に入ります。その為に約10年間観ることが出来ません。
 東塔は、創建当初から残る唯一の建築物で、アメリカの美術研究家フェノロサが「凍れる音楽」と絶賛したことでも有名です。塔の上にある水煙は、雷や火災から守る水をイメージしたもので、飛天が透かし彫りされています。

薬師寺 東院堂


 東院堂には、白鳳仏を代表する国宝の聖観世音菩薩が安置され、その四方を鎌倉時代の四天王像が守護しています。
この東院堂に、水煙のレプリカがあります。(右奥にありますので、気を付けて探さないと見つかりません。)

薬師寺 大講堂


 大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物です。本当に立派で大きく雄大な建物です。大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則だそうで、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためだそうです。
大講堂の本尊には彌勒三尊像【重要文化財】、後堂には仏足岩・仏足跡歌碑【国宝】が安置されています。

玄奘三蔵院伽藍


 玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶で、薬師寺と深い縁があった事から、全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を受け、平成3年(1991)に玄奘三蔵院伽藍が建立されました。
平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿で観ることが出来ます。

瀞峡めぐりのウォータージェット船乗り場


 ウォータージェット船は国道168号沿いの志古から出ています。船は両面ガラス張りになっていて上部が開閉式になっていましたので景色がよく見えました。
 当日は、まだ雨が降らず瀞峡への川は川幅も狭く、沢山の人が鮎釣りをしていましたが、午後から降った雨で翌日は白く濁り川幅も広くなっていました。もちろん観光船は欠航となっていました。

瀞峡


 瀞峡は奈良県・三重県・和歌山県の3県に接する県境にあり、滝壺の後退により形成され、奥瀞・上瀞・下瀞に分かれています。特に下瀞は巨岩・奇石が並び荘厳で美しく、親しみをこめて「瀞八丁(どろはっちょう)」と呼ばれています。ウォータージェット船は上瀞・下瀞を運行(約90分)しています。

那智の滝と青岸渡寺三重塔


 那智の滝を観る辺から、時々横殴りのドシャブリの雨となった。
那智滝(なちのたき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝です。那智滝は、華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられ、国の名勝に指定されています。
那智山には多くの滝がありますが、瀧篭修行の行場として扱われた48滝(那智四十八滝)の一の滝を那智滝と云っています。落差は、133mで、滝幅は、13mです。

熊野那智大社


 那智大社(くまのなちたいしゃ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社で、熊野三山の一つです。熊野夫須美大神を主祭神とします。2004年7月1日、ユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
 熊野那智大社から歩いて直ぐ傍に青岸渡寺があります。
青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院です。西国三十三箇所第一番札所で、山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩です。2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録されました。
 そして、ここから観る那智の滝と青岸渡寺三重塔の風景は素晴らしいです。天候が良ければ最高の景色だったと思う。

熊野古道の大門坂


 熊野那智大社・那智山青岸渡寺の参拝後、「神社お寺前駐車場」から世界遺産熊野古道「大門坂」を降りました。
大門坂は、高低差約100mで樹齢800年を超す杉並木と苔むした石畳みが約600m続き、熊野古道の面影をもっとも色濃く今に残している場所です。
熊野古道(くまのこどう)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称です。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産として登録されました。

潮岬訪問証明書


 潮岬(しおのみさき)は、和歌山県東牟婁郡串本町に属し、本州最南端の太平洋に面する岬で、北緯33度25分59秒東経135度45分45秒にあります。
日本でも有数の台風通り道で、台風の位置を表す指標にされることが多くよく知られています。
 訪れた時は、雨も風も強く台風接近を想像させるような状況でした。観光客目当てのお店屋さんも、私達がバスに乗ると、きっと最後の客だったのでしょうか、店を閉めてしまいました。

本州最南端を走る紀勢線ローカル列車


 本州最南端を走る紀勢線ローカル列車で、串本駅から太地駅までの約33分を乗りました。
串本駅で時刻表を見ると、約1時間に1本の割合で運行しているようです。
時間帯によっては、全く発着のない時間もある。乗った車両は2両編成でワンマンカー、乗車した区間はは単線でした。

熊野本宮大社での巫女の舞


 熊野本宮大社で、偶然にも巫女の舞を観ることが出来ました。
巫女の舞とは巫女によって舞われる神楽(神事において神に奉納するために奏される歌舞)の舞とのことですが、これほど優雅な巫女の舞を観たのは始めてでした。

谷瀬の吊り橋


 十津川村は、奈良県の最南部にある日本一大きな村で、なんと、東京23区より広い村です。
そうそう十津川警部のテレビや映画でも有名です。
中央部に幅約80cmの板が敷いてあり、その上を歩くと板がしなります。橋の揺れよりも板が折れそうで、それが怖かったです。
 谷瀬の吊り橋(たにせのつりばし)は、奈良県吉野郡十津川村上野地にある日本最長の鉄線の吊り橋で、橋の銘板には「たにせばし(谷瀬橋)」と刻まれています。
国道168号の上野地(うえのじ)と対岸の谷瀬(たにせ)を結ぶ、高さ54m、長さ297mの吊り橋で、1954年に架橋されました。
 終日無料で通行できますが、「危険につき20名以上は同時に橋に乗らないように」の旨の注意書きがあり、混雑期には一方通行規制が行われることもあります(この場合、対岸からバスで戻ることになります)。
 この橋は、地元の住民が1軒当たり20万円~30万円を出し合って建設した生活道路橋です。そのため、地元の人や郵便配達員などはスーパーカブで渡るそうです。

石舞台古墳


 石舞台古墳を観るころには、雨も小降りになってきました。
「石舞台」の名前の由来については、昔、狐が女性に化けて石の上で踊っところからとか、この地にやって来た旅芸人が舞台がなかったので仕方なくこの大石を舞台に演じたことからといわれています。
 石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳で、1952年(昭和27年)3月29日、国特別史跡に指定されました。規模は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、で、築造年代は7世紀初頭です。

最後にハプニング
 名古屋までの高速道路が、鈴鹿サーキットの開催日とあって大渋滞。名古屋発19:28こだのグリーン車に乗れませんでした。乗ったのは約1時間遅れの20:20ひかり自由席でした。
しかし、ひかりのほうが東京駅には早く着くというハプニングでした。