遠州横須賀・三熊野神社大祭(保存版)

DyDo日本の祭り2006現地特派員blogアーカイブス(H18.2.1~H19.1.10)

河原へ下りられなくなった「祢里」

2006-03-15 17:45:24 | 大祭を紐解く
江戸~明治・大正期にいたるまでの大祭では、12台の祢里が西大谷川の河原へ下りて渡御行列をお迎えし、その真ん中を御神輿様が通過、お旅所へお着きになってから、河原町東端・蓮池地内へ集合して供奉を開始していました。ところが、軽便鉄道の開通(大正14年・新横須賀~南大坂間)により河原が深く掘り下げられ、祢里が下りられなくなったこと、また線路の下を御神輿様が通るのことは決して許されないため、現在のようにそのまま蓮池に集合するようになりました。
※写真(西大谷川の河原へ下りた12台の祢里/明治時代後期)
三熊野神社大祭まであと23


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。